デビュー1年目のダウンタウンの漫才を生で見た"お笑い生き字引き"が語る「ダウンタウンは何がすごいのか」<後編>
イチオシスト
2025年11月1日、「DOWNTOWN+」がスタートする。松本人志が1年10ヵ月ぶりに復帰を果たすことで、再びダウンタウンに注目が集まっている今、改めて知りたいのは、なぜ彼らはこれほどまでに人々を惹きつけ続けるのか、だ。
ダウンタウンという存在は何がすごいのかを、熱狂から一歩引いて冷静に見つめ直したい。
そこで、オール巨人師匠から"お笑い生き字引き"の称号を授与された放送作家・ディレクター、柳田光司氏が1982年4月4日のNSC(吉本総合芸能学院)開校とともに始まったふたりのキャリアから、「松本人志」「浜田雅功」「ダウンタウン」のすべてを整理。
後世に残すべき"記録"としてまとめていく。
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ダウンタウン「浜田雅功」を語る――ここまで話題の中心は松本さんでしたが、一方で浜田さんのことはどのようにご覧になっていますか?
柳田 やっと来ましたか、このターンが。私は1983年春に「ダウンタウン 松本・浜田」に改名した若手漫才師を、その年の7月23日に京都花月で観た衝撃は生涯忘れません。中学3年の夏休みでした。
あの日のお目当ては、月亭八方さんと笑福亭仁鶴さんのふたりだったのですが......気がつけば、23日の土曜日、昼席、夜席。24日の日曜日、朝席、昼席、夜席。30日の日曜日、朝席、昼席、夜席の合計8回見るほど魅了されていました。
その頃にはすでに「医者ネタ」「心霊ネタ」「誘拐ネタ」「高校野球ネタ」「ヤンキーネタ」「童話ネタ(ジャックと豆の木/赤ずきんちゃん)」の6ネタを作成中でした。
目を見張ったのは、その立ち姿です。
その頃の漫才師の多くは「やすし・きよし」に代表される"開きの型"。客席から見ると「ハ」の字に立って、まるで選挙演説をする議員のように客を煽る。
さほどウケていなくても、片方が"誘い笑い"を仕掛けてくるんです。それも毎回、同じ箇所で。
それを昼夜で2ステージ観ている常連客が野次るんです。「お前、さっきも同じとこ失敗しとったやないか。せぇやから売れへんねん」って(笑)。
――でも、ダウンタウンは違ったと?
柳田 はい。腰から下が舞台にしっかり根を張っていて、ジャケットの色味も含めて"童顔のベテラン風"なんですよね。
ネタに自信があるからだと思うのですが、閉じの形、つまり逆さの「ハ」の字で立つんです。
近距離でお互いの表情を確認しながら、ずっとイチャイチャしているような雰囲気が独特の狂気と艶っ気で輝いていました。
その立ち姿が、19歳にしてすでに画になっていたんですよね。
話の腰を折らずにリズムを保つ浜田さんの合いの手も見事で、「うんうん」「そうそう」「はいはい」など文字に起こせば面白くない相槌を入れながら、相方・松本さんのボケを最大限に爆発させていく。
――松本さんが、相方のツッコミは中田カウス・ボタンのボタンさんから学んだと語っています。
柳田 そうですね。ボタン師匠のほうが声は高いし、漫才の型でいえば、カウス師匠が真綿でジワジワ相方を締めていくタイプなので、最終的なツッコミは全然違います。
でも、「相手の話の腰を折らない受けのうまさ」は共通しています。
何より「中田ボタン」と「浜田雅功」の共通点は、相方より背が低く、時おり見え隠れする"根っからの不良っぽさ"と"母性本能をくすぐる可愛らしさ"。この艶っぽさと人たらしの雰囲気こそ、まさに"芸人"だと思います。
――そんな浜田さんが弾けた"きっかけ"は何だったのでしょうか。
柳田 浜田さんというより、第3世代と呼ばれるとんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンは、どのコンビもそろって爆発的に売れたのが特徴です。
ふたりがお笑い界の天下を取ったのは1995年。ちょうど大型薄型テレビの普及で、画面に色鮮やかな文字スーパーが乱舞するようになった時代です。
文字数が少なく、エッジの効いた浜田雅功のツッコミは、90年代のお笑い界を席巻したと思います。勝手な持論ですけどね。

イラスト/柳田光司
――それこそ、フットボールアワーの後藤さんの"長いセンテンスのツッコミ"とは真逆ですよね。
柳田 おっしゃる通り。浜田さんのツッコミは、もともと松本さんの得体の知れないボケから発生しているので、文字に起こすと普通の言葉がきっちりハマるんです。
例えば、「言い方がおもろいだけやん」「なんで噛むねん?」「えぇ?」「お前のさじ加減ひとつやないかい」「逆ギレやん」「臭っ!」「言いたいだけやん」「この空気どうすんねん?」「誰目線やねん」「とりあえず謝って」「なんで2回言うたん?」「必死やん」「普通やん」「帰れ」「ベタやなぁ」「もっと声張れ!」「長いねん」「顔がおもろいだけやん」「赤い薬飲んどけ」「今、笑うとこや」「必死やん」「ひとりも笑ってないやん」「いま京都でいちばんスベってるやん(笑)」など。
こう並べるだけで、"浜ちゃんの音階"が聞こえてきますよね。松本さんも耳のいい漫才師ですが、聞いていないときも多い(笑)。
浜田さんのこうしたツッコミは19〜20歳のころ、京都花月でこっそり試されていたものです。これは今、テレビで活躍中の芸人たちにも脈々と受け継がれています。
「松本人志」と「古典落語」と「上方漫才」――ダウンタウンの漫才を漫才論的に分解すると?
柳田 ダウンタウンの漫才には、耳あたりがよく流れるようなボケがあります。松ちゃんが息つぎなしで畳みかける噺家風のブロックです。
例えば、誘拐ネタの鉄板。
「緑のカバンに500万入れて、白の紙で黄色のカバンて書いて、赤のカバン言いながら置いてくれたら、俺、黒のカバン言うて取りに行くわ」
浪曲の流れをくむ上方落語には「ひと息で最後まで言い切る技法」がたくさんあります。戦後に活躍した"浪花の爆笑王"、中田ダイマル・ラケットの代表作「僕の健康法」にも、有名な掛け合いがあります。
ラケット「風邪薬を飲んだんやが、その風邪薬が 先に風邪をひいてて効きめなしや」
ダイマル「ほな、風邪をひいた風邪薬に、風邪をひいてない風邪薬を飲ませて、風邪をひいた風邪薬の風邪を治してから、飲ませて、風邪をひいた風邪薬の風邪を治してから、風邪をひいた君が、風邪の治った風邪薬を飲めば 君の風邪が治るんとちゃうか?」
(中田ダイマル・ラケット 漫才傑作選『僕の健康法』より)
こう考えると、ダウンタウンの漫才自体が、100年後には「古典上方漫才」として成立するように設計されている気がするんです。
――いよいよ「DOWNTOWN+」が始まります。
柳田 個人的にいちばん最初にやってほしい企画は「笑ってはいけない」ですね。見る人のセンスを問わない、あの究極の大衆エンタメ。
まずは2026年のお盆かクリスマスの先行配信で「国内版最新作」を期待したいところです。「罰ゲーム」という言葉を全国に定着させ、定点カメラをテレビ演出に根付かせた功績は、この番組抜きには語れません。
実は以前、『ダウンタウンのガキ使』初回(1989年10月15日)から2019年6月まで、約30年分1459回をすべて見直してデータを取ったことがあるんです。もちろん「笑ってはいけない」シリーズも、2007年「病院」から2018年「トレジャーハンター」まで全部です。
これだけ一般に普及した理由は、漫才にも通じる"設定の妙"だと思います。
ダウンタウンといえば難解な不条理ネタの印象が強いですが、漫才の設定は「ヤンキー」「誘拐」「心霊」「学校」など、実はわかりやすいベタ。
「笑ってはいけない」も同じで、病院、新聞社、ホテル、スパイ、空港、教師、大脱獄、名探偵......と誰でも理解できる舞台設定ばかりなんです。
世界各国にフォーマット展開している「笑ってはいけない」や「サイレント図書館」には、ふたつのルーツがあります。
ひとつは『ごっつええ感じ』の人気コントシリーズの第1弾(1995年4月9日OA)から計23回も放送された人気シリーズ「MR.BATTER」。
松本人志演じるアメリカ人が、店長(今田耕司)を相手に次々ボケ倒すんですが、店長がひと言もしゃべらない。この「○○してはいけない」というルールを乗せたのは新しい笑いの発明でした。
もうひとつは『ガキ使』のチキチキ人気シリーズ「ガキ使七変化」(第1弾は1995年11月5日OAの山崎邦正の回)。
控え室に突然やって来る変人、不審者に対し無視を決め込みながら、笑いを我慢する企画。
これ以降、スベり芸人のスベり芸(面白くないことが、逆に面白いとされるねじれ現象)が次から次へと登場します。
「笑ってはいけない」シリーズを見ているうちに、気づけば視聴者も「笑ってはいけない」というルールに参加していますよね。
これを超える視聴者参加型のゲームを誕生させるのは至難の業だと思います。
――では、「笑ってはいけない」で印象的な出演者といえば?
柳田 2007〜18年の12年間で500人以上の"笑いの刺客"が登場しました。俳優、ミュージシャン、文化人、アスリート......普段は笑わせる側じゃない人たちが突然現れてボケ倒す。
中でも最多登場は『仁義なき戦い』の名優・梅宮辰夫さん。初登場は2006年『警察24時』で囚人役。
2007年は救急患者(梅宮クラウディア)の付き添い、2009年はミュージカルにする必要性がまったくない『ロッキー』のエイドリアン役、2011年にはAMEMIYAの相方・UMEMIYA役、2015年にはニセ浜田と無名の老人が仕切る『ダウンタウンDX』にゲストとしてセルフパロディ出演。
梅宮さんは、まさに"永久欠番"と言っていい存在です。
「笑ってはいけない」の本質は「全員がボケ」で「ツッコミが存在しない」こと。24時間アナーキーな世界なんです。
その中で最もギラギラ輝いていたNGなしの役者が梅宮辰夫さんなんです。この説明を聞いた上で、ぜひもう一度見てほしいです。
NSC入学以来、言葉で勝負してきたダウンタウンが、2007年の大晦日に"言語の壁を超えた笑い"に挑戦したのが「笑ってはいけない」でした。聴覚から視覚へ、国内から世界へ。
芸界ではすでに大御所だったふたりが、年に一度だけ尻バットを食らい、タイキックを受け、キスで笑われる。あの構造が革命だった。
ちなみに過去12年間で松本さんは3102発、浜田さんは2610発のケツバットを受けています(合計1万2592発・遠藤2329、田中2327、山崎2224)。
――最後にひと言、お願いいたします。
柳田 あくまでも余談なんですけど、有料配信サービス「DOWNTOWN+」がスタートする11月1日って、『ガキ使』のタイタニックでおなじみの、松ちゃんのお母さん・秋子さんの92歳の誕生日なんです。
92歳の母親のもとに、62歳の愚息が駆けつける「ご対面ロケ」。『ダウンタウン+お母ちゃん』があるなら、ぜひ生配信で見たいですね(笑)。
それでは最後に、昭和期に活躍した音楽トリオ「ザ・ダッシュ」師匠のお別れソングで締めましょう。
♪わけのわからぬ事ばかり。やってるうちに、別れの時が。
いつの間にやら、やって来た。
「グッバイ、さよなら、再見、アディオス」
また会う日まで、ララララ、ヘイ!
■柳田光司(やなぎだ・こうじ)
1968年生まれ。放送作家。ディレクター。オール巨人師匠から、香川登志夫先生以来の逸材「お笑い生き字引き」の称号を授与される。初めてダウンタウンの漫才を観たのは、1983年7月23日(京都花月昼席・夜席)。2度目は翌日24日。3度目は30日。
語り・画/柳田光司
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