「長嶋茂雄っていう野球選手がいたことを忘れてもらっちゃ困るよね」【対談 芸人・玉袋筋太郎×スポーツライター・元永知宏】
イチオシスト

玉袋氏(写真左)と元永氏(写真右)の対談は、「スナック玉ちゃん赤坂本店」にて行われた
今年6月に逝去された長嶋茂雄氏のお別れの会が開催されている本日11月21日、週プレNEWSにて昨年8月より配信した連載「長嶋茂雄は何がすごかったのか?」をまとめた書籍『長嶋茂雄が見たかった。』が刊行された。
この本の著者・元永知宏氏と、大の野球好き芸人・玉袋筋太郎さんとの対談が実現。日本の野球界をリードし続けた「ミスタープロ野球」に感謝と哀悼の念を抱きつつ、改めて"プレーヤー・長嶋茂雄"の偉大さを語り合っていただいた。
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元永 プロ野球や大相撲、格闘技にも詳しいことで知られる玉袋筋太郎さんは1967(昭和42)年生まれ。長嶋茂雄さんのプレーを見た記憶はありますか。
玉袋 うちの親父が野球好きだったから、ちっちゃい頃から後楽園球場に行っていたことは確か。でも、ホームランをバカバカ打つ王貞治さんのほうに関心がいっていたね。
親父や年上の人たちが長嶋さんで熱狂していたことは覚えているよ。でも、うちの親父は巨人が負けそうになると機嫌が悪くなって、6回ぐらいで帰っちゃう。
元永 1974(昭和49)年10月14日に行われた引退試合、あの伝説的な名スピーチは、何度も繰り返し繰り返し放映されました。
玉袋 そうそう。あのスピーチは泣いたよね。あとは『巨人の太陽』って覚えてる? 梶原一騎先生が原作の漫画があったんだけど、あれも印象に残っているよ。
元永 長嶋さんと同世代の人はもちろん、当時のプロ野球ファンはみんな、「長嶋茂雄はすごい!」と認めていました。でも、2025年の今、長嶋さんの野球選手としてのすごさを語れる人がどれだけいるんだろうかとイチ野球ファンとして考えました。
玉袋 それで、当時を知るチームメイトやライバルに取材したんだね。
元永 そうなんです。語り継がれてきた「長嶋伝説」ではなく、長嶋さんと対戦した人、チームメイトだった人の話を集めました。

玉袋 俺は本になる前に原稿を読ませてもらったけど、どの人の証言も濃厚だったよ。人間・長嶋茂雄の姿も浮き彫りになるし、プレーヤーとしての本当にすごさもよくわかった。
元永 どんなエピソードが印象に残っていますか。
玉袋 大洋ホエールズのキャッチャーだった土井淳さんとバッターボックスで会話をしていたのを知って驚いたよ。
元永 巨人で三遊間を組んだ黒江修透さんの証言も長嶋さんの人柄を表すものでしたね。
玉袋 黒江さんとか高田繁さんみたいに一緒に戦った人にしかわからないことがある。パ・リーグ王者として日本シリーズに出てV9時代の巨人に負け続けた阪急ブレーブスの長池徳士さんの証言にはしびれたね。「試合前に巨人の選手たちがバスから降りてくるのを見てカッコいいと思った」というやつ。同じプロ選手にそう思わせることなんか、普通だったらできない。あとは、ヤクルトの名捕手だった大矢明彦さんの分析。
元永 「長嶋さんの閃きはカン(勘)ピューターだとよく言われたけど、絶対に自分なりにデータを持っていたはず」という証言ですね。
玉袋 長嶋さんはもう亡くなっちゃったから確かめようがないんだけど、そのあたりはファンタジーだよね。他チームの選手に送ったメッセージも深いよね。ヤクルトのエースだった松岡弘さんに「俺はプロだから、ど真ん中のボールは打てない」と言ったらしいけど、それは、長嶋さんにしか言えない名言じゃないかな。大矢さんに言った「ヤクルトを阪神みたいなチームにしちゃダメだぞ」という言葉もいいね。
元永 長嶋さんの巨人の先輩である広岡達朗さんに率いられて、ヤクルトはその後日本一になりましたから。
玉袋 長嶋さん自身が覚えていなくても、言われた人の心にはずっと残っているんだろうな。スーパースターの何気ない一言が、聞いた人の心を突き刺すことがある。
元永 プロ野球ファンには、長嶋さんによって植えつけられた価値観があって、それに悩まされたり翻弄された選手がいるんじゃないかとも思います。たとえば「巨人のサードは強打者じゃないといけない」。
玉袋 確かにそう。長嶋さんが守った巨人のサードは聖域だったからね。原辰徳さんにしても中畑清さんにしても、どうしても長嶋さんと比較されて、どれだけいい成績を残してもどこか頼りないと思われていたもんな。野球選手にとっては宿命みたいなものだったのかも。長嶋さんが選手にも野球ファンにもいろいろな魔法をかけたまま、逝っちゃった......。
元永 魔法はまだ解けていないような気がします。
玉袋 俺は1967(昭和42)年生まれで、還暦が見える年齢になってきた。振り返ってみたら、長嶋さんが活躍した昭和30年~40年代は終戦からそんなに時間が経ってなかったんだよね。親や教師にぶん殴られるのも当たり前の時代だった。

元永 日本は今ほど豊かでも便利でもなかったし、汗水たらして働くことが美徳とされていました。
玉袋 ワークライフバランスなんて言葉もなかったしさ。肉体労働をしている人も多かった。一日中働いたあとに、巨人の試合を見ながら一杯やって、疲れを癒やす――そんな時代の空気に長嶋さんはピタッとはまったんだろうな。
元永 みなさんの証言に共通する長嶋さんのイメージは、明るい、前向き、元気というポジティブなものですね。
玉袋 能天気に思えるような、底抜けのエピソードばかりだもんな。それがまたいい!
元永 長嶋さんの近くにいるだけで元気になると、みなさんが言っていました。この本を読んだ60代~80代の方には「俺の見た長嶋はもっとすごかったんだよ」と言ってほしい。
玉袋 「お前は見てないだろうけど、もっとすごかったよ」という話をもっと聞きたいな。この本を読んでいる時にちょうどワールドシリーズが行われていたんだよね。大谷翔平もとんでもない活躍をしたし、山本由伸は本当にすごかった。だけど、長嶋さんがいなければ彼らがこうしてメジャーリーグでプレーすることはなかったかもしれない。
元永 長嶋さんがプロ野球を国民的な娯楽につくりあげたから、多くの名選手が生まれた。野茂英雄さんがアメリカ中を席巻し、イチローさん、松井秀喜さんが続いた。そういう歴史があります。
玉袋 親父世代の人たちは「長嶋がすごかった! 王もすごかった!」と言う。だけど、イチローや大谷が出てきた。これからもいい選手が生まれるはずだよ。上書きはされちゃうんだけど、それは時代が動いているということ。でも「日本の野球の源流は何か?」は知っておいてほしい。
元永 今の現役の選手たちは長嶋さんのプレーを見たことはないでしょう。巨人の監督だったのも、24年も前のことですから。
玉袋 〝血中長嶋濃度〟がゼロの選手やファンがいるのは仕方がないけど、長嶋茂雄という野球選手がいたことを忘れてもらっちゃ困るよね。
元永 日本の野球の歴史と合わせて、長嶋さんのことを理解してほしいですね。
玉袋 そう。日本人がどんどんメジャーリーグに行く今だからこそ、長嶋さんのことを学び直してほしい。新しい発見がきっとあるはずだから。

●玉袋筋太郎(たまぶくろ・すじたろう)
1967年、東京生まれ新宿育ち。高校卒業後、ビートたけしに弟子入りし、1987年に水道橋博士とお笑いコンビ「浅草キッド」を結成。2020年、独立しフリーに。著書に、『粋な男たち』『美しく枯れる。』(KADOKAWA)、『スナックの歩き方』 (イースト新書Q)、『新宿スペースインベーダー 昭和少年凸凹伝』(新潮文庫)など。そのほか、『町中華で飲ろうぜ』(BS-TBS)、『金曜ワイド ラジオTOKYO えんがわ』金曜パーソナリティ(TBSラジオ)などでも活躍中。スナック好きが高じて赤坂見附に「スナック玉ちゃん」を開業、自身も不定期で店に立つ。一般社団法人全日本スナック連盟会長。
●元永知宏(もとなが・ともひろ)
1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、出版社勤務を経て独立。著書に『期待はずれのドラフト1位』『敗北を力に!』『レギュラーになれないきみへ』(岩波ジュニア新書)、『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社+α文庫)、『トーキングブルースをつくった男』(河出書房新社)、『荒木大輔のいた1980年の甲子園』『近鉄魂とはなんだったのか?』(集英社)、『プロ野球で1億円稼いだ男のお金の話』(東京ニュース通信社)など
豪快なバッティングフォームの長嶋茂雄(写真:共同)
撮影/本田雄士
記事提供元:週プレNEWS
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