相方・川島の年収は60倍!?麒麟・田村が貧乏時代の過酷エピソードを激白
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「じっくり聞いタロウ~スター近況㊙報告~」(毎週木曜深夜0時)。9月11日(木)の放送では、「実家が貧乏さん大集結SP」をお届け!
【動画】相方・川島との年収は60倍差!?麒麟・田村が貧乏時代の過酷エピソードを激白&実家貧乏ホストが歌舞伎町で成り上がり!超高額売り上げを暴露!
田村裕は、1999年に養成所で同期だった川島明とお笑いコンビ・麒麟を結成。
2001年に放送した第1回「M-1グランプリ」で無名ながら決勝戦へ進出し、世間にコンビ名を認知させた。

現在、相方の川島はMC業などで超多忙。ファイナンシャルプランナー1級の資格を持つサバンナ・八木真澄の分析によると、年収差は60倍あるそう。
しかし、そんな川島との仲は変わらないようで、最近は、会うと無意識に「川島さんや!」と緊張してしまうという(笑)。
田村は、2007年に貧乏時代のエピソードをまとめた「ホームレス中学生」を出版。約225万部以上の売り上げを記録し、映画やドラマ化もされた。
田村の父親は大手製薬会社の社員で、おしゃれな団地の最上階に住み、両親・兄・姉との5人家族でそこそこいい暮らしをしていたが、父親が大の競馬好きで、彼が作った借金を母親が返済。
しかし、その母親が病で亡くなってしまうと、父親は借金を返さず膨らむ一方で、ついに家も売却、あっという間に貧乏になってしまった。
田村いわく、MCの名倉潤やメッセンジャーの黒田有、NON STYLEの石田明のように生まれつきの貧乏は「慢性貧乏」で、そこそこの暮らしから転落した自分は「急性貧乏」とのこと。
田村が中学2年生の時、帰宅すると家に差し押さえのテープが貼られ、父親は一方的に「これからは各々頑張って生きてください。解散!」と宣言。
一家離散となるが、田村は兄や姉に迷惑をかけまいと、近所にあった通称「まきふん公園」のすべり台で寝泊まりをし、食事は兄のバイト先でご飯をもらったり、公園の葉っぱを食べたりしていたという。
夏休みに入ったある日、すべり台を滑っていた子どもが、寝ていた田村を押し出す形になってしまい、その子どもは「ウ○コのオバケや!」とビックリ! 翌日は子どもたちから、「ウ○コのオバケおんねやろ!」と石を投げられたそう。
当初は父親がすぐに迎えに来ると思っていたが、一向に現れず、ついに限界がきて仲の良かった友人に相談。すると友人の母親が「この家住みなさい。お兄ちゃん、お姉ちゃんも呼びなさい」と言ってくれて、バラバラだった兄弟は再会する。
さらに、その友人の母親は家探しや契約も手伝ってくれたという。

家賃は生活保護費で支払い、兄が生活保護費とバイト代から毎月お小遣いを工面し、田村はちょっぴりお金に余裕のある生活を送れるようになるが、高校生の頃、生活保護受給が差し止められてしまい、2度目の急性貧乏に。
唯一の楽しみは、週に1回兄が支給してくれる卵。それを3分の1に分けて、1つは卵かけご飯、残りを卵焼きとスクランブルエッグにして味わっていた。
ちなみに、解散を告げた父親とは、兄弟と暮らし始めた頃に1度だけ再会したが、挨拶を交わしただけで終了。その後は、番組の企画で対面したそう。
ちなみに田村は、「ホームレス中学生」で印税約2億円を稼いだものの、税金で約1億円を持っていかれ、残ったお金も8カ月で使い切ってしまったという。
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田村裕は、1999年に養成所で同期だった川島明とお笑いコンビ・麒麟を結成。
2001年に放送した第1回「M-1グランプリ」で無名ながら決勝戦へ進出し、世間にコンビ名を認知させた。

現在、相方の川島はMC業などで超多忙。ファイナンシャルプランナー1級の資格を持つサバンナ・八木真澄の分析によると、年収差は60倍あるそう。
しかし、そんな川島との仲は変わらないようで、最近は、会うと無意識に「川島さんや!」と緊張してしまうという(笑)。
田村は、2007年に貧乏時代のエピソードをまとめた「ホームレス中学生」を出版。約225万部以上の売り上げを記録し、映画やドラマ化もされた。
田村の父親は大手製薬会社の社員で、おしゃれな団地の最上階に住み、両親・兄・姉との5人家族でそこそこいい暮らしをしていたが、父親が大の競馬好きで、彼が作った借金を母親が返済。
しかし、その母親が病で亡くなってしまうと、父親は借金を返さず膨らむ一方で、ついに家も売却、あっという間に貧乏になってしまった。
田村いわく、MCの名倉潤やメッセンジャーの黒田有、NON STYLEの石田明のように生まれつきの貧乏は「慢性貧乏」で、そこそこの暮らしから転落した自分は「急性貧乏」とのこと。
田村が中学2年生の時、帰宅すると家に差し押さえのテープが貼られ、父親は一方的に「これからは各々頑張って生きてください。解散!」と宣言。
一家離散となるが、田村は兄や姉に迷惑をかけまいと、近所にあった通称「まきふん公園」のすべり台で寝泊まりをし、食事は兄のバイト先でご飯をもらったり、公園の葉っぱを食べたりしていたという。
夏休みに入ったある日、すべり台を滑っていた子どもが、寝ていた田村を押し出す形になってしまい、その子どもは「ウ○コのオバケや!」とビックリ! 翌日は子どもたちから、「ウ○コのオバケおんねやろ!」と石を投げられたそう。
当初は父親がすぐに迎えに来ると思っていたが、一向に現れず、ついに限界がきて仲の良かった友人に相談。すると友人の母親が「この家住みなさい。お兄ちゃん、お姉ちゃんも呼びなさい」と言ってくれて、バラバラだった兄弟は再会する。
さらに、その友人の母親は家探しや契約も手伝ってくれたという。

家賃は生活保護費で支払い、兄が生活保護費とバイト代から毎月お小遣いを工面し、田村はちょっぴりお金に余裕のある生活を送れるようになるが、高校生の頃、生活保護受給が差し止められてしまい、2度目の急性貧乏に。
唯一の楽しみは、週に1回兄が支給してくれる卵。それを3分の1に分けて、1つは卵かけご飯、残りを卵焼きとスクランブルエッグにして味わっていた。
ちなみに、解散を告げた父親とは、兄弟と暮らし始めた頃に1度だけ再会したが、挨拶を交わしただけで終了。その後は、番組の企画で対面したそう。
ちなみに田村は、「ホームレス中学生」で印税約2億円を稼いだものの、税金で約1億円を持っていかれ、残ったお金も8カ月で使い切ってしまったという。
記事提供元:テレ東プラス
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