【試乗】ボンドカーにもなった名車「トヨタ 2000GT」LFAへと繋がり2.1億円の価値を誇る「伝説の国産スポーツカー」の真実
イチオシスト
1960年代にトヨタとヤマハが共同開発し、今や100万ポンド(2.1億円)にも迫る価格で取引される伝説のスポーツカー「トヨタ 2000GT」。レクサス LFAへと連なるトヨタの「ムーンショット(前人未到の挑戦)」の原点であり、映画『007』のボンドカーとしても世界を熱狂させた名車のステアリングを、英国トップギアのジャーナリストが握った。現代の基準でも色褪せない緻密なエンジニアリングと、息を呑むほど美しい走りの真価に迫る。
「世界で最も重要な自動車メーカーのひとつにとって、純金のように輝く最高到達点」
そもそもこれは何なのか?
2001年5月、トヨタ自動車のエンジニアリング部門の静かな一角で、提案されたスポーツカーのプロジェクトリーダーである棚橋晴彦は、自身の車の狙いを経営陣に説明するための内部向けブリーフィング資料を作成していた。だからこそ、それは説得力のあるものでなければならなかった。その表紙を飾っていたのは、トヨタのF1マシンと、トヨタ 2000GTだった。
その提案こそが、後にレクサス LFAとなる車のものであった。歴史が記録している通り、2001年当時は希望に満ちていたF1という冒険は、LFAの長い開発期間が終わる前に不名誉な結末を迎えてしまった。しかし、今回我々が語るのは、表紙を飾ったもう1台のトヨタ、2000GTについてである。
1960年代半ばにおいて、それはトヨタにとってのムーンショット(※1)であった。エンジニアリングの奥深さ、パフォーマンスの純粋さ、そしてただの「辛うじて公道を走れる程度の騒々しいサーキット専用車」ではなく、洗練され、上品で、視覚的な歓びをもたらす存在であったこと。これらはすべて、LFAと共通する特徴である。そして、1960年代後半のポルシェ 911をはるかに凌ぎ、現在では100万ポンド(1億9100万円)の扉を叩くほどの、あのとんでもない価格も。
LFAと同様に、2000GTはトヨタという企業、そして日本の全産業界の対外的な認知度を引き上げる役割を果たした。そして、日本の文化において同じくらい重要なことだが、社内において最高の栄誉を与えられたのである。
少し歴史を教えてほしい
1966年に東京で開催された見本市(※2)で公開され、1967年に発売された。トヨタが自動車の販売を始めてからわずか10年しか経っていなかったアメリカで、この車がどれほどのインパクトを与えたか想像してみてほしい。最初から超限定生産になる運命であり、わずか337台しか製造されなかった。
最も有名なのは、ボンド映画『007は二度死ぬ(You Only Live Twice)』でショーン コネリーが特注のコンバーチブルモデルを運転したことだろう。007のために特別な車を作るのはアストンマーティンだけだと思っていたのではないだろうか。
BMW 507を手がけたアルブレヒト グラフ フォン ゲルツが、初期のデザインワークを担当した。あまり知られていないのは、彼がヤマハとの契約の下でそれを行ったということだ。当時ヤマハは、自社のエンジンを積むための車両として、日産にそのデザインを提案していたのである。
しかし日産が手を引いたため、ヤマハはトヨタに話を持ちかけた。ヤマハの思惑通り、2000GTの製造は契約の下でトヨタに委託されることになった。(ちなみにヤマハはLFAのエンジンも製造している)。開発はトヨタのモータースポーツ担当役員であった河野二郎(※3)と、チーフデザイナーの野崎馨を含むごく小さなチームに託された。そして結果として、センセーショナルなほど美しい車が完成したのである。
その素晴らしい洗練性にもかかわらず、この車は本当にレースを念頭に置いて開発されていた。そして実際に好成績を収め、アメリカではキャロル シェルビーがチームを率いて参戦した。さらに、平均速度207.4km/h(128.87mph)での1万マイル(約1万6093km)走行など、数多くの長距離スピード記録も打ち立てた。
テクノロジーはどうだった?
エンジンはまさにエンジンらしい見た目で、美的な愛らしさも兼ね備えていた。時計職人のような緻密さを持つ、小ぶりな排気量2.0リッターの直列6気筒ツインカム(DOHC)に、3基のダブルバレル キャブレターを組み合わせている。これで6,600rpmで150馬力を発揮するには十分であり、レッドラインは7,000rpmに設定されていた。そこには、日本のモーターサイクル用エンジンが持つ、目に見える素晴らしい精密さがあった。ホンダ CBXを思い浮かべてほしい。ただし、カムの駆動と取り出し口は中央ではなく端にあるが。その後ろには5速マニュアルトランスミッションが組み合わされていた。
上から見たシャシーフレームは「X」の形をしており、鋼板で作られ、オリジナルのロータス エラン(※4)のものとよく似ていた。エンジンとギアボックスはX字のフロントフォークの間に抱きかかえられるように配置され、デフはリアに収まっていた。四隅すべてにダブルウィッシュボーン式サスペンションが懸架され、4輪ディスクブレーキも備わっていた。ちなみに、フェラーリが四輪独立懸架リアサスペンションに切り替えたのは、まさにこの年になってからである。
このローリングシャシーの上に乗せられたのが、ゴージャスなアルミニウム製のボディワークだ。これにより、重量は1,120kgに抑えられている。全高はわずか1,170mmで、最も低いジャガー Eタイプ クーペよりもさらに50mm低い。
インテリアはどう?
低くて狭いため、体を折りたたむようにして乗り込まなければならないが、一度中に入ってしまえば、この車を快適に「着こなす」ことができる。あなたが背が高くない限りは。おそらくそれが、コネリーにオープントップが必要だった理由だろう。
当時としては非常にラグジュアリーだった。ヤマハのモーター部門はヤマハのピアノ部門からスピンオフしたものだが、当時はすでに別会社となっていた。それでも、トヨタは新しい車のために、ピアノ職人たちに美しいウッドダッシュボードを作らせたのである。
当時の装備としては、電動アンテナのスイッチが付いたプッシュボタン式のAMラジオがあった。ハンドブレーキは傘の柄のようなステッキ型をしている。ダッシュボードの中央には、アンメーター(電流計)、水温計、油温計、油圧計、燃料計という、クロームリングで縁取られた5つのメーターが一直線に並んでいる。さらに2つの時計があり、そのうちの1つは高度計スタイルのストップウォッチだった。
そして目の前には、はっきりと見やすいスピードメーターとタコメーターがある。3つのスライダーでヒーターと換気をコントロールしたが、エアコンはなかった。だから汗をかいたら、リアの三角窓(クォーターライト)を開けるしかなかったのだ。
前評判は上々だ。走りはどう?
最初は機械的な音がした。カムとチェーンの唸り音に、音域の低音側に位置する滑らかなエキゾーストのボロロロという音が重なる。少し回転を上げると、それは愛らしい咆哮へと姿を変えた。正真正銘の直列6気筒のバランスだ。もちろん、この個体の常軌を逸した価値と、エンジンの金属が60年前のものであることを考慮し、きっちり7,000rpmまで回すリスクは冒す価値がないと判断したため、5,500rpmあたりでやめておいた。
その時点でも、車はまだ力強く加速し続けていた。当時のアメリカの雑誌がテストを行ったところ、96km/h(60mph)まで10秒弱、SS1/4マイル(ゼロヨン、約402m)は17秒未満という記録を出している。今となってはこれをスーパーカーの数字と呼ぶつもりはないし、実際に重量もパワーも非常に近かった同時代のポルシェ 911 2.2Sのほうが、出足も鋭く、ゼロヨンでも2秒ほど速く、トラップスピード(ゴール通過時の速度)も非常に近かった。これらはすべて、トラクションの良さと一致している。
その短いシフトレバーは、シフトチェンジの感触をよく物語っていた。極めて精度の高い軽量なメカニズムだ。マツダ MX-5(ロードスター)を思い浮かべてほしい。
ダラダラと走っていると、ステアリングには少し摩擦(フリクション)があり、もちろんパワーステアリングがないため、極低速では重み(手応え)がある。しかし一度走り出せば、そのフィーリングは愛らしく、グリップ感をリアルに感じ取ることができた。細身の165/15サイズのタイヤを考えれば、驚くほどしっかりとしたグリップである。
コーナーへさらにハードに飛び込んでいくと、あなたのコマンドに対する正確な応答という形で報われる。ステアリングのコマンドだけでなく、スロットルのコマンドに対してもだ。ノーズをイン側にねじ込み、テールを外側へと押し出す。ブレーキング時には少し蛇行するが、ペダルの感触は安心感のあるものだった。
だから、車全体がドライバーと繋がり、洗練されていると感じられた。真のエンジニアリングの結晶である。
結論は?
膝が震えるほどの美しさと、機械的スペックにおける卓越性。これらは、車をクラシックカーのヒエラルキーのかなり上位へと押し上げる。そして製造品質も。興味深いバックストーリーと歴史的意義。レースの歴史と、レッドカーペットを歩く映画での役割。それに加えて希少性。2000GTは、そのすべての項目にチェックを入れる(条件を満たす)のだ。
さらに、あらゆる次元においてただただ歓びとなるドライビング体験が、それを裏打ちしている。2000GTは、世界で最も重要な自動車メーカーのひとつにとって、純金のように輝く最高到達点なのである。
【補足・注釈】
※1 ムーンショット:前人未到の困難な挑戦のこと。アポロ計画に由来する。
※2 1966年に東京で開催された見本市:原文ママ。正しくは1965年に開催された第12回東京モーターショーでプロトタイプが初公開された。
※3 河野二郎:トヨタ自動車のエンジニア。初代クラウンの開発などに携わり、2000GTの開発リーダー(主査)を務めた。
※4 ロータス エラン:1962年に登場したイギリスのライトウェイトスポーツカー。X字型(バックボーン)フレームを採用し、その後のスポーツカーに多大な影響を与えた。
※5 ユーロミリオンズ:ヨーロッパで販売されている人気の数字選択式宝くじ。
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=海外の反応=
「息を呑むほど美しい」
「見ているだけで愛らしいし、このレビューやグランツーリスモで運転した経験から判断すると、運転しても楽しいんだろうな。残念ながら昨夜もユーロミリオンズ(宝くじ)の番号は当たらなかったけど」
「記憶が正しければ、撮影スタッフがボンド映画の撮影を楽にするために屋根を切り取ったんだよね。屋根を切った後に補強を加えなかったから、セットで車がバラバラになりかけたとか。それでもやっぱり美しい車だ。ヘッドライトのサングラスのようなフレーミングは、本当に唯一無二のデザインの特徴だね。1960年代にはBMWにも似たようなクーペがあったけど(ヨーロッパで1台しか見たことがないが)」
「これまでに作られた車の中で最も美しい車のひとつだな」
「ジャガー Eタイプよりも格好いい…」
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