【サッカー日本代表 板倉 滉の「やるよ、俺は!」】第27回 板倉 滉が「プロ」になった瞬間。1年目の苦悩
2016年5月25日ナビスコカップで公式戦デビューを果たした板倉 滉
今や、北中米W杯アジア最終予選では安定した守備で絶対的な存在の板倉。だが、川崎フロンターレのトップチームに加入した1年目の出場機会はゼロ。どん底からどう這い上がったのか、そのプロセスを聞く。
■高かったプロの壁と苦悩の〝10円ハゲ〟ここのところ、得点感覚が着実に研ぎ澄まされているように感じる(日本時間10月31日・DFBポカール杯2回戦、対フランクフルト戦での左足ボレーによるゴール)。
ただ、僕自身はDFなので、あくまでチームを勝利に導くオプションのひとつとして役立ちたいという思いに尽きる。
今回のテーマはプロ1年目の記憶。入学1年目、あるいは入社1年目、壁に当たって苦労する人は多いと思う。僕も公式戦デビューを飾るまでは1年半ぐらいかかり、とてつもなく長い、苦闘の日々を過ごした。
長く暗いトンネルを抜け出すにはどうしたらいいのか、自分の経験を振り返りながら考えてみたい。
川崎フロンターレのトップチームに加入したのは2015年。高校時代、ユースに在籍しながら、トップチームのキャンプにも参加したことはあったけど、昇格を確信していたわけではなかったし、何より小さい頃から在籍したクラブでのトップチーム入りということで、念願のプロ加入となった。
当時は一日でも早く試合に出て、憧れの選手たちと共に活躍したいと意気込んでいた。
だが、キャンプでの数日間はしょせん〝体験イベント〟に過ぎなかったことを痛感させられる。いざ練習に参加したところ、まったくついていけなかったからだ。
まず、プレースピードが格段に違っていた。技術や判断力も想像をはるかに超えていた。何もかも必死で、情けないぐらい動けない。パスのタイミングを外そうものなら「おまえ、ここはユースじゃねえんだぞ!」と(中村)憲剛さんから烈火のごとく怒られた。
「ミスしちゃダメだ」と変に緊張してしまい、ますます自分を抑制していく。それまでの自分ならば難なくこなせた場面でもミスを連発。おびえに近い感情が湧き、完全に負のスパイラルへ陥った。そんな調子だから、当然紅白戦にすら出られず、チームでは最底辺をさまよった。
しばらくすると、いよいよ朝を迎えるのがつらくなった。「今日も練習か......」と、ストレスがピークに達して、 〝10円ハゲ〟ができたことも。自分がみじめだった。
■サッカー選手として進化した瞬間そんなどん底の状況からどうやって這い上がれたのか。ひとつは、どんなにきつくても練習を休まなかったことだ。休めば確かに楽。でも、自分は幼少の頃から、休むという考えは持たないできた。
たまに〝ずる遅刻〟はしても、決して〝ずる休み〟はしなかった。一度でも休んだら、そこで完全に自分に負けたことになると思うから。
「継続は力なり」ではないが、全体練習が終わった後、毎日コーチに付き合ってもらい、最後まで残って個別練習に取り組んだ。基本である〝止める・蹴る〟や、1対1の守備を徹底的にこなした。全体練習と違って、周りに劣等感を抱かなくて済むのも救いだった。
先輩たちの優しさに助けられたことも這い上がれた要因だ。チームで一、二を争うへたくそであっても、ずうずうしいくらいに先輩たちへ「ごはん行きましょうよ、連れていってくださいよ」と声をかけ、一緒に食事をさせてもらった。そこで聞くアドバイスが成長の糧になった。
2年目を迎えると、少しずつチームに打ち解けてきたこともあり、積極性が出てきた。練習時には、当時の攻撃の要である(大久保)嘉人さんや(小林)悠さんにもファウルすれすれのスライディングをかましてボールを奪いに行った。
もちろん、嘉人さんも黙ってはいない。全身を使ってダイビングアタックしてくる。悠さんも激高して、「コノヤロウ!」と。でも、ひとたびピッチを離れればふたりとも面倒見は良く、優しかった。
悠さんは「滉、いいじゃん。もっとガツガツ来いよ」と声をかけてくれた。憲剛さんも、僕が落ち込んでいるときに「ちょっと来いよ」と一緒にジョギングしながら、いろいろアドバイスをくれた。当時の先輩たちは代表でも活躍、まさにトッププレーヤーぞろい。本当に恵まれていた。
公式戦デビューとなった16年5月25日・ナビスコ杯第6節、ベガルタ仙台戦は今でも忘れられない。試合直近でいきなり風間八宏監督(当時)から声がかかり、訪れたチャンス、めちゃめちゃテンパった。
前日練習はあまりの緊張で硬くなり、頭も体も働きが鈍って、プレーがちぐはぐになってしまった。風間監督からは何度も怒られて、いっそう不安になった。
だが、いざ試合に入ったら、確かな手応えを感じた。むしろ余裕を持たせたプレーもできた。ゲームを思いっきり楽しめたのだ。自分が選手として一気に進化できたような気がした。
練習を続けていたこと、何よりも先輩たちに支えてもらったことが大きかった。未熟ではありながらも、日頃からの蓄積が結果として表れた。
ふと思うときがある。現在の僕と全盛期の憲剛さんと組んだらどうなるのかと。例えば、僕がセンターバックとして構えて、ボランチに憲剛さんがいるという縦の関係性。今なら憲剛さんの言うことを瞬時に理解して即座に反応、いいゲームの組み立て方ができるような気がする。
日本代表では、北中米W杯アジア最終予選・インドネシア戦に続き、アウェーの中国戦(11月19日)が間近に迫っている。初心を忘れることなく、しっかり勝ち点をつかみたい。
板倉 滉
構成・文/高橋史門 写真/AFLO
記事提供元:週プレNEWS
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