日本ハムファイターズのチーム統括本部長・吉村浩氏が尊敬する「十文字健」という男<前編>【伝説の野球漫画『どぐされ球団』の圧倒的魅力を掘り起こす!(第3回)】
 イチオシスト
            イチオシスト
        
コミックス14巻カバー。バットを持つ主人公・鳴海真介の後ろに控えるのが、吉村氏が尊敬してやまない明王のエース、十文字健その人だ(©竜崎遼児/集英社)
明王アタックスのエース、十文字健。顔面いっぱいに×字型の傷跡があり、「殺し屋」と呼ばれ、「野球殺人者」の烙印を押された男。その由来は高校時代の試合中の事故で、頭部への死球によって相手エースを殺してしまったから--。『どぐされ球団』の中で最も重い過去を背負った登場人物だ。
この十文字に、尊敬の念を抱く球団幹部がいる。日本ハムのチーム統轄本部長、吉村浩さん。スポーツ紙記者から転身して1992年からパ・リーグ事務局で勤務後、MLBのタイガース、阪神での編成業務を経て、2005年から日本ハムのGM補佐に就任。15年にGM、22年から現職となった今もチーム編成の根幹を担う。
選手経験は高校の途中までの吉村さんだが、類稀な能力から「天才」「知将」「野球オタク」と呼ばれる。当初からMLBのシステムを取り入れ、合理的な組織づくりを推進してチーム強化に取り組み、5度のリーグ優勝、2度の日本一を実現させた。それだけの人がなぜ、漫画の登場人物を敬うのか。北の大地で直撃した。
――まずは、吉村さんの野球漫画経験を教えてください。いつ頃から読まれていたのでしょうか。
吉村 小学3年生、1973年です。週刊少年ジャンプで連載していた『プレイボール』(ちばあきお)、『侍ジャイアンツ』(原作・梶原一騎/作画・井上コオ)、『アストロ球団』(原作・遠崎史朗/作画・中島徳博)。この3本が身に沁みて野球が好きになったんですね。
しかも、73年は最初にちゃんと野球を観た年で、そのとき、巨人ファンと言いますか、柳田俊郎(真宏)さんが好きになりまして、巨人がV9を達成して。そこで体の8割ぐらいができてしまった(笑)、みたいな感じですね。
――8割の中には水島新司先生の漫画は入ってないんですか。
吉村 水島先生の『ドカベン』をリアルタイムで読み始めるのはもう少しあとです。その頃から中学、高校にかけて、少年商業誌の野球漫画はぜんぶ読んでいました。だから『どぐされ球団』の竜崎遼児先生の漫画も、その前に週刊ジャンプで連載していた『炎の巨人』から真剣に読み込んでいたんですよ。
――ぜんぶ......なんですね。

『月刊少年ジャンプ』1979年8月号の表紙を『どぐされ球団』鳴海が飾った(©竜崎遼児/集英社)
吉村 回し読みでぜんぶ読めてしまっていた世代ですから。そのなかで月刊ジャンプの『どぐされ』は珍しくリアルで、プロ野球選手は実名でわかりやすく、明王アタックス、ちょっと何か面白いなって。始まりはそんな感覚で普通に読んでいたんですけど、十文字が出てきて、これはちょっとヤバいなっていうのが......。
――『どぐされ』は連載開始が76年なので、当時、小学6年生ですよね。子ども心に「ヤバい」と感じたというのは、どんなところから?
吉村 何といっても「野球殺人者」ですよ。今までにないでしょう。世界中探しても、ないです。もちろんメジャーリーグではカール・メイズ(元・レッドソックスほか)の事故がありますけども(1920年に頭部死球で相手打者が死亡)、「野球殺人」とは言われていません。それで基本的に、『どぐされ』はトラウマの話ですよね?
――ええ。明王アタックスの選手はほぼ全員、他の登場人物にも、簡単には口に出せないような過去が何かしらありますね。その中にトラウマもあるという。
吉村 読んでいて、そこがやっぱり響きますよね。そうでしょう?
――はい、それはもう。元スリだったり、少年院出身だったり。犯罪者だった選手もいれば、体に障害があったり、捨て子だったり。
吉村 みんな、そうですよね。そのマックスと言いますか、ピークが「野球殺人者」じゃないですか。いや実際、一番だと思います。どうですか?

高校時代に十文字が投球を当ててしまった公式記録員・島渕の息子は亡くなった。母親が泣きながら「十文字に殺されたのよ!」と嗚咽する(©竜崎遼児/集英社)
結果的に島渕を殺めてしまった十文字は、島渕の高校の応援団に名字通り、顔の真ん中に「?」の傷をつけられてしまった。一生十字架を背負って生きることが決まった(©竜崎遼児/集英社)
――初めて読んだときは、なんなんだぁ、と思うばかりでした。そして「野球殺人」の経緯と因縁が描かれるのが単行本の第5巻、〈ある公式記録員の巻〉です。
吉村 顔の×の傷の話などが出てきますね。公式記録員の"シマ謙"さんと十文字の話で、僕はこの回が『どぐされ球団』のピークだと思っているんですけど、そもそも、公式記録員にスポットライトが当たるってまずないじゃないですか、日本の野球漫画史上。
――そうなんですよね。審判はあっても、記録員はないと思います。
吉村 そう、審判はたまにあって水島先生も描いていますし、『どぐされ』にも出てきます。でも記録員はないんです。だから僕自身、シマ謙さんの話を読んだときには、瞬間、公式記録員になりたいなって思ったこともありました。そもそも、そういう職業があるのを教えてくれたのも『どぐされ』ですから。

おそらくどんな仕事かまったくわからないであろう読者の少年たちに、「公式記録員とは?」を説明してくださった竜崎先生。野球というスポーツがより立体的な営みへと変わったことだろう(©竜崎遼児/集英社)
――職業という意味では、オーナー、スカウト、スコアラー、トレーナー、野球記者なども際立っていて、最初に読んだときには特に興味深かったです。
吉村 野球記者はですね、記録員のことを知る前から「なりたい」と思っていました。これは水島先生の『野球狂の詩』にある〈熱球白虎隊〉を読んで、東京日日スポーツの記者になる山井英司に憧れまして。スポーツ新聞の野球記者はいいな、と思ったのが小学生のときでした。
――実際に吉村さんはスポーツ紙の記者になられたわけですが、『どぐされ』には現役最古参記者、毎朝スポーツの宇賀神攻造が出てきます。この記者が十文字の生き様を語るんですよね。「事故とはいえ野球で人を殺した......といって あいつは野球に殉ずる気なんじゃ......」と。
吉村 「野球に殉ずる」。第7巻の〈傷だらけのエースの巻〉で十文字自身も言っていますね。「野球で人を殺してしまったおれは 野球に殉ずるしかないんだ」って。こんなセリフ、ほかにないでしょう。これはもう本当に、野球漫画史上、最高峰ですよ。

己の腰が悲鳴をあげるなか、極限の状況でプレーをしているにもかかわらず、腰をかばい力を抜いた投球をしていたと自分を責める十文字。これが「野球に殉ずる」ということか(©竜崎遼児/集英社)
野球で死ぬ、という言葉はそれ以降も聞いたことないですし、それ以前にはもちろんありません。また、この回がそういう漫画のストーリーじゃないですか。野球で死ななきゃいけないのに、いつの間にか痛い腰をかばって投げている自分に気づく話など。泣かずに読めないですよね。
――実際、泣いてしまいました。
吉村 本当に泣いてしまうんですけど、この〈傷だらけのエースの巻〉はまた別の意味で特別なんです。最初のほうに十文字の年度別個人成績が載っていますよね?
――選手の年度別成績が載っているのはこの回ぐらいです(ほかに単行本第12巻〈あすのへのスイングの巻〉に掲載)。

「エースは先発完投が当たり前」と言われていた時代ではあるものの、えげつない完投数をマークしていた十文字。これも背負っているものがあるからこそなのか(©竜崎遼児/集英社)
吉村 これをリアルタイムで見たとき、結構、衝撃的だったんです。なぜかというと、今では全選手の成績をすぐに見られますけど、当時はネットがない時代ですので、なかなか見られなかった。だから小学3年生、4年生の頃、自分が好きな柳田さんはすごい成績だと思っているんですけど、わからないわけです。
その頃の柳田さんは毎試合、出る選手ではなく、テレビで中継を見ると打率は出ていても、どのぐらい打っているかわからないんですね。小学6年生からスポーツ新聞を買っていましたけど、当時、打撃三十傑以外は出ていない。すごさがわからないから知りたい、という欲求がものすごくあったんですよ。4年生ぐらいから。
――そんな状況の中でいきなり漫画に成績が出てきたら衝撃ですね。
吉村 そうなんです。見たかった成績が出てる、こんな漫画はない! と思いましたよ。中学、高校の頃、僕は自分でも相当な野球マニアだと思っていて、数字が本当に好きでしたけど、82年に『ベースボール・レコード・ブック』(ベースボール・マガジン社)が出るまで、全選手の年度別成績は見られなかったんです。
――ただ、あらためてこの成績を見ると、なぜか投球回の項目がないんですよね。
吉村 そうなんですよ。だからちゃんと僕、防御率から自責点で計算しましたら(自責点×9÷防御率)、26勝した76年は360イニングぐらい投げているんですよ(笑)。
――それはすごい(笑)。現実のプロ野球で昭和30年代までは400イニングを超える人もいましたけど、その当時に300イニング超えた人はいないですね。
吉村 だからとんでもないんですけど、十文字は77年に28歳という設定なんです。それで年度別成績は70年からなので、当時21歳。高校3年生で「野球殺人者」になって、野球から離れたあとが気になるんです。
――学校も住むところも追われ、野球殺人者はどの社会に行っても使ってくれず、使ってくれたのが野球だけとは皮肉な話、と自ら言っていますね。
吉村 その間、何をしていたのか、自分で勝手に考えてしまうんですよね。それだけでも偉大な漫画だと思います。(後編につづく)
『どぐされ球団』はこちらより。 
Kindle Unlimitedでも閲覧可能!
●吉村浩(よしむら・ひろし)
1964年生まれ。山口県出身。早稲田大卒業後にスポーツ紙記者となるも転身し、パ・リーグ事務局に勤務。その後、MLBのタイガース、阪神での編成業務を経て2005年から日本ハムのGM補佐に就任。15年にGM、22年から現職=チーム統轄本部長となったなか、当初から編成トップとして組織改革、チーム強化に携わり、5度のリーグ優勝、2度の日本一を実現させた。
取材・文/髙橋安幸
記事提供元:週プレNEWS
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									 
									