トランプが仕切り、ネタニヤフが署名し、EU首脳が拍手――そんな歴史的和平がわずか10日で崩壊!? 「イスラエル・ハマス停戦合意」ってなんだったん!?
イチオシスト

トランプの政治的演出とネタニヤフの思惑
10月10日に発効したイスラエルとハマスの停戦合意に世界が沸いた。しかし、そのわずか10日後、再びガザにはイスラエル軍による爆撃の炎が上がる。トランプの政治的演出とネタニヤフの思惑、無力なEU、陶酔するアメリカ社会。今回の停戦合意は、むしろ和平を遠ざけるための舞台装置に過ぎなかった?
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■停戦合意は攻撃の〝口実作り〟2023年10月の開戦から2年余り。米トランプ政権が仲介に乗り出し、ようやく実現したかに見えたイスラエルとハマスの停戦合意。10月10日に停戦が発効すると同時に、ガザへの支援物資の搬入が再開。13日にはハマスに拘束されていたイスラエル人の生存者20人が解放された。
一方、イスラエル側も国内の刑務所に収監されていたパレスチナ人約2000人を釈放。停戦合意の「第1段階」とされた交換プロセスは、順調に進んでいるように思われた。

10月19日、停戦合意の発効から10日足らずでイスラエル軍がガザを空爆。少なくとも26人が死亡した
だが、ガザではその間も散発的な衝突が起き、10月19日には「ハマス側の攻撃に応戦するため」として、イスラエル軍がガザ南部への空爆を再開。この攻撃でパレスチナ人26人が死亡するなど、停戦発効から10日足らずで雲行きが怪しくなっている。
あの停戦合意で歴史的な和平が訪れたはずではなかったのか?
「そもそも、イスラエルには本気で停戦をする気などなかったのだと思います」
そう語るのは、中東問題に詳しい現代イスラム研究センター理事長の宮田 律氏だ。
「極右政党に支えられたイスラエルのネタニヤフ政権は、これまで一貫して『ハマスを壊滅させるまでガザへの軍事侵攻をやめない』と明言してきました。
今回、トランプ政権が主導した停戦合意は成立したかのように報じられていますが、おそらく両者の間で合意が成立したのは①一時的な戦闘の停止、②イスラエル人の人質の返還、③イスラエルで収監されているパレスチナ人の一部解放、④イスラエル軍部隊の一部撤収、⑤ガザへの支援物資の搬入、といった『第1段階』のみ。
だから停戦発効後もイスラエル軍はガザ全域の約53%で実効支配を続け、隣国レバノン南部への空爆も続けている。その上で『死亡した人質の遺体返還が滞っている』とハマス側の合意不履行を強く批判。トランプも『合意が守られなければハマスは代償を払うことになる』とハマス側の不履行を強調するような発言をしました。
しかし、考えてもみてください。ガザでは今もなお、がれきの下に1万人近いパレスチナ人の遺体が埋もれているといわれているのです。
また、以前に解放されたイスラエル人の元人質、ノア・アルガマニさんが国連の安全保障理事会で証言しているように、人質の中にはイスラエル軍の攻撃で巻き添えとなって亡くなった人も少なくない。
こうした状況で、ハマスが亡くなった人質の遺体をきちんと返還できると考えるほうが非現実的で、私にはむしろ、ハマス側の合意不履行を理由に、停戦を打ち切るための口実作りだとしか思えません。
トランプもネタニヤフも、本音では生存する人質20人の全員解放さえ実現すればよいと思っていて、その後の『第2段階』など、初めから真剣に考えていなかったのだと思います」
■無力感と屈辱だけが残ったEU首脳安全保障に詳しい国際政治学者で慶應義塾大学教授の鶴岡路人氏も停戦の先行きには悲観的だ。
「今回の停戦合意は、いわば〝アメリカの力業〟で無理やり実現させたようなものです。その結果、改めて明らかになったのは、イスラエルを止められる存在は、事実上アメリカしかいないという現実でした。
あれほど停戦を拒み続けてきたネタニヤフ政権も、トランプが本気で圧力をかければ、最終的に受け入れざるをえなかったということでしょう。
ただし、トランプにとって重要なのは『自分が停戦と人質解放を実現した』という実績をアピールできること。ネタニヤフにとっても、イスラエル人の人質を解放できれば目的は達成される。
当然、両者とも『今回の停戦をきっかけに中東問題が解決へ向かう』などとは考えていません。人質解放が実現した時点で、彼らの中ではゴールのようなもので、すでに終わった話になっており、その後のガザの未来を真剣に考えてはいない。
むしろイスラエルは、ハマスを壊滅させて自分たちでガザを掌握したいと考えているので、停戦が崩れたほうがネタニヤフ政権にとって都合がいいという可能性すらあるのです」
つまり、停戦合意は短期間で崩壊し、再びイスラエル軍による激しいガザ攻撃が始まるということなのか?
「すでにイスラエル軍による空爆など、一部では戦闘が再開しています。ロシア・ウクライナ間でもそうですが、たとえ停戦合意が実現しても、どちらか一方、あるいは双方が相手の合意違反を訴え、自らの行動を正当化して戦闘を再開するというのはよくあるパターンです。ガザでも、まさにそれが起きているのだと思います。
また、今回の停戦とその後のガザの暫定統治を巡って、イスラエルとアメリカは一貫して〝ハマスの完全排除〟を大前提に掲げてきました。
ただし、そのためにはハマスの武装解除が不可欠です。この点についてはエジプトやトルコ、欧州の主要国も支持しているのですが、現実的にそれをどう実現するのかという具体的な方法はまったく示されていません。
そんな状態で停戦後のガザの暫定統治や復興を議論しても、それはしょせん、絵に描いた餅でしかないわけです。
しかも、イスラエルは『徹底的にガザを全面破壊する以外にハマスの武装解除はありえない』と本気で信じています。つまり、ハマスの殲滅を掲げて本格的な軍事作戦を再開する可能性は高いのです」
すでに自分の成果をアピールすることに成功したトランプ大統領は、「ハマスの武装解除に米軍は出さない」と明言。もちろんイスラエルの軍事行動を止めることもないだろう。

サミットで「中東にとって偉大な一日だ」と語るトランプ米大統領。演説では、イスラエル人の人質とパレスチナ人収監者の交換、イスラエル軍の部分撤退、ガザへの人道支援を柱とする和平計画の第1段階を強調した

10月13日、エジプトで開かれた「ガザ和平サミット」。トランプ米大統領、エジプトのエルシーシ大統領をはじめEU諸国や湾岸諸国など20ヵ国以上の首脳が出席し、イスラエルとハマスの停戦維持と人道支援を協議した
「ちなみに、イスラエル人の人質が解放された10月13日には、エジプトで『ガザ和平サミット(シャルムエルシェイク会議)』がアメリカ主導で開催され、トルコ、エジプト、カタールなどの中東諸国に加え、国連やEUなどの国際機関、そしてイギリス、フランス、ドイツといった欧州首脳も多数参加。各国はそろって、トランプの提案したガザ停戦案に支持を表明したと報じられています。
しかし、参加国の多くはアメリカが提案するガザ統治プランになんの実効性もないことを承知の上で、わざわざエジプトまで出向き『いやあ、トランプ大統領の指導力は素晴らしい!』と、ホメなければならなかった。無力感しかない、屈辱的な場面だったと思います。
よく『アメリカの国際的な影響力は衰退している』と語られますが、こうやってみると、実際にはまったく衰退していません。イスラエルを止めるのも、ロシアやウクライナを止められるのも、結局、アメリカしかいない。
それが正しいかどうか、好きか嫌いかは別として、アメリカが本気を出せば、ほかの国は耳を傾ける以外にない。今回のガザ停戦を巡る一連の動きは、まさにその国際政治の現実を浮き彫りにしたのだと思います」
■アメリカ国内でももう終わった話では、そんなアメリカ国内では、今回の停戦と人質の解放、そしてガザの今後について、どのように受け止められているのだろうか。上智大学教授で現代アメリカ政治が専門の前嶋和弘氏はこう語る。

10月19日、2年以上ハマスに拘束されていたイスラエル人の兄弟が解放されたときの様子。イスラエル側の人質解放はアメリカでも注目度が高く、生放送で中継された
「非常に残念なことですが、アメリカは今、『トランプ大統領がガザの停戦と、2年以上も解決しなかったイスラエル人の人質解放を実現した!』という高揚感に包まれており、一種の陶酔状態とも言えます。
イスラエル人の人質が解放された当日には、テレビ局が5時間にわたる特別番組を生中継。『トランプは中東問題でよくやっている』『これまでの見方を改めなきゃいけない』といったポジティブな評価が相次ぎ、すっかり〝成功物語〟に美化されてしまいました。
アメリカにはイスラエルとの二重国籍を持つユダヤ系の人も多いですし、トランプの重要な支持層であるキリスト教福音派の人たちもイスラエル支持ですから、人質20人の生還は大きな感動を呼びました。
一方で、この2年の間にイスラエル軍の攻撃で命を落とした7万人近いパレスチナ人をはじめ、家や財産、家族を失った人々の存在はほとんど顧みられていません。
もちろん、アメリカにもリベラル層や若い世代を中心に『イスラエルの虐殺を止めろ』『パレスチナの窮状を救え』と訴える声はあります。
しかし、派手に報じられた人質解放とは対照的に、停戦発効後に続くイスラエル軍の空爆は、もはや国際ニュースのひとつ程度の扱いに過ぎません。トランプだけでなくアメリカ社会全体が、ガザの問題をすでに〝終わった話〟として忘れかけているのです。
ちなみに、今回の停戦に関して、トランプがノーベル平和賞のタイミングに合わせて仕掛けたとみる向きもあるようですが、私はトランプ政権が『23年10月7日に起きたハマスの奇襲作戦から約2年』という節目を狙って仕掛けたとみています。
メディアの注目が最大化するタイミングを計算し、人質解放という成果を世界にアピールすることに成功した。だからこそ、トランプの関心はすでにガザから離れ、ロシア・ウクライナ戦争や、台湾を巡る中国・習近平政権との駆け引き、さらには北朝鮮の金正恩との会談などに移っているのです。
もっとも、形式的にはトランプ政権も対応しているふりを続けています。中東問題担当のウィトコフ特使に加え、第1次政権で中東政策を担った娘婿でもあるジャレッド・クシュナーを再びイスラエルに派遣しました。とはいえ、どちらもイスラエルの暴走を本気で止める意思があるとは思えません」
■〝復興〟の顔をしたトランプによるガザのリゾート開発計画発効からわずか10日足らずで崩れ始めた停戦。人口約220万人のガザでは、開戦から2年でおよそ7万人が死亡し、建築物の約85%が破壊され、生活インフラはほぼ壊滅状態。がれきの山に閉ざされた人々に、再び戦火が襲いかかる日は近い。前出の宮田氏は、パレスチナの未来を憂慮する。

10月17日、がれきの下にある人質の遺体もすべて返還するために、重機で地面を掘り起こし遺体を捜すパレスチナ人
「ネタニヤフ政権とそれを支える極右勢力が最終的に目指しているのは、ガザとヨルダン川西岸を事実上イスラエルの統治下に置く『大イスラエル主義』です。
その実現のために入植地を拡大し、パレスチナ人を排除しようとしています。ハマスの殲滅という名の下に行なわれる市民の虐殺や生活インフラの徹底的な破壊も、彼らにとってはこの地からパレスチナ人を追い出すための手段に過ぎません。
実際、イスラエルは『人道都市』という名目で、エジプト国境に接するガザ南部のラファに手始めに約60万人のパレスチナ人を半強制的に押し込める案や、それ以外の人たちをソマリアや南スーダンなどアフリカに移住させる案を、真剣に検討しているともいわれています。
そうしてパレスチナ人を排除すれば、無残に破壊されたガザの跡地は、トランプが提唱する『ガザのリビエラ化計画』のようなリゾート開発地へと姿を変えるかもしれない。パレスチナ人が追い出されたガザの街の〝復興〟が、いつの間にか悪徳不動産デベロッパーの開発案件に化けてしまうかもしれないのです」
かりそめの合意だったとしても、停戦合意までこぎ着けたのは、アメリカが主導したからだ。だが、そのアメリカがすでに背を向けつつある。このままでは、停戦も終戦も、ますます遠ざかっていってしまう。いったい誰が、どうやってこの非道を止めることができるのだろうか。
取材・文/川喜田 研 写真/時事通信社
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