エイズパンデミック:エイズウイルスはどのようにして世界中に広がったのか?(前編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
イチオシスト

アメリカ・カリフォルニア州、サンフランシスコのカストロ地区。ゲイの街として有名であり、1980年代には「エイズの培養器」というスティグマを負った地域でもある。
新型コロナパンデミックが起きるまで、筆者が専門に研究していたエイズウイルスはどのようにして世界中に広がったのか? 今回はその詳細をできるだけわかりやすく紹介する。
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【パンデミックが起きるまで】新型コロナウイルスに近縁な、重症急性呼吸器症候群(SARS)の原因ウイルスであるSARSコロナウイルスは、2002年末に中国・広東省の広州に突如出現した。
それは2003年に、香港を玄関口として、ベトナムやシンガポールなどの東南アジアの国々に広がり、カナダやドイツなどの欧米の国々にも飛び火した(77話)。
しかし、SARSのアウトブレイクは、世界保健機関(WHO)の迅速な対応の甲斐あって、パンデミックに至ることなく封じ込めに成功している。
一方、新型コロナウイルスは、2019年末に中国・湖北省の武漢に突如出現し、2020年前半に瞬く間に世界中に広がり、パンデミックとなった。
それでは、新型コロナパンデミックが起きるまで、私が専門に研究していたエイズウイルス(ヒト免疫不全ウイルス/HIV)は、どのようにして世界中に広がったのだろうか? 実はこれは、かなり細かなところまで明らかになっている。今回のコラムでは、それを紹介してみようと思う。
ちなみに最初に述べると、これはコラム用にかなり簡素化してまとめている。もしこのストーリーに興味が湧いたら、きちんと体系的に(そしてかつ、引用文献も紐づけて)書いてある2冊の名著、『スピルオーバー』(デビッド・クアメン著、甘糟智子訳/明石書店)と、『エイズの起源』(ジャック・ペパン著、山本太郎訳/みすず書房)をオススメしたい。
【① チンパンジーからヒトへ】この連載コラムの5話でも触れているように、エイズウイルスは、チンパンジーからヒトの世界へ「スピルオーバー(異種間伝播)」することで誕生した。
その舞台は、カメルーンの南部からザイール(現在のコンゴ民主共和国)の北部と言われている。この場所で拾われたチンパンジーの糞から見つかったウイルスが、エイズウイルスにいちばん似ていたからだ。
ヒトの世界への侵入方法については明確な証拠はないが、この地域では「ブッシュミート」と呼ばれる野生の肉が売買されていた。その中には、チンパンジーやゴリラなどの類人猿の肉も含まれていることがわかっている。
そのため、エイズウイルスの祖先たるウイルスに感染していたチンパンジーの肉が売買された際、あるいは、その肉を解体する際などに浴びたであろう返り血を介して、ヒトの世界(あるいは、人間のからだ)に侵入してきたのではないか、と推定されている。
しかし、チンパンジーのウイルスがヒトに侵入してきた時期についてははっきりとはわかっていない。
一方で、ウイルスの変異の頻度から、ウイルスの進化年代を推定する手法があるが、この方法を使うと、現在から約100年前の1920年くらいには、エイズウイルスはすでに、アフリカのこの国々で広がり始めていたのではないかと考えられている。
【② アフリカ大陸にて】エイズウイルスは、最初は、カメルーン南部からザイール北部の農村に、ひっそりと存在していたのだろうと推察される。
この地域はマラリアなど、ほかにも致死性の感染症がたくさんある。また、おそらく栄養状態や衛生状態もいいものではなかった。そのため、仮にいくらかの人が奇妙な死に方(つまりエイズ)をしても、それはほとんど気に留められることはなかったのかもしれない。
しかし、国の発展に伴って、農村地域から都市に人が集まり始める。その中心のひとつとなったのは、ザイールの首都であるレオポルドヴィル(現在のキンシャサ)。
そこにはおそらく、農村地域でエイズウイルスに感染してしまっていた後に上京した人たちも含まれていたのだろう。エイズは性感染症である。大都市では売春が横行し、感染は急拡大する。ちなみに、現在見つかっている最古のエイズウイルスの配列は、1959年に採取された検体から見つかっている。
【③ アフリカ大陸からハイチ、そして新世界へ】その後、エイズウイルスは、都市の開拓のために作られた道路や水路を介して、アフリカ大陸のほかの都市に広がっていった。各地方都市では性産業が発達し、それがウイルスの拡大を推進するハブとなった。
それでは、エイズウイルスは、どのようにしてアフリカ大陸から脱出したのか? 実はこれもわかっている。
当時、ザイールに出稼ぎに来ていた、カリブ海に浮かぶハイチという国の労働者が、このウイルスに感染し、それを自分の国に持ち帰ったのである。1960年の前半には、エイズウイルスがハイチに侵入していたことがわかっている。
それでは、このカリブ海の小さな島国から、ウイルスはどのようにして世界に拡散されたのだろうか?
エイズウイルスは、ハイチを中継地として、アメリカへと広がっていった。ここで重要な役割を果たしたのが、アメリカからやってきたゲイの人たちだといわれている。1970年代当時、ハイチはゲイ・パーティーのホットスポットのひとつであり、アメリカの大都市からのツアーが多数組まれていた。
このパーティーに参加していた人たちが、ウイルスを受け取り、アメリカに持ち帰ることになった。そして数あるアメリカの大都市の中でも、エイズの「グラウンド・ゼロ」と呼ばれるのが、サンフランシスコのカストロ地区である。
2023年の秋にサンフランシスコを訪問した際、私もここを訪れたが(63話)、カストロ地区は今でも、ゲイの人たちが集まる場所となっている。
2020年代になっても、カストロ地区から「ゲイの街」という看板は外されていない。それはひとつの文化としてこの場所に根付いていて、「エイズや、カストロ地区の歴史について理解するための博物館」まである。

LGBTQおよびカストロ地区の歴史に焦点を当てたミュージアムもあり、そこではエイズの研究の歴史についても紹介されている。つまり現在では、カストロ地区はエイズのスティグマを見事に克服し、エイズ(研究)のメッカ、あるいは情報発信地として認知されている。
これは余談になるが、感染症の記憶が積極的に抹消される傾向にあることは、この連載コラムでも触れたことがある。新型コロナ(26話)やSARS(77話)の記憶は、積極的に抹消される傾向にあり、それを伝承するための「物語(ナラティブ)」がなぜか形成されづらい。
しかし、興味深いことだが、エイズの場合には、それが当てはまらないようだ。新型コロナやSARSとは違い、エイズの記憶はきちんと記録され、「物語」として語り継がれている。
※後編に続く
文・写真/佐藤 佳
記事提供元:週プレNEWS
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