ひろゆきが睡眠学者・柳沢正史に聞く、眠りについての本当の話⑩「睡眠に関連する物質『オレキシン』はどうやって発見された?」【この件について】
「ですからがくぜんとしました。あれだけ苦労して発見し、論文まで発表したのに......」と語る柳沢正史先生
ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。睡眠学者の柳沢正史先生を迎えての10回目です。「オレキシン」の発見で睡眠の世界的権威になった柳沢先生ですが、最初、オレキシンは食欲に関する物質と思っていたそうです。どうやって睡眠に関わるとわかったのでしょうか?
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ひろゆき(以下、ひろ) 前回から柳沢先生が発見した「オレキシン」のお話を伺っています。オレキシンは睡眠に関わる重要な物質として知られていますが、当初は実験結果から食欲に関する物質だと考えていたそうですね。
柳沢正史(以下、柳沢) はい。オレキシンが食欲増進物質なら、欠乏させたマウスは食欲が低下し、痩せるのではないかと期待していました。
ひろ でも、その期待は裏切られたというのが、前回までのお話でした。
柳沢 普通のマウスと比べて、摂食量も体重もまったく変わらなかったんです。それどころか、毛並みも良く、元気に活動し、繁殖も問題なく行なう。つまり、オレキシンがあってもなくても、食欲や体重に関しては何も変わらないという結果になったのです。
ひろ オレキシンの論文を発表した直後の出来事でしたよね。
柳沢 ですからがくぜんとしました。あれだけ苦労して発見し、食欲に関する物質として論文まで発表したのに、「あってもなくても一緒なのかよ......」と。それでオレキシンの研究は店じまいしようかと思ったほどです。でも、ふと気づいたんです。「私たちは昼間に観察していたけれど、マウスは夜行性だよな」と。
ひろ これまで人間側の都合で見ていたと。
柳沢 そこで、夜間に1日何gの餌を食べたかといったデータだけでなく、彼らが実際にどのように活動しているのかをじっくり観察することにしました。すると、元気に動き回っているマウスが急に、まるでスイッチが切れたかのようにパタッと動きを止め、おなかを床につけて動かなくなってしまったんです。でも、しばらくすると何事もなかったかのように、またスッと元に戻って動き出す。こういう奇妙な現象が、オレキシンを欠損したマウスにだけ頻繁に観察されました。
ひろ 何が起こったんですか?
柳沢 最初、これを見たとき、私は「痙攣を伴わないタイプのてんかん発作ではないか?」と考えました。そこで脳波を測定しましたが、てんかん発作に特徴的な波形はまったく見られませんでした。その代わりに、スイッチが切れたように行動停止が起こる瞬間に、脳波が起きているとき(覚醒時)のパターンから、一瞬にしてレム睡眠のパターンへ移行したんです。
ひろ あの、夢を見る睡眠として知られているレム睡眠ですか?
柳沢 そうです。通常、私たち哺乳類の睡眠は、まず段階的に深くなるノンレム睡眠から入り、その後にレム睡眠に移ります。ノンレム→レム→ノンレム→レムというサイクルを繰り返すのが正常なパターンです。ですから、「覚醒状態から直接レム睡眠に移行する」のは異常な現象なのです。
ひろ オレキシンが欠乏していると、異常なパターンになると。
柳沢 はい。それと同時に筋肉の活動を記録する筋電図を見ると、筋肉の緊張が完全に消失していました。つまり、突然、全身の力が抜ける「脱力」状態に陥っていたんです。当時、私は睡眠に関してはまったくの素人でしたから、睡眠に関する教科書を読み直すと、それは「ナルコレプシー」という睡眠障害だということがわかりました。
ひろ いわゆる「居眠り病」といわれるものですね。
柳沢 ええ。ナルコレプシーの患者さんは、食事中や会話の最中などに突然眠りに落ちる「睡眠発作」を起こします。オレキシン欠損マウスをよく観察すると、この睡眠発作に相当する突然のレム睡眠への移行も見られました。
ひろ なるほど。
柳沢 さらにナルコレプシーの患者さんには、もうひとつ非常に特徴的な症状があります。それは「情動脱力発作(カタプレキシー)」です。例えば、話していて笑った瞬間に突然全身の力が抜けて崩れ落ちてしまいます。
ひろ 笑ったことが引き金になるんですか?
柳沢 そうです。人間の場合、笑うなどのポジティブな感情の起伏が引き金となって、突然、体の力が抜けてしまいます。マウスの場合も大好物のチョコレートを与えると、喜んで食べ始めた途端に脱力してしまうことがよくありました。つまり、人間と同じようにポジティブな情動が引き金となって脱力が誘発されたと考えられるんです。私たちが観察していたオレキシン欠損マウスの突然の脱力発作は、まさに人間のナルコレプシーにおける情動脱力発作とそっくりでした。
ひろ でも、なぜ力が抜けてしまうんですか?
柳沢 それは、レム睡眠中に起こる生理的な現象と深く関わっています。先ほどレム睡眠は夢を見る睡眠だといいましたが、夢を見ているとき、脳の一部は覚醒に近い状態で活動していますが、一方で外界からの刺激は遮断され、体は深い休息状態にあります。例えば、レム睡眠中は、かなり大きな音を立てないと目が覚めません。
ひろ 外界からの刺激が遮断されているわけですからね。
柳沢 そして、レム睡眠中のもうひとつの重要な特徴が「筋弛緩」です。つまり筋肉の力が完全に抜けてしまうこと。「レム脱力」とも呼ばれます。これは、夢の内容に合わせて体が実際に動いてしまわないようにするための安全装置だと考えられています。呼吸に必要な筋肉や眼球を動かす筋肉など、一部を除いて、全身の骨格筋の力が完全に抜けるのです。
ひろ 食欲に関わる物質を探していたはずが、まったく予想もしなかった結論にたどり着いたわけですね。
柳沢 はい。脳内情報伝達物質であるオレキシンを欠損させるだけで、ナルコレプシーという重篤な睡眠・覚醒障害が引き起こされる。この事実は、裏を返せば、「オレキシンこそが、私たちが日中にしっかりと覚醒状態を維持するために必須の物質である」ということを意味しています。オレキシンがなくなると、覚醒状態が不安定になり、突然レム睡眠に落ちたり、情動脱力発作を起こしてしまう。つまり「オレキシンは脳内で覚醒を安定的に維持するための極めて重要な覚醒物質である」というのが、紆余曲折を経てたどり着いた私たちの最終的な結論でした。
ひろ 一度はがくぜんとして、オレキシンの研究をやめようともしたのに、ものすごくドラマチックな展開ですね(笑)。
柳沢 それで、これはすごいことだとすぐに気がついて研究室の方向を睡眠研究に切り替えたんです。
ひろ 今でこそ「睡眠の権威」と呼ばれる柳沢先生ですが、そんな過去があって睡眠学の道に進んでいったんですね。
柳沢 「食欲の制御に関わっているのではないか」というオレキシンへの仮説は見事に裏切られましたが、睡眠や覚醒と極めて深く関わっていることがわかりました。しかも当時、睡眠や覚醒という現象が遺伝子レベルで語られるような研究は、ほとんど存在しなかったんです。だからこそ、ここから先はまさに未踏の領域だと感じましたし、そこから私は、睡眠研究の世界にどっぷりとのめり込んでいくことになったんです。
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■西村博之(Hiroyuki NISHIMURA)
元『2ちゃんねる』管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など
■柳沢正史(Masashi YANAGISAWA)
1960年生まれ、東京都出身。筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構機構長・教授。1998年に睡眠・覚醒を制御する物質「オレキシン」を発見。監修した本に『今さら聞けない 睡眠の超基本』(朝日新聞出版)などがある
構成/加藤純平(ミドルマン) 撮影/村上庄吾
記事提供元:週プレNEWS
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