【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】拳四朗の苦戦を予感させた「孤高のボクサー」ユーリ阿久井の蒼き炎(12回連載/第3回)
試合前、「ラスボス」拳四朗に視線を向けるユーリ阿久井(撮影/北川直樹)
2025年3月13日、東京・両国国技館で開催されたボクシングのWBA&WBCフライ級王座統一戦。試合は強い覚悟で挑んだ阿久井に押され、拳四朗と幾度となく修羅場をくぐり抜けてきた加藤健太でさえ、判断に迷う難しい展開に。しかし拳四朗にとって加藤が心の拠り所であるように、加藤にも大事な局面で支えてくれる"相棒"がいた。チーム拳四朗のサブセコンド、横井龍一である。
* * *
「加藤は、いま何を考えているのか、どう動きたいのかを把握してサポートするのが自分の役割です。拳四朗は、普段は細かいことは気にしないタイプなのに、いざ試合になると意外と動揺したり、不安な表情を見せたりもします。
試合中、コーナーに戻ると、『このやり方で合っていますかね』『ポイントは取られていますかね』とか心配して何度も確認してきます。加藤は、拳四朗がコーナーに戻ってきた際、戦術や技術に関する修正点を冷静に伝える。自分は、加藤の指示のタイミングを見て、意識的に大きな声を出して『強気に行け!』『向こうも疲れているぞ!』と気合を入れるのが、いつものパターンです」
加藤は横井についてーー。
「毎回、自分が拳四朗に伝えたい指示の本質を理解して、補足してくれるのが横井さん。例えば、自分が相手から距離を取るなど、慎重に戦況をうかがうような指示を拳四朗に出した時、横井さんは、『拳四朗、弱気になるなよ』と短く言葉を添えてくれます。横井さんがそう伝えることで、拳四朗は、『戦況を冷静にうかがいつつ、積極性は失っては駄目』と理解します。
本来は、サブに付いたセコンドがチーフと反対の指示を出すことは、選手が混乱をきたすのでご法度です。でも横井さんは、自分が伝えたい意図を理解した上で、それを確実に伝えるために『弱気になるな』と補足します。もちろん、拳四朗自身も、横井さんに対して絶対的な信頼があるからこそ、成り立つことです。今回の試合でも、何度も助けられました」
■拳四朗にとっても"岐路"の一戦インターバルは60秒――。しかし、ゴングが鳴ってから戻る時間や再開へ向かう時間を考えると、セコンドが選手をリセットできる実働は30秒しかない。3人で構成されるセコンド陣は「30秒」という限られた時間内で、それぞれの仕事を抜け落ちなくこなす確実性が求められた。
ゴングが鳴ると同時に椅子をリング内に入れ、戻ってきた選手の口の中からマウスピースを取り出して洗浄。うがいをさせて再度装着し、同時にグローブに付いたワセリンや汗、血などを拭き取る。息を整えさせて気持ちを落ち着かせ、水分補給、アイシング、ケガの有無、スタミナ面の不安はないかも確認する。
試合再開10秒前、「セコンドアウト」の合図と同時に、椅子、バケツ、ビンなどを片付けた。試合中の3分間はもちろん、インターバルの1分間も、セコンド陣は一切、気は抜けない。まして世界戦となれば、自動車レースの最高峰、フォーミュラ1(F1)レースにおけるピットクルーのような手際の良さ、判断力が求められる。セコンド陣の連携の良し悪しが戦況を左右し、勝敗まで分けるといっても、大袈裟ではなかった。
阿久井戦について、横井――。
「最後にスパーリングをしたダラキアン戦前ならば、拳四朗のほうが有利だったかもしれません。でも、ユーリは、世界チャンピオンになって経験を積むことで拳四朗との実力差も縮まった。『ふたりの戦いは、どちらが勝ってもおかしくない』と予想していました。
お互いスパーリングを通して手の内は知り尽くしていました。ユーリは正統派というか、相手を欺くようなボクシングをするような男ではありません。小手先の技術や策で通用するような相手でもない。ましてこの一戦に懸ける覚悟でいえば、拳四朗よりも大きかった。『世界王座統一戦など関係なく、それこそ、ボクシング人生を懸けて真正面から挑んでくる。勝敗は別にして、拳四朗にとってもボクサー人生を左右するような試合になる』と思いました」
過去4度、拳四朗とスパーリングで拳を交えた阿久井が初めて三迫ジムに出稽古に来たのは、6年前だった。
当時、拳四朗はWBC世界ライトフライ級王座を5度防衛中で、阿久井は日本フライ級4位。遠征費用を節約するために、岡山から深夜バスを利用して上京してきた。
技術を根性で補う戦いをより求められた時代に現役生活を過ごした横井は、どことなく親近感を覚え、自ら声をかけてミットを構えた。
横井は当時について、ミットを構えたかどうかはよく覚えていなかったが、阿久井自身は、初来訪で緊張していた時に気さくに声をかけてくれ、冗談を言って和ませてくれたことを強く記憶に残し、いまも心底感謝していた。
加藤トレーナーと同様に信頼を置く横井トレーナー(左)と拳四朗(右)
横井に、当時のボクサーとしての阿久井の印象を聞くと、「素直で真面目な良い子とは思いました。でもまさか世界チャンピオンになる素質を持ったボクサーとは思いませんでした」と答えた。
地方ジム所属ながら日本ランキング上位に食い込むだけのセンスは感じたが、「それ以上の何か」は感じなかったという。世界を狙う選手には大概、人並み外れた貪欲さや負けん気、そして良くも悪くも、ある程度の「ずる賢さ」も必要だからだ。控えめで遠慮がちな阿久井の性格は、正直、ボクサー向きではないようにさえ思えた。
「うまくいっても、日本チャンピオンになれるかどうか」
当時の阿久井に対する横井の印象だった。もちろん、拳四朗と世界王座統一を懸けて戦うボクサーになるとは微塵も感じなかった。
「最初は拳四朗とスパーリングをしても『どうせ勝てない』という諦めにも似た気持ちも感じました。スパーリングの間に、『休憩をはさんでほしい』とお願いするような有様でした。それが2回、3回と出稽古に来るたびに、たくましく成長している様子が見て取れました。
最後、ダラキアン戦の前にした4回目のスパーリングでは、『本当に同じボクサーなのか』と目を疑うほど、落ち着いた中にも闘志を感じさせる表情に変わっていました。拳四朗とも、必要以上に会話はしなかったような気がします。もうこの頃は、拳四朗に対して『憧れ』ではなく、『ライバル』とみなしていたからかもしれません」
ダラキアン戦前、4回目のスパーリングで拳四朗に真っ向勝負を挑んだ阿久井は、「2発打たれたら3発」、「4発打たれたら5発」と、必ず多く打ち返したという。ロープ際に追い込まれてもクリンチで凌ごうとはしない。被弾しても前に出て攻撃を仕掛けるなど、気迫や凄みにあふれていた。初めて出稽古に来た時に感じた精神的な脆さも払拭され、劣勢に回る場面でも意地でも下がらず、拳四朗と同じ土俵で戦い切ったそうだ。
「強くなったな」
横井は阿久井の成長を実感し、ダラキアンに勝利する姿をイメージした。
同時に、
「いずれ拳四朗と、今度は試合で、拳を交えるかもしれない」
と初めて意識した。あの日から1年、横井の予感は現実となった。
東京・両国国技館には、全国から大勢のボクシングファンが詰めかけた
試合直前、横井はバンテージチェックとグローブ装着(グロービング)に立ち会うため、阿久井陣営の控室を訪ねた。
阿久井は備え付けられたモニターで同興行の第3試合、アマチュア世界選手権で日本人初の金メダリスト、坪井智也のプロ転向戦を観戦していた。坪井は高校時代に対戦したライバルであり、良き友人でもあった。今回、阿久井は帝拳ジム所属の坪井ともスパーリングを重ね、時には相談するなどして対策を練った。いわば「戦友」とも呼べる存在だった。
アマチュアで頂点を極めた坪井は、2024年6月に引退表明し、指導者の道に進むものと思われていた。しかし、帝拳ジムからのラブコールを受けて現役続行を決め、2025年1月27日、プロ転向を正式発表。奇しくも阿久井がメインを任された同じ興行で、プロとしてデビュー戦を迎えたのである。
「横井さん、ご無沙汰しています」
横井が訪ねてきたことに気付いた阿久井は、会釈をすると小さな笑みを浮かべた。
「どうぞどうぞ」
隣にいた守安会長は、親戚か馴染みのご近所さんが訪ねてきたような対応で、椅子を用意してくれた。親しみを覚える選手とはいえ『これから対戦する敵』と気負っていた横井は、少し恥ずかしくなった。
横井は、これから対戦する相手である阿久井とは、あえて距離を置き、視線を合わせないようにしながら、モニターに映る坪井智也の試合を観ていた。
ふとした瞬間、阿久井と目が合ってしまった。すると阿久井は、
「横井さん、坪井の試合観ていて、大丈夫ですよ。バンテージは、坪井の試合が終わったら巻きますので」
と穏やかに告げた。
会話をすれば情が湧いてしまう。感傷に流され、余計な言葉を口にしてしまうかもしれない――横井はそれを避けようとしていた。しかし、阿久井はそんな横井の思惑を気にも留めず、むしろ「坪井の試合を気にしているのだろう」と素直に受け止め、気遣いを見せた。
阿久井の言葉に、横井は、逆に自分が試されているような気がしてきた。もちろん、阿久井自身には、そんな意図など微塵もない。ただ自然に口をついた一言が、横井の心を深く揺さぶったのだ。
大一番を前にしてなお人を思いやれる余裕、相手の心理を読み取る眼差し――それは作為を超えた阿久井の、人間そのものの大きさにほかならなかった。
横井は改めて痛感し、「これは完全にペースを握られているな」と感じた。
プロデビュー戦でTKO勝利を飾ったアマチュア世界選手権の金メダリスト、坪井智也
ボクシング関係者やファンの注目が集まるなか、坪井はWBOアジアパシフィック・バンタム級2位、ポーンルアン・パヨーム(タイ)に格の違いを見せ、2回2分34秒TKOでプロ初陣を飾った。坪井の勝利を見届けた阿久井は一呼吸置き、用意していたバンテージを手に取って拳に巻き始めた。
6年前に初めて出会った素直で真面目な良い子。しかし、どこか精神的な脆さを覚えた29歳の世界王者は、まもなく、日本ボクシング史上過去3度しかない「世界王座統一戦」に挑もうとしていた。しかも相手は、横井がサブでセコンドに付く「拳四朗」だった。
横井は表情を変えず、黙ったまま阿久井を見つめ続けた。丁寧に、ゆっくりとバンテージを巻くその澄んだ瞳が印象的だった。
「横井さん」
少しして、不意に阿久井が話しかけてきた。
「宝珠山(ほうしゅやま)、辞めないですよね」
横井は予想外の問いかけに一瞬戸惑い、言葉に詰まった。
この日からおよそ1か月前の2025年2月11日、三迫ジム所属の日本フライ級10位・宝珠山晃は、2回TKO負けを喫していた。
2024年7月27日のWBCアジア・スーパーフライ級タイトルマッチで判定負けして以来の再起戦だけに、精神的な痛手の大きさは想像するに容易かった。
阿久井は、かつて守安ジム所属の神崎靖浩と全日本新人王決勝で対戦した宝珠山とは年齢が近いこともあり、三迫ジムで出稽古した際に親しくなった。友人でもある選手のことを、自身の大一番を前に気にかけていたのだ。
「ま、辞めないだろ」
あえて淡々とした口調で答えると、阿久井は、安心したように「ああ、良かった」と答えて笑顔を見せた。
「『何だ、この子は!?』と驚きました。自分の大事な試合前に、友達の心配ができるのですから。試合前、バンテージを巻く頃は、大概の選手は不安や恐怖を感じる時間帯だったりします。でも、ユーリは自然体。緊張した様子もなく、かといっておちゃらけて見せたり、相手を牽制するような態度を取ったりもしない。
『すごい選手だな』と改めて思いました。同時に、背筋が冷えるような恐怖も覚えました。『蒼い炎』という表現をすれば良いでしょうか。心に秘めた炎は、風に吹かれても微塵も揺れない。でも、一見、氷のように冷たそうな蒼い色に見えて、じつは赤い炎よりも何倍も熱く、激しく燃えている。ユーリのそんな姿を見た時、『今日は拳四朗にとって相当、苦しい戦いになる』と気が引き締まりました」
入場直前、緊張した面持ちでその「時」を待つ加藤(左)と拳四朗
8オンスの試合用グローブを装着して手首まわりにテーピングが巻かれ、立会人がサインを済ませた。
阿久井は何とも言い難い、本気で覚悟を決めた者だけが見せるような清々しい表情をしていた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
横井は阿久井、そして守安会長に挨拶をし、拳四朗の待つ控室へと戻った。
■ユーリ阿久井政悟(あくい・せいご)*写真左
1995年9月3日生まれの30歳。岡山県倉敷市出身。本名は阿久井政悟。父親と叔父も元プロボクサーという環境に育ち、中2から倉敷守安ジムで本格的にボクシングに取り組む。地元の環太平洋大学進学後の2014年4月にプロデビューし、翌年、全日本新人王獲得。2019年10月、日本フライ級王座獲得。2024年1月、アルテム・ダラキアン(ウクライナ)に判定勝利し、岡山県にあるジム所属として初の世界王者に。2025年3月13日、寺地拳四朗とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦では最終12回TKOで敗れる。通算戦績は25戦21勝(11KO)3敗1分け。
■寺地拳四朗(てらじ・けんしろう)*写真右
1992年生1月6日まれの33歳。京都府出身。B.M.Bボクシングジム所属。2014年プロデビューし、2017年、10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れて王座陥落するも、翌2022年の再戦で王座奪還。同年11月には京口紘人に勝利してWBA王座獲得し2団体統一王者に。2025年3月13日、ユーリ阿久井政悟とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦でも勝利し、二階級で世界2団体統一王者に。2025年7月30日、リカルド・ラファエル・サンドバルに判定負けを喫して王座陥落。通算戦績は27戦 25勝 (16KO) 2敗。
取材・文・撮影/会津泰成
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