メルハバ! べニム・アドゥム・ケイサトウ!~イスタンブール(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
イチオシスト

ボスポラス海峡の夕景。左側がアジアで、右側がヨーロッパ。その両岸を、「7月15日殉教者の橋」がつなぐ。
イスタンブール工科大学で行なわれる学生主体の研究集会での講演が、今回の出張のメインイベント。正直ちょっとナメていたが......。
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【学生主体の研究集会】さて、本来の目的である、学生主体の研究集会。分野は違えど、生命科学のいくつかの分野で著名な(のであろう)研究者たちが寄り集められた、ちょっと変わった研究集会である。
ちなみにイスタンブール工科大学は、創立251年(!)、東大よりも100年以上長い歴史ある大学で、オスマン帝国時代に創立された由緒と歴史ある大学だという。
ちなみに大学のロゴがミツバチなのだが、この理由を、ぺリンをはじめいろいろな人に訊いてみたのだが、だれも答えを知らなかった。なぜミツバチ......。

イスタンブール工科大学のロゴ。なぜミツバチなのかは、誰に訊いてもわからなかった......
学生主体の研究集会、と聞いて、正直ちょっとナメていたのだが、ところがどっこい、かなり大々的で本格的なイベントだった。大学生が500人近く参加する大きなイベントで、しかも学生たちは、アメリカのドラマでよく見かける「プロム」のように着飾っていた。
そんな自由な雰囲気があふれる一方で、シンポジウムが始まるときには、全員起立し、緊張の面持ちで国歌斉唱するあたり(壇上のスライドでは、はためくトルコ国旗の映像が延々と流れている)、国によって文化やスタイルはやはりさまざまなのだなと痛感した。
――さて、私の講演である。実は私は、海外で、特に英語圏ではないところで講演する際に心がけていることがひとつある。それは、私の講演の時間が始まり、司会役の座長が私の紹介を終えた後、開口一番に、
「こんにちは、私は佐藤佳です」
というフレーズを、英語ではなく、その国の言葉で言ってみることである。覚えているかぎり、ドイツ、フランス、韓国で試したことがある。これの面白いのは、国によって反応がまるで違うことだ。
韓国は比較的好意的で、「おお~......」というどよめきが起きることもある。しかし、韓国は得てして礼節をやや過剰に重んじる傾向にあるので、過度にカジュアルな賞賛が起こることはまずない。
ドイツはだいたい、「ほーん、で?」という感じ。
そして、何度も試したことがあるが、経験上、いちばんの塩対応はダントツでフランス。今回のイスタンブール出張前の、フランス・パスツール研究所での講演の時(153話)にももちろん試したが、基本的にリアクションがまったくない。皆無である。
彼らにはおそらく、「外国人が頑張ってフランス語(彼らにとっての母国語)を話してくれている」ということに対して、感謝・礼賛・賞賛の念を持つ、という価値観がないのかな、と思っている。
そして、初めて試した今回のトルコ語での自己紹介であったが、これが過去最高にウケた(ちなみに今回のコラムのタイトルは、「こんにちは! 私は佐藤佳です」のトルコ語訳)。数百人の学生や教員たちが歓声を上げ、それだけでスタンディングオベーションまでしちゃいそうなくらいの大拍手である。
これには私もさすがに面食らったが、こういう反応をもらえるのはもちろん悪い気はしない。その後は気を良くして発表をこなし、発表後には、たくさんの学生たちに囲まれてたくさんの質問を受けた。
【ボスポラス海峡クルーズ】研究集会が終わると、「エクスカーション(ちょっとした観光イベントみたいなもの。海外の研究集会に参加するとよくある)」として、参加者全員でボスポラス海峡のクルーズへ。
ふと気づいたのだが、ここのところ、ケンブリッジのケム川(144話)、パリのセーヌ川(153話)、そして今回のイスタンブールのボスポラス海峡と、なにやらボートにまつわるイベントが多い。
ボートの上でも、たくさんの学生が入れ替わり立ち替わり私の回りに集まってきて、いろいろな質問やコメントをしてきた。
「アニメは好き? 私は『千と千尋の神隠し』(ちなみに英語では『Spirited Away』と言うらしいのだが、私もトルコ人の彼もそれを知らない。なのでググって、出てきた画像を見て理解した)が好きだけど、あなたは?」「その髪型カッコいいね」「若く見えるね!」といった小咄的な内容から、「どうやって生物学を学べばいいですか?」「なぜウイルス学者になろうと思ったのですか?」という真面目な質問まで。
男女問わず、トルコの子たちはとにかく人懐っこい。「X(旧ツイッター)フォローしてます」「ツーショットで写真撮ってください」という、ちょっとした人気者になったような気分を味わうこともできた。
ボートツアーの後、フランス・パリ工科大学、ドイツ・ハイデルベルグ大学、アメリカ・スタンフォード大学の研究者たちと連れ立って、夕食に出かけることになった。クルーズも盛り上がったが、やはりイスラム教の色が濃いトルコでは、こういうイベントにアルコールは出てこない。
というわけで、みんなでビールを飲もう! と、勢い勇んでイスタンブールの街を練り歩く。
そのうちのひとりがベジタリアンで、彼に気を遣って選んだのはメキシコ料理店。そして注文するときに気づいたのだが、そこは「ムスリム(イスラム教)」の店で、アルコールの提供がないのだった。
ビールを飲みに来たはずなのに、そこで「じゃあ店を変えようぜ」と言い出すほどの仲でもない距離感の人たちの集まりである。誰もそれに不満を漏らすことはなく、各々が淡々とコーラや炭酸水を注文した。
食事を終えて店を変え、ビールを飲みながらもいろいろな話をした。間近に控えたアメリカ大統領選挙の話や、日本の回転寿司の話など、いろいろな話に花が咲いたが、そんな中で、ハイデルベルグの研究者がこんなことを言った。
「パンデミックで、『良い意味』で変わったことがひとつある。それは、ヨーロッパ、ドイツ、あるいはすくなくともハイデルベルグでは、市中でマスクをすることがタブーではなくなった、ということだ。
これまでは、『マスクをしている人』は『病気の人』と同義だった。それが、『感染予防のためにマスクをつける』『人にうつさないためにマスクをつける』という価値観が生まれたことで、咳が出るときに『マナー』としてマスクをつける、という文化が市民権を得た。
これのおかげで、マスクをしながら外出するのもおかしなことじゃなくなったし、高齢者が近くに来たときにマスクをつけると、『ありがとう』と言ってもらえるような文化が生まれた。これは間違いなく『良いこと』だ」
マスクをつけることがパンデミック前から常態的だった日本からは見えない、新しい価値観の誕生である。
【旅路を終えて】ようやく時差ぼけも解消されつつある中、翌早朝の便で、フランクフルトを経由して帰国。午前3時前に起床し、帰宅したのは午前10時過ぎ。およそ丸一日の旅路である。
羽田から東京の自宅へ。不要な荷物を置いて、小さめの黒のスーツケースに持ち替える。東京・白金台のラボに立ち寄って必要な荷物をかき集め、品川から東海道新幹線に乗って名古屋へ。明日からは日本ウイルス学会学術集会が始まる。
文・写真/佐藤 佳
記事提供元:週プレNEWS
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