マキロイとなでしこの「グランドスラム」【舩越園子コラム】
ローリー・マキロイ(北アイルランド)が悲願の「マスターズ」制覇とキャリアグランドスラムを達成した4月。ゴルフ界はこの話題で持ち切りだったが、その2週間後、日本のゴルフ界が“別のグランドスラム”で沸き返ったことは、とてもうれしい出来事だった。
そもそもマキロイは、最初からグランドスラムを目指していたわけではない。彼が幼いころから夢見ていたのは、マスターズを制してグリーンジャケットを羽織ることだった。
しかし2011年、優勝ににじり寄りながら、最終日後半で大崩れして悔し涙を流した。あの日以来、14年間、マキロイはマスターズで勝利を挙げることができず、その夢を追い続ける運命を辿った。
ほかの3つのメジャーでは12年と14年に早々に勝利したことで、一番欲しかったマスターズ優勝とキャリアグランドスラム達成という2つの高いハードルが“1セット”になってしまった。そうなったことで、その実現は一層難度が高まってしまった。
その高い高い壁を打破したからこそ、グリーンジャケットを羽織ったマキロイを世界中の人々が心から讃えたのだと思う。
ゴルフ界はまさに「マキロイ一色」になった。だが、マスターズから2週間後、米女子ゴルフのメジャー大会「シェブロン選手権」で西郷真央が5人によるプレーオフを制してメジャー初優勝を果たすと、日本のゴルフ界の話題は「西郷一色」になった。
昨季はルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人賞)を受賞したが、勝利には手が届かず、悔しさを噛みしめた。しかし今季は一転して初優勝をメジャーで飾ったところに、彼女のとてつもない忍耐力とばん回力、精神力の強さが見てとれる。
そんな勝利を絶賛しつつ、西郷がシェブロン選手権を制したことで日本女子選手がメジャー5大会をすべて制覇したことも注目され、「これで日本の女子選手によるグランドスラム達成だ」と歓喜した。
樋口久子が1977年に「全米女子プロ」を制して以来、日本人選手とメジャー優勝はあたかも無縁のように思われてきた。その状況を打ち破ったのが、2019年「全英AIG女子オープン」を制覇した渋野日向子だった。
すると、渋野に続くかのように、笹生優花が21年と24年に「全米女子オープン」で勝利を挙げ、24年には古江彩佳が「アムンディ・エビアン選手権」で優勝。そして西郷がシェブロン選手権で勝利し、日本人女子選手によるメジャー5大会全制覇が達成された。
これを「グランドスラム」と呼んで良いのかどうか?それは「良いか、悪いか」ではなく「呼んだもの勝ち」である。
そもそも男子のグランドスラムだって、1930年に球聖ボビー・ジョーンズが達成したのは今とは異なる4大会(全米オープン、全米アマ、全英オープン、全英アマ)だった。その後、全米プロが創設され、グランドスラムの対象はプロ競技に限定。マスターズが創設されてからは、現在のメジャー4大会になった。
そして、1年間ではなくても、キャリアを通して4大会を制覇すれば、キャリアグランドスラムと呼ばれるようになった。だが、タイガー・ウッズ(米国)がシーズンをまたいでメジャー4連勝をしたら、今度は「タイガースラム」という新語が生み出された。
それならば、日本人女子選手によるメジャー5大会全制覇だって、「日本女子スラム」とか、「なでしこスラム」などと名付けてしまえば、呼んだもの勝ちになるだろうし、日本人として、そうしてしまいたい衝動に駆られる。
ところで、男子のグランドスラムはメジャー4大会をすべて制覇することだが、メジャー大会が4大会から5大会に増えている現在の女子の場合は、5つのうちの4つを制覇すればグランドスラムとされている。
女子の「5分の4」は男子の「4分の4」と比べて難しいのか、それとも易しいのか。マスターズ制覇で「残るはあと1つ」となったマキロイが毎年、マスターズで重圧に苦しんだことを思うと、女子の場合は3大会を制して「あと1つ」となったときに選択肢が2つ残されることは、ほんの少しだけ気が楽かもしれないとも思う。
ちなみに、女子の場合は「5分の5」を達成したら「スーパー・キャリアグランドスラム」と呼ばれる。これを達成したのはカリー・ウェブ(オーストラリア)ただ一人である。だが、日本の女子選手は5人で「5分の5」を達成したのだから、「日本女子スーパースラム」と言っても良いのではないだろうか。
マキロイと西郷真央のメジャー優勝、そして「グランドスラム」に沸いた4月は、そんなことをあれこれ考えさせられた楽しい1か月だった。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
<ゴルフ情報ALBA Net>
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