【WBA&WBC世界フライ級王座統一3.13決戦】拳四朗の背後に控える"名参謀の戦略"と、阿久井の"宿痾(しゅくあ)"(12回連載/第2回)
入場衣装を纏った拳四朗(左)とユーリ阿久井(右)(写真/北川直樹)
「拳四朗さん一人だけだったら怖いとは思わない。でも、後ろに控えている加藤さんやチームの存在は怖い」
阿久井が恐れたチーフトレーナーの加藤健太。しかし、「チーム拳四朗」の頭脳とも呼べる加藤もまた、阿久井に強い警戒心を抱いていた。3月13日、両国国技館――。その舞台裏では、試合前から火花が散っていた。
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試合翌日の3月14日、東京ドームホテルでの共同会見を終えた加藤と拳四朗に、、ラウンジに移動して、あらためて阿久井との戦いを振り返ってもらった。
参謀として拳四朗を支えた加藤は、勝利の喜びを語ることなく、口にしたのは自身への反省ばかりだった。
■逃れられぬ「指標」としての拳四朗「ユーリ君は拳四朗を目標にしてきただけに、ボクシングのスタイルは共通している部分も多い。ただ今回は、ユーリ君はまず気合いがあって、その上に技術を乗せてきた。拳四朗はその逆でした。最後の最後、技術の裏側に隠れていた拳四朗の気合が発揮されて逆転につながった。それは拳四朗が、普段から対戦相手が誰であろうと関係なく、限界まで自分を追い込んで厳しい練習を乗り越えてきたからこそ発揮できたと思います。
でも、『こんな奇跡的とも言える試合展開は、もう2度と起きない』と思っています。執念でやり遂げようとする相手の怖さを、思い知らされました。もちろん、気合や根性だけで勝つことはできません。でも同じように、技術だけでも勝てない。技術が気合を凌駕する時もあれば、気合が技術を封じ込める時もある。ユーリ君からは、あらためてボクシングの奥深さを学ばせてもらいました」
最後まで拳四朗を追い詰めるも惜敗し、控室へと戻るユーリ阿久井陣営
2025年3月13日を迎えるまでに、阿久井は、拳四朗と4度スパーリングで拳を交えた。阿久井にとって、「拳四朗と初めてスパーリングをした日から2025年3月13日を迎えるまでの6年という歳月は、「宿痾(しゅくあ)」とも言えるものだった。
宿痾とは、長く癒えることのない持病や、逃れられぬ業のように心にまとわりつくものを指す言葉。拳四朗の存在はまさにその宿痾であり、阿久井のボクシング人生を突き動かす原動力でもあった。常に自らの現在地を映し出す基準として――そこには常に拳四朗がいた。
初めてのスパーリングは2019年4月初旬――。
当時、拳四朗はWBC世界ライトフライ級王座を5度防衛中。阿久井は日本フライ級4位で、同月28日、同級15位の湊義生(JM加古川)との8回戦を控えていた。
阿久井はこの半年前、WBA世界フライ級11位のジェイセバー・アブシード(フィリピン)と対戦。初回に右肘を負傷するアクシデントの影響もあり、最終8回TKO負けを喫した。その再起戦でもある湊戦の直前、初めて三迫ジムへ出稽古に赴いて、拳四朗と初めて拳を交えた。
阿久井は
「何もできないまま、ボコボコにされました」
と振り返るなど、世界基準の高さ、ボクサーとしての自らの現在地を明確に思い知らされた。
2度目は少し空いて2年後、2021年6月。最初のスパーリング時には日本フライ級4位だった阿久井は、2年の時を経て、日本フライ級チャンピオンとして三迫ジムの門を叩いた。
翌7月21日、阿久井は「将来の世界チャンピオン」と期待される同世代の逸材、桑原拓(大橋)相手に、日本王座2度目の防衛戦を控えていた。拳四朗は、3ヶ月後の9月22日、矢吹正道(緑)相手にWBC世界王座の9度目の防衛戦が内定していた。
2年ぶり、2度目の拳合わせとなったスパーリングで、加藤は阿久井に、「気持ちのブレや迷いがなくなり、ボクサーとして大きく成長している」という印象を受け、拳四朗とも「いずれ世界を獲るだろうね」と話した。
桑原との日本王座防衛戦、阿久井は、「最終10回残り11秒」という場面で強烈な右ストレートを決めて桑原をキャンバスに沈め、2度目の防衛に成功した。しかし、リング上の勝利者インタビューでは、
「今日の出来を見る限り、世界はまだ遠いですかね」
と語った。
世界はまだ遠い――。
それは拳四朗という存在を知るからこそ出た言葉であり、同時に、世界王座獲得を現実的に意識していたからこそ漏れた言葉でもあった。
3度目は2022年2月。同月27日、地元・岡山で、同級1位の粉川拓也(角海老宝石)相手に3度目の防衛戦を控えていた時だった。
阿久井は、試合巧者の粉川の粘りにKO勝利は逃したものの、ジャッジ3者とも「100対90」というフルマークで圧倒し、3度目の防衛に成功した。試合後の勝利者インタビューで世界挑戦の抱負を問われると、初めて公の場で「年内にやりたい」と宣言した。
一方、拳四朗は、阿久井が世界獲りを宣言した1か月後の3月19日、WBCライトフライ級のタイトルを奪われた矢吹に雪辱を果たして王座を奪回した。さらに7か月後の11月1日には、京口紘人(ワタナベ)とのWBA&WBCライトフライ級世界王座統一戦を7回TKOで制し、「軽量級全体における世界最高峰ボクサーのひとり」という評価を、より確固たるものにした。
阿久井は、コロナ禍で自由に移動できない時期を挟みながらも、転機となる試合ごとに拳四朗とスパーリングを重ね、自身の成長を確かめ続けた。そして最後、4度目のスパーリングは2023年12月――。
阿久井は、1ヶ月後の年明け1月23日、22戦無敗のWBA世界フライ級王者アルテム・ダラキアン(ウクライナ)相手に、初の世界タイトル挑戦を控えていた。拳四朗は、同日同興行でWBA世界ライトフライ級1位カルロス・カニサレス(ベネズエラ)との王座防衛および統一戦を控えていた。
こうしたなかで行われた4回目のスパーリングは、これまでにないほど激しい打ち合いになったそうだ。加藤は、「拳四朗のフィジカルに負けずに打ち返せるスパーリング相手はユーリ君くらいで、拳四朗にとっても、非常に良い練習になった」と当時を振り返った。
4回目のスパーリングを終えたのちの2024年1月23日――。まずセミファイナルに登場した阿久井はダラキアンに3対0の判定勝利。念願の世界タイトルを初戴冠した。そして、メインのリングに上がった拳四朗は、カニサレスにダウンの応酬の末、2対0の判定で辛勝。同試合を最後に、拳四朗は、ライトフライ級を卒業してタイトル返上。阿久井と同じ『フライ級』で、世界二階級制覇を目指すことを決めたのだった。
カルロス・カニサレスと戦う寺地拳四朗(写真/産経新聞社)
阿久井との試合、加藤が何より気に掛けたのは、4回のスパーリングを通して、拳四朗の特徴や戦い方だけでなく『意外性』まで肌感覚で知っている点だった。過去に、そういう対戦相手は一人もいなかったからだ。
同じく日本人同士で世界王座統一をかけて対戦した京口は、拳四朗に対し「映像で分析しただけでは把握できない、意外性や予想外の感覚があったはず。しっかり準備できれば絶対勝てる」と自信を持って臨めたという。しかし、阿久井には、拳四朗の特徴ばかりか、『意外性』や『予想外』という要素まで、すでに体感として蓄積されていた。
もちろん、阿久井について「肌感覚で知っている」という意味では拳四朗も同じだが、加藤は「プラスアルファの強みを準備して当日を迎えなければ」と考えた。加藤は話を続けた。
「『王座統一戦だから』というより、『拳四朗について知り尽くされている』という意味で、いままでにないほど緊張しました。試合前のインタビューで、ユーリ君は『この試合で一番大事なことは何ですか』と聞かれた時、『スタミナ』と答えていました。そこで『最初から全力で力を出し切るつもりだな』と思いました。
『最初から全力で来る相手にどうすれば勝てるか。わずかな判断ミスでも命取りになる』という危機感があったので、『いつも以上に集中して、誰も気づかないような変化も見逃さないようにしなければ』という思いが強かったですね」
控室で拳四朗と最終調整する加藤
加藤は、トレーナーとして、試合前の選手に対して4つの準備段階を求める。第1段階は、規定回を戦い切れるスタミナとメンタルを身につけること。第2段階は、相手に対してやるべきことを明確にすること。第3段階は、相手に対してどう変化するかをスパーリングで確認すること。そして最後、第4段階は、セコンドの指示がなくても、選手の体が意識せずに自然と動く状態でリングに上がることだ。
阿久井との試合を迎えるにあたり、加藤は、「負ける理由をひとつも作らない」ということをより意識した。
「よく試合に負けたあとに『理由は何だったのか』と探したりしますよね。でも、負ける理由は、試合前の準備段階ですでに積み重なっている。トレーナーとして、探して見つかるような負ける理由は、自分はひとつも作りたくありません。例えば、練習中にケガをして負ける可能性が10%増えたとします。でも、その日の練習をやり切れば、負ける可能性は5%まで下げられるはずです。わずかなことでも妥協せず、日々の積み重ねで負ける可能性を限りなくゼロに近づける努力が、大切ではないでしょうか」
加藤はそう話したのち、続けて拳四朗の"強み"について話した。
「拳四朗の強みは、そうしたすべての準備を、どんな相手とのどんな試合だったとしてもサボらず、緊張感を持ってやり切れる所です。普通の選手なら弱音を吐いてもおかしくないようなきつい練習でも、淡々とこなせる。今回の試合前もいつも通りでした。練習に支障の出るような怪我をしたり、体調を崩して予定していたスパーリングが出来なかったこともありませんでした。体重管理も、1週間前からは毎日、朝昼晩と3回報告するように伝えていましたが、一度も忘れませんでした」
加藤は隣に座る拳四朗のボクシングに対する取り組み方について高く評価した。しかし、一瞬、言葉の間を置いて、
「唯一、気になることがあったとすれば......」
と続けた。
「唯一、気になることがあったとすれば......。試合前に、髪をメッシュでカラーリングし、さらに、強めのカールをかけたことぐらいでしょうか」
加藤はそう言って、隣の拳四朗に視線を向けた。
「俺、何度か聞いたよね、『うわっ、その髪型でいくの?』って」
「いや、僕の試合前のヘアスタイルは、馴染みの美容師さんのおまかせなんですよ......」
不意を突かれた拳四朗は、少しバツが悪そうな表情を見せ、口ごもった。
加藤は「まあ冗談だけどね」と笑い、すぐに真顔に戻り、
「でも、自分はそういう所に油断を感じたりもします」
と結んだ。
ユーリ阿久井戦後の会見で、加藤に確認しつつ応対する拳四朗(写真/北川直樹)
3月13日、阿久井戦当日――。
加藤は東京・両国国技館に到着すると、他のスタッフとともに、控室からリングまでの導線確認をした。
リング内では、スポットライトの照らされていない暗いキャンバスで、阿久井がひとり黙々とシャドーを繰り返していた。加藤はその様子を黙って見つめた。
両国のリングで、一人黙々とシャドーを繰り返していたユーリ阿久井
試合前のルールミーティング。加藤は、4回・8回のラウンド終了時に途中採点を公開するWBC方式ではなく、「非公開」のWBA方式を主張した。阿久井陣営はどちらかと言えば公開を希望していたが、「非公開のほうが拳四朗には有利」と見たのだ。主張どおり、試合中の採点は非公開に決まった。
負ける理由はひとつも作らない――。
加藤の勝負の駆け引きは、すでにこの時から始まっていた。
「ただ、自分がひとつ思い違いをしていたのは、『ユーリ君が拳四朗と向き合う心構えは、試合の1か月前から本格的に作ってくる』と考えていたことです。2月の終わりにスパーリングを打ち上げて、それから当日に向けて心を整える――そう想定していました。
実際は、初めて拳四朗とスパーリングをした時に『いつか超えるべき存在』として捉えていた。その時から準備してきたと考えれば、6年近い月日が経っています。『統一王者になりたい』ではなく、6年も前から『拳四朗を超えたい』という執念を持ってボクシングを続けてきた。だからこそ、あそこまで拳四朗を苦しめたのではないでしょうか」
2017年5月、東京での世界タイトル初挑戦(対ガニガン・ロペス)時に三迫ジムのサポートを受けたことをきっかけに始まった師弟関係。以来8年、世界戦17試合目にして迎えた阿久井戦は、加藤にとっても過去最大の大一番だった。
試合は、名参謀と呼ばれる加藤でさえ、判断に迷う難しい展開に。しかし、拳四朗にとって加藤が心の拠り所であるように、加藤にも大事な局面で支えてくれる"相棒"がいた。
チーム拳四朗のサブセコンド、横井龍一である。
■ユーリ阿久井政悟(あくい・せいご)*写真左
1995年9月3日生まれの30歳。岡山県倉敷市出身。本名は阿久井政悟。父親と叔父も元プロボクサーという環境に育ち、中2から倉敷守安ジムで本格的にボクシングに取り組む。地元の環太平洋大学進学後の2014年4月にプロデビューし、翌年、全日本新人王獲得。2019年10月、日本フライ級王座獲得。2024年1月、アルテム・ダラキアン(ウクライナ)に判定勝利し、岡山県にあるジム所属として初の世界王者に。2025年3月13日、寺地拳四朗とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦では最終12回TKOで敗れる。通算戦績は25戦21勝(11KO)3敗1分け。
■寺地拳四朗(てらじ・けんしろう)*写真右
1992年生1月6日まれの33歳。京都府出身。B.M.Bボクシングジム所属。2014年プロデビューし、2017年、10戦目でWBC世界ライトフライ級王座獲得。9度目の防衛戦で矢吹正道に敗れて王座陥落するも、翌2022年の再戦で王座奪還。同年11月には京口紘人に勝利してWBA王座獲得し2団体統一王者に。2025年3月13日、ユーリ阿久井政悟とのWBA &WBC世界フライ級王座統一戦でも勝利し、二階級で世界2団体統一王者に。2025年7月30日、リカルド・ラファエル・サンドバルに判定負けを喫して王座陥落。通算戦績は27戦 25勝 (16KO) 2敗。
取材・文・撮影/会津泰成
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