井上尚弥に憧れる19歳のボクサーと、長谷川穂積を育てた62歳のトレーナーの物語【連載・彼らの誇りと絆】(5回連載/第1回)

①長谷川穂積と共に世界で戦った元マル暴刑事(デカ)、山下正人が育てる最後の愛弟子(連載・第1回)
先月6日、神戸市立中央体育館で開催されたプロボクシング興行。初のメインイベンターとして10回戦に挑んだ関西の新鋭、伊藤千飛(真正ジム)は、比国ボクサー、ラネリオ・クイーゾ相手に4回KO勝利。出稽古のスパーリングで胸を借りた際、寺地拳四朗(WBA &WBC世界フライ級統一王者)からも「将来的に世界を狙えるだけの実力は十分ある」と太鼓判を押された19歳は、あらためてそのポテンシャルを見せつけた。
試合後、控室で記者に囲まれた伊藤は、「プロ4戦目で、初めて綺麗に相手を倒す事ができた」と満面の笑みを浮かべた。隣で見守る山下正人会長も「前回の試合で見えた課題と真摯に向き合って練習を続けて、本番でも力を発揮出来た」と、愛弟子の成長に目尻を下げた。
山下は元兵庫県警暴力団対策本部の刑事で、選手は未経験ながら指導者ライセンスを取得した異色のキャリアの持ち主。世界3階級制覇(バンタム/スーパーバンタム/フェザー)した長谷川穂積を始め、これまで男子3人、女子4人の世界王者を育ててきた。そんな一時代を築いた山下が、63歳になったいま情熱を注ぐ選手が伊藤だった。
伊藤は現在、OPBF東洋太平洋バンタム級11位、WBOアジアパシフィック同級9位。山下は「年内あと2試合して、来年、地域タイトルに挑戦出来れば」と考えていた。そういう意味でも今回は、勝利は言うまでもなく戦い方、内容がより求められる試合でもあった。
「千飛はまだ10代でキャリアも浅い。『初めてのメイン』というプレッシャーもあったはずですが、非常に良い内容の試合でした」と山下。
見据える先はもちろん世界。しかし伊藤とコンビを組む少し前、リング禍で愛弟子を失った山下は、一度はミットを外し、ボクシング業界自体から離れる事も考えていた。
愛弟子の名前は、「穴口一輝」といった。
2023年12月26日、東京・有明アリーナで開催された「井上尚弥4団体統一記念杯、バンタム級モンスタートーナメント」決勝戦。試合結果を聞いた直後、足が痙攣し始めて自力で立てなくなった穴口は控室で意識を失った。右硬膜下血腫――。救急車で搬送されて手術を受けたものの、意識は戻らないまま、穴口は翌2024年2月2日、午後5時38分に永眠した。
山下はそれでも、ふたたび選手と一緒に戦い続ける覚悟を決めた。
悩み苦しむ山下を救ってくれたのは穴口の母親、美由紀の言葉。そして、穴口と同じように才能に溢れた、伊藤千飛の存在だった。
■西の神童・蹴らない千飛兵庫県伊丹市出身の伊藤は、元々はキックボクサーだった。4歳の頃、元キックボクシングのランカーだった父親、陽二が指導する「真門塾!伊藤道場」でキックボクシングを始めた。小4からは技術の幅をひろげる目的で近所のボクシングジムに通い、これがきっかけでパンチの技術は飛躍的に向上。キックボクサーとして何度もジュニア日本一に輝いた。ボクシングでも小6の時、第10回U-15ボクシング全国大会(32.5kg級)で優勝。優秀選手に選ばれ、ジュニア年代ではキックとボクシングの両方で頂点に立った。
「ボクシングに惹かれた理由は、パンチが得意だった事もありますが、一番は、テレビで観戦した井上尚弥さんの試合に感動した影響が大きかったですね。中学生になる頃には『将来はキックよりも、ボクシングで世界チャンピオンになる』と決めていました」
中学時代は関西拠点のイベント「DEEP☆KICK」で活動し、数々の大会で優勝。将来のボクシング転向を見据えてパンチのみで戦うスタイルを貫き、「西の神童・蹴らない千飛」と呼ばれたりもしていた。キックと空手で合わせて400戦以上試合をした伊藤は、那須川天心の弟、アマチュアムエタイの世界王者にもなった現RISEフライ級王者、那須川龍心(りゅうじん)とも2度戦い、いずれも勝利した。
2021年、伊藤は中学卒業後、高校ボクシングの名門・興国高校(大阪)に進学した。ボクシングの活動一本に絞った伊藤は部活の練習だけでは飽き足らず、さらなる成長の機会を求めて真正ジムの門を叩いた。
「ボクシングを始める前、伊藤道場に通っていた真正ジムの井上夕雅選手(現日本フライ級6位)の紹介がきっかけでした。真正ジムは長谷川穂積さんがいたジムという事は知っていましたし、紹介された時も、元世界チャンピオンの山中竜也選手(WBO世界ミニマム級)や久保隼選手(WBA世界スーパーバンタム級)がいました。ほかにも地域や日本の現役ランカーが大勢いて、『ここならきっと成長できる』と思い、通い始めました」
兵庫県伊丹市の自宅から大阪・天王寺にある興国高校まで電車で片道1時間かけて登校し、朝7時からの朝練に週3回参加。夕方、部活が終われば電車2本を乗り継ぎ、ふたたび片道1時間かけて神戸にある真正ジムまで移動し、夜遅くまで練習した。
自分も長谷川穂積さんを育てた方に指導して頂き、世界を目指したいーー。
当時はそれを言葉にする事はなかったものの、伊藤はそんな期待を抱いて入門した。しかし当時、真正ジムはコロナ禍にも関わらずプロライセンス保持者は40名以上、予備軍も50名以上いた。また、山下は世界王座返り咲きを目指す山中竜也を主に指導しており、他選手の指導は限られていた。
所属はあくまで高校ボクシング部。真正ジムではプロライセンスを持たない一練習生に過ぎない16歳の伊藤が、チーフトレーナーの山下に指導してもらえる機会はなかった。
■アジアユース銅メダル獲得。アマ通算成績は21試合20勝1敗「最初はいろいろなトレーナーに見ていただいていました。山下会長からたまに直接アドバイスを頂けた時は、すごく嬉しかった事を覚えています。緊張して自分から話しかけることはできませんでした。もちろん教えてもらいたい気持ちはありましたが、当時は山中さんにミットを構える様子を羨ましく思いつつ、遠くから眺めるだけでした」
伊藤はしかし、ボクサーとして着実に成長した。
高1の終わりに出場した選抜(2022年3月)で優勝(ライトフライ級)し、高校では初の全国タイトル獲得。翌年の選抜でも優勝(フライ級)して2冠達成した。さらに同年10月には、カザフスタンで開催されたアジアユース&ジュニア選手権、準決勝は体調不良で棄権も3位、銅メダルを獲得した。
高校時代の唯一の敗戦は、高校メンバーのエントリーの都合で、本来はライトフライ級(49kg以下)なのに2階級上のバンタム級(56kg以下52kg超)で出場した試合(2021年総体・大阪予選/準決勝)のみ。高校時代の通算成績は21試合20勝1敗だった。
日本代表としてアジア大会に出場し銅メダル獲得。さすがにこの頃になると真正ジム内でも一目置かれる存在になり、山下に声をかけてもらえる機会も増えた。
伊藤が高2だった2023年12月17日、真正ジムの看板選手でもあった山中竜也はWBOアジアパシフィックライトフライ級王座防衛戦でまさかの2回TKO負け。伊藤が高3になった翌2024年6月、山中は再起戦で勝利したものの引退を決断した。
ただ伊藤はやはり、山下にミットを構えてもらう機会はなかった。山下には当時、大きな期待を寄せて指導する23歳の愛弟子がいたからだ。
アマ戦績76戦68勝8敗という輝かしい実績を残し、東京2020五輪出場を目指したものの予選敗退。夢破れてボクシング自体からも離れていた時、山下が自らスカウトしてプロで再起する道に誘った愛弟子の名前は、「穴口一輝」といった。
■伊藤千飛(いとう・せんと)
2005年6月25日生まれ、19歳。兵庫県伊丹市出身。元プロキックボクサーの父親の影響で4歳からキックボクシングを始め、同時にボクシングにも取り組む。興国高校に進学後はボクシングに専念し選抜2冠、アジアユース&ジュニア選手権で銅メダル獲得。2024年1月にB級ライセンス取得し同年4月20日にプロデビュー。現在の戦績は4戦4勝3KO。OPBF東洋太平洋バンタム級11位、WBOアジアパシフィック同級9位。
■山下正人(やました・まさと)
1962年4月30日生まれ、63歳。高知県生まれ。真正ボクシングジム会長兼チーフトレーナー。2歳で兵庫県伊丹市に引っ越し現在も同市在住。高校卒業後、兵庫県警警察官となり、主に暴力団対策本部の刑事として勤務。35歳の時、体を鍛える目的で入会した千里馬神戸ジムで長谷川穂積と出会い、36歳で警察官を退職しトレーナーとして共に世界を目指した。24歳の時、バンタム級で世界王者になった長谷川は以後、3階級制覇達成。2005年度、優れた実績を残したトレーナーに贈られる最高の名誉、エディ・タウンゼント賞受賞。
■穴口一輝(あなぐち・かずき)
2000年5月12日生まれ。大阪府岸和田市出身。芦屋学園高時代は選抜&国体二冠(フライ級)。芦屋大進学後は東京五輪出場を目指すも予選敗退。ボクシングから離れるも山下にスカウトされて再起。プロデビュー以来4連勝で井上尚弥4団体統一記念杯バンタム級モンスタートーナメント出場を決め、2023年12月26日の決勝ではのちWBA世界同級王者になる堤聖也と激闘を繰り広げた。同試合直後に右硬膜下血腫で意識を失い翌年2月2日永眠。生涯戦績7戦6勝(2KO)1敗。享年23歳。
記事提供元:週プレNEWS
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