【劇評!】現代イギリス演劇の到達点を示す別次元の傑作『スリー・キングダムス Three Kingdoms』、日本初演が開幕!
イチオシスト

11月29日に劇作家トム・ストッパードの訃報が伝えられてからわずか3日。このイギリス演劇の巨人による『レオポルトシュタット』が2022年に上演されたのと同じ、この新国立劇場 中劇場で12月2日、現代イギリス演劇界を牽引するサイモン・スティーヴンス作『スリー・キングダムス Three Kingdoms』が初日を迎え、あざやかに私たち観客の感性を打ちのめした。12月14日(日)まで上演。
漂うデイヴィッド・リンチの霊感

ロンドンのテムズ川で女性の頭部死体がバッグに入った形で発見され、スコットランド・ヤードの刑事二人が捜査に乗り出す。デイヴィッド・リンチ監督の映画「インランド・エンパイア」(2007)からインスピレーションを受けた異様な世界観をもって、見る側の深層心理につけ込んでくる展開に、会場内は呆然とした空気が流れ、その様子は幕間におけるロビーでも明らかだった。しかしこの傑作を演劇ファンだけに供されるのがあまりにももったいない。映画ファンは決して映画の城に安住するべきではなく、今こそサイモン・スティーヴンス演劇を知るべきである。
演出を担当するのは、クシシュトフ・キェシロフスキ作『デカローグ』、トニー・クシュナー作『エンジェルス・イン・アメリカ』、ジャン=ポール・サルトル作『アルトナの幽閉者』などを、この新国立劇場で手がけてきた上村聡史。
殺人事件の捜査を描く典型的なハードボイルド・スリラーとして物語は始まるのだが、事件の背後に国際的な暗黒組織の存在が見え隠れしはじめ、ロンドンから、北ドイツの港湾都市ハンブルク、バルト三国のエストニアの首都タリンと舞台を移すうちに、異常な世界観が流れ込んできて舞台上は混濁し、現実と幻想の見分けがつかなくなってくる。
マンチェスター・サウンドの残響

被害者がポルノ映画に出演していた女性であることが判明し、捜査を開始するイグネイシアス・ストーン巡査部長(伊礼彼方)とチャーリー・リー警部(浅野雅博)の二人は、第1幕では刑事ドラマのバディ同士としてジョークもまじえつつ軽快に振る舞っていたが、だんだんとその軽快さが影をひそめ、ノワールな霧に包まれる。捜査劇のあいまに、音月桂のデカダンな歌曲ショーがインサートされて、デイヴィッド・リンチ的な夢魔へと誘い込む。
国広和毅作曲の歌曲群は、マンチェスター近郊で生まれ育ったサイモン・スティーヴンスの音楽的バックボーンを再び立ち上らせた。1970年代末以降の〈マンチェスター・サウンド〉、つまりバズコックスからはじまり、ジョイ・ディヴィジョンやア・サートゥン・レイシオ、ニュー・オーダー、ザ・スミスへと繋がっていく、北方のヒヤリとした、からっぽの空間に潜むわずかなノイズさえもまがまがしく反響させてしまう、あの異様な音世界の再現である。
歌曲を披露する音月桂の役名は〈トリックスター〉と名付けられ、戯曲原本にはこの役名は存在しない。個人的には、宝塚歌劇団の雪組トップスターだった音月桂が〈マンチェスター・サウンド〉の残響にここで出会っていることが、非常に刺激的なことだった。
ノワールな映画との親近性

今回の『スリー・キングダムス Three Kingdoms』では、「インランド・エンパイア」のデイヴィッド・リンチ、そしてレイモンド・チャンドラーの推理小説から受けた影響をスティーヴンス自身が述べている。「インランド・エンパイア」は4Kレストア版が2026年1月9日から公開されるため、この冬に併せて享受するのも一興ではないか。筆者の見立てでは、さらにデイヴィッド・クローネンバーグ、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーとの親近性も指摘できる。
クローネンバーグに「イースタン・プロミス」(2007)という映画がある。テムズ川、殺人、ロシアの犯罪組織による人身売買というノワールな記号が画面内に溢れ、英語とロシア語の併存といった言語的な混濁もふくめ、『スリー・キングダムス Three Kingdoms』の隣人と言ってもいい作品だ。また、事件の真実に近づこうとする主人公にアイデンティティ危機が迫る点も共通している。
殺伐とした大都会を舞台に、コントラストの強い照明、シャープなモノクローム画面、シニカルな男性主人公、謎めいた女性の出現――1940年代から50年代にかけてアメリカで量産されたのがフィルム・ノワールというジャンルである。『スリー・キングダムス Three Kingdoms』は明らかにフィルム・ノワールを現代ヨーロッパに移し替えた上で、思い切った抽象的なステージ設計、斜めから差し込むモノトーンの照明、幻想文学的な場面転換を加えて練り上げられている。
ダシール・ハメット原作、ハンフリー・ボガート主演の「マルタの鷹」(1941/ジョン・ヒューストン監督)が最初のフィルム・ノワール作品だと言われているが、得てしてフィルム・ノワールは事件の経過が混迷し、物語がわかりづらいものが多い。そういう意味で『スリー・キングダムス Three Kingdoms』がロンドン、ハンブルク、タリンと場所を移しながら内容が混濁していくさまは、フィルム・ノワールの伝統に適っている。
暴かれる現代社会の闇

そして西ドイツの鬼才ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの匂いも立ち込める。二人の刑事イグネイシアス&チャーリーがロンドンを発って、ドイツ北部の港湾都市ハンブルクに着陸し、現地の刑事シュテッフェンと合流したところで、いっきにファスビンダー色が濃厚になってくる。ハンブルクの歓楽地区レーパーバーンを英独3人組刑事が犯罪組織の解明を着々と進めるが、いっぽうでシュテッフェン刑事は、イグネイシアス刑事のドイツ留学時代の不祥事もめざとく調べ上げて、イグネイシアスの精神を友好的な形で追いつめていく。
レーパーバーンは東京の歌舞伎町のような地区で、ヨーロッパ最大の歓楽街として知られている。この界隈にひそむ秘密結社じみたポルノ映画製作スタジオのいかがわしい空間性に、音月桂のデカダンな歌曲が鳴り響くシーンなどは、まさにファスビンダー映画そのものである。
本作は、汚れた川の水が上流から下流へ流れていくように、欲望と権力の闇が強者から弱者へと、明るい場所から暗い場所へと流れていく構造をなす。女性の身体に対する男性の支配的な搾取構造。そして、ロンドンからハンブルクのレーパーバーン、さらにはエストニアへと西から東への場所移動によって、権力勾配、搾取構造、性差別、暴力連鎖、そうした現代社会の闇が徐々に明らかになっていく。
上流から下流へ。西から東へ。搾取する側からされる側へ。暴力を起こす側から被る側へ。この流れの矢印が誰の目にも明らかとなったとき、罪を罰する公僕としての主人公イグネイシアスの立場が逆に危うくなっていく。もはや現代社会においては、加害/被害、そして善/悪の関係値は決して固定的なものではなく、ふとしたきっかけで簡単に可逆化する。『スリー・キングダムス Three Kingdoms』の舞台は私たち観客に、そうしたあいまいな敷居の上に自分たちが立たされていることを、ノワールかつデカダンなステージ構成によって突きつけたのである。
文=荻野洋一 制作=キネマ旬報社 制作部(山田)
刑事のイグネイシアスは、テムズ川に浮かんだ変死体の捜査を開始する。捜査を進めるうちに、被害者はいかがわしいビデオに出演していたロシア語圏出身の女性であることが判明する。さらに、その犯行が、イッツ・ア・ビューティフル・デイの名曲〈ホワイト・バード〉と同名の組織によるものであることを突きとめる。イグネイシアスは捜査のため、同僚のチャーリーとともに、ホワイト・バードが潜伏していると思われるドイツ、ハンブルクへと渡る。ハンブルクで、現地の刑事シュテッフェンの協力のもと捜査を始める二人だったが、イグネイシアスがかつてドイツに留学していた頃の不祥事を調べ上げていたシュテッフェンにより、事態は思わぬ方向に進んでいくのであった。
【公演日程】2025 年 12 月 2 日(火)~14 日(日)
【会場】新国立劇場 中劇場
【作】サイモン・スティーヴンス
【翻訳】小田島創志
【演出】上村聡史
【出演】伊礼彼方、音月桂、夏子/佐藤祐基、竪山隼太、坂本慶介、森川由樹、鈴木勝大、八頭司悠友、近藤隼/伊達暁、浅野雅博
【芸術監督】小川絵梨子
【主催】新国立劇場
【チケット料金】S席 8,800円/A席 6,600円/B席3,300円/Z席(当日)1,650円
記事提供元:キネマ旬報WEB
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