【現地ルポ】トランプ政権下で戦場と化す、アメリカ-メキシコ国境の「混沌」
メキシコ北部のチワワ州、シウダー・フアレスの国境ではメキシコとアメリカが共同でパトロールを行なっているが、メキシコ側が警察車両を使う一方、アメリカ側は戦車を持ち出してきていた
第2次トランプ政権発足以降、厳しい麻薬・移民対策を課されている隣国メキシコ。
アメリカへの麻薬も移民の流入も減りはしたが、逆にメキシコ国内の治安が大悪化
しているという。現地在住の映像作家がトランプ政権下で揺れるメキシコの姿をリポート!
1月20日、第2次トランプ政権が発足し、世界のメディアはアメリカ-メキシコ国境に熱い視線を注いだ。トランプ大統領の「史上最大の強制送還」によって大騒動が起こると予測されたからだ。
しかし、ギャングと間違われてエルサルバドルの凶悪な刑務所に送られてしまった男性などの例は目立ったものの、強制送還の件数自体はバイデン前政権下と変わっていないのが実情だ。
一方で、メキシコ国内ではこれまでにない事件が続発した。
まずは、2月末にメキシコで収監されていた麻薬カルテルの幹部29人がアメリカへ引き渡された。
この中には、メキシコ人なら名前を知らない人はいない麻薬王カロ・キンテロをはじめ、シナロア・カルテルのフェンタニル(麻薬性鎮痛剤)密売部門幹部、凶悪な殺害方法で有名なロス・セタスの幹部、そして麻薬カルテルの勢力図を日々書き換えているCJNG(ハリスコ新世代カルテル)の幹部までもが含まれていた。
さらに、メキシコは2006年から始まった政府と麻薬組織との「国内戦争」において、毎年3万人が死亡するという治安の悪化を体験したが、そんな同国でも過去に類を見ないほどの残虐な事件が明らかになる。
メキシコ中西部、ハリスコ州にある「イサギレ農場」が、カルテルのヒットマンのリクルート兼処刑施設として使われていたのだ。そこでは、街中で誘拐された若者たちが決闘をさせられ、勝ち残ったほうがカルテルに入れられたという。
まるで生き物を閉じ込めて共食いさせる呪術「蟲毒(こどく)」のように、若者たちが殺し合いをさせられた農場。現場には犠牲者たちの遺留品が散乱していた ©Guerreros Buscadores de Jalisco
負ければ死、勝っても殺し続けなければ生き残れない極限状態に置かれる。農場を発見した女性は、被害者のものと思われる無数の遺留品を発見し、現実離れした悲惨さに言葉を失ったという。
メキシコのシェインバウム政権は、アメリカとの相互関税引き上げを回避する条件として移民と麻薬取り締まりの強化を行ない、カルテルの幹部すらアメリカに引き渡した。しかし、それがトリガーになり、カルテル間の抗争は激化。若者たちは誘拐され、殺し合いをさせられている。
こうした状況の発端はどこか。私は移民と麻薬が集まる場所、国境へと向かった。
■「地獄の街」シウダー・フアレスアメリカのテキサス州エルパソと国境を挟んで隣り合う、チワワ州のシウダー・フアレス(以下、フアレス)は、かつて「地獄の街」と呼ばれていた。08~10年の間、フアレスは殺人率世界1位。
人口150万人程度の都市だが、10年の年間殺人件数は3622件。同年の日本の年間殺人件数が約1000件だったことと比べると、この都市の異常さがわかるだろう。
まず、フアレスで一番有名な国境の橋「パソ・デル・ノルテ橋」を訪れた。リオ・ブラボ川を挟む形でメキシコとアメリカが向かい合っている場所だ。
2国間の国境をまたぐパソ・デル・ノルテ橋の中央には、メキシコとアメリカの国境線を示すプレートが設置されている。左がメキシコ側(スペイン語)で、右がアメリカ側(英語)
これまで訪れた際はいつもアメリカ側に渡る人でごった返していたが、今はどうなっているのか。橋で菓子やたばこを売るメキシコ人男性に話を聞いた。
「最近、国境の様子はどう?」
「海外からの移民がだいぶ減ったね。前はベネズエラとかいろんなラテンアメリカの国から来てたけど、いなくなったな」
やはり、メキシコ国境を渡ってアメリカに入る移民は如実に減っているようだ。
次に向かったのは、フアレスの西部にある「カサ・プロモシオン・フベニル」(青少年振興センター)。家族がいなかったり、学校に行っていなかったりする青少年の教育・更生の施設だ。
同センターのディレクターであるマリア・アルマダ氏によれば、地区内には多くの子供がいるのに、公立の高等教育機関がない場所すらあるという。政府に何度申請をしても、学校は建設されない。
彼女に言わせれば、それこそ政府からの若者への暴力的なメッセージだという。多くの若者が「どうせ自分のことなんて、社会は必要としていない」と感じているそうだ。
そこにつけこむ形で、多くのカルテルが若者をリクルートしており、その仕事内容は麻薬密売からアメリカ密入国の案内人まで多岐にわたるという。
「実際に誰がどのように若者をリクルートするんですか?」
「実は......家族なんです」
「家族が? カルテルのメンバーが近づくのではなく?」
「両親や親戚がカルテルのメンバーだったりしますから」
衝撃だった。カルテルのメンバーが実の子供や親戚の子供をリクルートしているケースが多いという。彼女は続けた。
「この街では10年頃、たくさんの人が殺された。そのときに子供だった人が今、青年になっているの。そして、その世代の人は、いつも復讐を考えている。『いつか自分の家族を殺した人間を殺してやる』と」
自分の家族は誰かに殺されたのに、なぜ自分は殺してはいけないのだ、ということか。
「若い女性はどうですか?」
「売春が多いね。若いコは10代の中頃から始めて、セレソでは一晩で5000ペソ(約3万7000円)ぐらい稼ぐのよ」
フアレス市民の平均所得が月約8000ペソ前後であることを考えると、かなりの額だ。
「ちなみに、セレソ(cerezo=桜)は地名ですか?」
「刑務所(cereso)よ」
「刑務所で、10代中頃の女子が売春を?」
「刑務所ではなんでも手に入るからね。麻薬も女も」
そういったことがこの国では行なわれていると、頭では理解していた。しかし、実際に生で聞くと、絶句してしまう。
マリア氏は、更生の過程にあるとある少年の話もしてくれた。彼はラッパーになることを夢見て、楽曲を作り始めた。しかし、その歌詞は「警官を50人殺す」などといったものばかりだったという。
彼は、最近「悪は死ななければならない」(El mal tiene que morir)という曲を作ったそうだ。彼の考える「悪」とは、いったい誰なのだろう。
■日本初の取材で見た、戦場と化す国境次に、州警察の国境パトロールに同行した。ちなみに、日本メディアに同地の国境パトロールの取材が許可されるのは初とのことだった。
現在、州警察はアメリカ国境警備隊と連携しながら、「鏡作戦」を行なっている。国境を挟んで両国の部隊が並行してパトロールをするところから、その名がつけられた。
筆者が乗り込んだ車両には両脇にマシンガンを抱えた警官が同乗した。フアレスで一番治安が悪化している国境に向かうとのことだった。今回案内をしてくれた警官は、エドゥアルド氏。フアレスでの勤務は20年超、麻薬戦争を生き残ったたたき上げだ。
「フアレスの治安が良くなったかって? そうなってたら、うれしいけどね」
22年のデータでは、フアレスでの殺人件数は年1034件で、10年の3分の1以下ではあるものの、いまだ世界で第9位の殺人率である(ちなみに、トップ10にはメキシコから9都市も入っている)。お世辞にも治安が劇的に改善した状態とは言えない。そして、われわれはそんな都市の最も治安が悪い場所へと向かっている。
徐々に町並みが変わり始めた。舗装道路が消え、土がむき出しの道に国境の壁が現れ、そばに住宅が密集している。そこで車両は停止した。
フアレスには、5~6mの国境の壁が途切れ、低い柵だけになる箇所がある。ここはフアレスの中でも最も治安が悪く、後ろに見える住居群の中には、麻薬カルテルの所持する武器や麻薬、そしてカルテルが拉致した若者や移民が隠されているという。手前が警官歴20年超のエドゥアルド氏
そこでは「国境の壁」が途切れていて、代わりに人の背よりも低い柵だけが置かれていた。その気になれば簡単に乗り越えられるだろう。エドゥアルド氏は言う。
「この近辺にはカサ・デ・セグリダッド(安全な家)がある」
この場合の「安全」とは、犯罪組織にとってのもの。つまり、アジトのことだ。
「一見、普通の家のように見えるが、カルテルの武器や麻薬があり、誘拐された人たちもいる。
この前も通報があり、踏み込んだ。クリスタル・メス(覚醒剤)とフェンタニルが見つかった。また、7人が拘束されていて、そのうちふたりが未成年だった」
「なぜ、若者が巻き込まれるのでしょうか?」
「彼らは未成年で刑が軽いから利用されやすい。不法移民も越境する際に麻薬を運ぶために利用される。この前、トンネルが見つかったが、ひとつは麻薬用で、もうひとつは人間用だった」
エドゥアルド氏がアメリカ側を指でさす。その先には......。
「米軍が戦争で使う戦車だ」
「アメリカは、国境を戦場と見なしているのでしょうか?」
この質問には、エドゥアルド氏は答えず、短く首を振った。言わずとも察する空気が流れた。兵器は戦場において投入される。国境は、今や戦場と化しているのか(冒頭の写真)。
アメリカ側の国境に配備された戦車の乗組員のひとり。コロラド州出身の米軍兵士で、配属されて7ヵ月だという。エドゥアルド氏が自身の腕章をプレゼントすると、うれしそうに戦車に戻っていった
さて、アメリカから強制送還された移民はどこへ行くのか。フアレスの北部では大規模強制送還に備え、メキシコ政府が大型の保護キャンプを造っていた。冷房完備で、2500人を収容できる施設だ。担当者は言う。
「メキシコ政府は、強制送還者に対して2000ペソ分のカードを帰国支援費用として支給しています。実家に戻りたい方、キャンプにとどまりたい方、仕事が欲しい方、すべての方々に手厚いサービスを行なっています。
でも、予想していたほどの強制送還は行なわれていません。例年とほぼ同じ数字です」
実際に、現在の施設の使用状況は10%にも満たないという。
トランプ大統領の掲げる「史上最大の強制送還」に備えてメキシコ政府が造った強制送還者用のキャンプ。見てのとおりガラガラで、実際に第2次トランプ政権になってから強制送還の件数は増えてはいないのが実情だ
キャンプに滞在中のひとりの男性に話を聞いた。彼はアメリカの建設現場で働いた帰りに移民局に捕まって、強制送還されたという。その証拠に、現場で着る蛍光色の服を着ていた。
「移民局は以前より厳しくなったね。拘束するときは、何も聞かれない。拘束される理由もね。捕まって留置場に入るときに初めて聞かれるんだ。ビザを持っていますか?ってね」
このやり方は、どの強制送還者に聞いても同じだった。拘束前にビザの有無を聞かれた人はいなかった。彼は続ける。
「もともと、アメリカ人はオレたちのこと、差別してたからな。表でもやるようになっただけだろ」
最後に向かったのは、フアレスに唯一ある移民の支援施設「移民の家」。ちょうどわれわれが訪問したときは、38人の移民希望の人々が滞在していたが、一時期よりかなり減ったという。
同施設代表のイボンヌ氏は、その理由を「CBP Oneの廃止による影響」と説明する。
CBP Oneとは、米国土安全保障省が提供していたアプリで、庇護申請の事前予約ができるサービスだ。この予約ができれば、合法的にアメリカに入国することができたので、バイデン政権下では多くの移民がこのシステムを利用した。
だが、第2次トランプ政権は、発足初日にこのアプリの停止を決定。それを受けて、多くの移民志願者がアメリカへの渡航を諦めた。移民の流入を減らすという点で見た場合、最も効果を上げた政策と言える。
イボンヌ氏から、すでに1年以上もこの施設に滞在しているというベネズエラ人一家を紹介してもらった。祖母(51歳)、母(35歳)、息子(15歳)の3人だ。
ペルーから半年間かけてフアレスにたどり着いたベネズエラの移民一家。15歳の息子(手前)の夢は野球選手で、「日本人の選手も知ってるよ! ショーへー・オータニ!」とコメントをくれた。いつか立派な選手になってくれるこ
17年に経済が悪化したベネズエラからペルーに渡るも、そこでも困窮し、アメリカへの移住を決意。すでに親類がCBP Oneを利用してアメリカ国内で暮らしていたからだ。24年にペルーを出国し、エクアドル、コロンビアを経て、死の地峡「ダリエン」を渡り切る。
その後、中米諸国を通過し、ついに出発から半年後にメキシコのフアレスにたどり着く。CBP Oneの申請をし、結果を待っていたのだが......。
「CBP Oneが廃止されてどのように思いましたか?」
祖母は、まるで昨日それが起こったかのように答えた。
「今でも涙が出ます。家族とアメリカで再会できると思っていたのに」
一家は、ベネズエラへの帰国を考えているが、飛行機が出るメキシコ市に行く資金がなく、施設にとどまっていた。
今回の取材の直後、ふたつのニュースが入ってきた。ひとつ目は、冒頭に書いたイサギレ農場を発見した女性が息子と共に路上で殺害されたというもの。ふたつ目は、シェインバウム大統領の右腕に当たるメキシコ市長の政策顧問と秘書のふたりが殺害されたというもの。
戦場と化した国境を発端に、メキシコは今も揺れ続けている。
●嘉山正太(かやま・しょうた)
1983年生まれ、埼玉県出身。横浜国立大学人間科学部卒業。日本の映像制作会社で働いた後、2008年にメキシコに移住。以降、ラテンアメリカ全域でのテレビ番組・映画・CMなどのコーディネートを行なう。制作業務をはじめ、脚本執筆から国際映画祭などのイベントの通訳まで幅広い分野の仕事を行なう。著書に『マジカル・ラテンアメリカ・ツアー 妖精とワニと、移民にギャング』(集英社インターナショナル)がある
取材・文・撮影/嘉山正太(映像作家、撮影コーディネーター)
記事提供元:週プレNEWS
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