“野球界のレジェンド”川崎宗則選手、ホークス入団当時を振り返り「ただただ泣いていました」<NumberTV>

「NumberTV」第18回より
プロ野球・栃木ゴールデンブレーブスの川崎宗則選手が、Leminoで4月17日に配信されたリアルドキュメンタリー番組「NumberTV」(全24回)の第18回に登場。川崎選手の知られざる苦悩と葛藤、そしてたどり着いた悟りの境地などが明かされた。(以下、ネタバレを含みます)
イチロー氏をまねて左打ちに転向した川崎宗則選手
「NumberTV」はドコモの映像配信サービス・Leminoと、数々のアスリートのドラマを伝えてきたスポーツ総合雑誌「Sports Graphic Number」の共同プロジェクトによって誕生した、トップアスリートの人生にフォーカスを当てるオリジナルドキュメンタリー。数々の苦難を乗り越えてきたプロアスリートたちが、競技人生を変えた「最大の挫折」と「復活」の物語を自身の言葉で語っていく。
川崎選手は、優れた打撃力と圧倒的なスピードで2度のWBC制覇に貢献した“野球界のレジェンド”。チームを盛り上げ、引っ張っていく姿が印象的で、“ムネリン”の愛称で親しまれている。
小学生で全国大会に出場した川崎選手は、そのメンバーがそろって進学した地元の中学校に入学。しかし、なぜかバスケットボール部に入部する。川崎選手は「『SLAM DUNK』がはやって、バスケが好きだったからですね」とひょうひょうと当時を振り返る。
その後、チームメートの説得に応じて野球部に入部するが、バンドや友人関係に興味が向いていたため、野球への熱量は2~3割になっていたという。そんな中、オープン戦で鹿児島に来ていたオリックス・イチロー氏の姿を目の当たりにした川崎選手。一瞬でとりこになり、その日からイチロー氏をまねて左打ちに転向。野球にのめり込んでいくことになる。

「NumberTV」第18回より
プロ入り後の苦悩を振り返る
中学卒業後、川崎選手が進学したのはプロ野球選手の輩出実績のない鹿児島工業高校。野球の強豪校とは言えず、甲子園には出場できなかったが、1999年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスから4位で指名。「1月の自主トレの時点で、各先輩たちとプレーさせてもらった中で『これは、とんでもない所に入ってきたな。体格も違うし、全てについていけないな』と泣いていました。ただただ泣いていました」とプロ入り当時を思い返す。
2軍で同僚と切磋琢磨した川崎選手は、ある境地にたどり着くことに。「諦め尽くしたんですね。ただ、諦め方にもいろんな諦め方があって。やっぱり(野球が)好きだから、『自分の川崎宗則の中でうまくなればいい』と思ったんです。“プロ野球選手で成功しよう”というのを諦めたんです。今でもそう。それは諦めています」と、自分なりの成長を諦めない“諦めの境地”について話した。
※川崎宗則選手の「崎」はタツサキが正式表記
【制作・編集:WEBザテレビジョン編集部】

栃木ゴールデンブレーブスの川崎宗則選手

「NumberTV」第18回より
記事提供元:Lemino ニュース
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