“痛恨”を封じ込めた松山英樹 静かに手に入れた銅メダル【舩越園子コラム】
松山英樹が長い腕を生かしてスマホを掲げ、セルフィ―で記念写真を撮る場面を、かつて何度も目にしてきた。
PGAツアーの試合会場で、数名の米国人ギャラリーから記念撮影をせがまれ、松山自身がギャラリーのスマホを全員の頭上に掲げて、パシャっと撮影した場面を目撃したこともあった。
パリ五輪の男子ゴルフで見事、銅メダルを獲得した松山は、金メダルに輝いた米国代表のスコッティ・シェフラー、銀メダルを手に入れた英国代表のトミー・フリートウッドとともに表彰台に立ち、それぞれのメダルを首からかけてもらうと、その後は、松山がスマホを掲げ、3人で記念撮影に興じた。
丸山茂樹ヘッドコーチやチーム松山の仲間たちとも、やっぱり松山がスマホを高々と掲げて、うれしそうに記念撮影。
そんな松山の姿には、衆人環視の下ではあまり見せることがない彼の「素」の笑顔が珍しく満開で、だからこそ、彼の大きな喜びが伝わってきた。
松山が五輪のメダルを手に入れるまでの道程は、決して平坦ではなかった。
2016年のリオ五輪では出場資格を得ていながら、現地のジカ熱などを重く見て欠場という苦渋の決断を下した。
2020年の東京五輪では7人によるプレーオフで銅メダルを競い合ったものの、松山は敗れ、悔しさをかみ締めた。
そして迎えたパリ五輪では首位発進を決めたものの、2日目の18番では池に落としてダブルボギー・フィニッシュ。3日目は、なかなかパットが決まらず、苦戦して首位から3打差の4位タイへ後退した。3つのメダルは、近づいては遠のいていく陽炎(かげろう)のようだった。
最終日は大混戦となり、そして“意外”な出来事の連続だった。
首位タイからスタートした米国代表で東京五輪金メダリスト、ザンダー・シャウフェレのゴルフが、それまでの3日間とは別人のように振るわなくなった。後半の連続ボギーと15番の池ポチャによるダブルボギーで、メダル争いからフェードアウトしていったことは大きな“意外”だった。
やはり首位タイからスタートしたスペイン代表のジョン・ラームは、一時は2位を2打も3打も引き離して独走態勢に入っていたが、11番から連続ボギー。14番(パー5)ではグリーン回りで苦しんで、まさかのダブルボギーを喫したことは、これまた驚きだった。
それでも16番でバーディを奪い返したラームには、まだメダル獲得の可能性があった。しかし、17番も18番も連続でボギーを叩き、最終的にノーメダルで終わったことは、なんとも“意外”な結末だった。
一方、最終日を首位から4打差の6位タイで迎えたシェフラーとアイルランド代表のローリー・マキロイが、どちらも猛チャージをかけてメダル争いに加わったことは、彼らの実力と実績からすれば、十分に予想できた展開だった。そのままシェフラーが駆け抜け、金メダルを手に入れたことも、決して予想外ではなかった。
だが、一時は松山とともに3位に並んだマキロイが、15番で池につかまり、ダブルボギーを喫してメダル争いから脱落したことは、なんとも衝撃的な展開だった。シャウフェレもラームもマキロイも、痛恨のミスによる痛恨のダブルボギーでメダルを逃した。
そんな大混戦、大混乱を傍目に、松山は6バーディで着々とスコアを伸ばし、ボギーは1つも叩かなかった。
とはいえ、危うい場面がなかったわけではない。5番ではティショットが右に出て、木に当たり、下方へ落ちた。だが、そこからピン4メートルほどへ付けてバーディーを奪うと、続く6番でもラフからピンそばへピタリと付けてバーディ獲得。運にも恵まれていたが、松山自身の『絶対にリカバリーするぞ』という気概と執念も、そこにはあった。
後半はチャンスをなかなか決めきれず、最終ホールの18番でもバーディパットはぎりぎりカップに届かなかった。だが、この日の松山は大きなミスはひとつもおかさず、ビッグトラブルには一度も陥らなかった。
虎視眈々とメダルを狙い、“痛恨”“意外”を完全に封じ込めた静かな戦いぶりが、松山に悲願の五輪メダルをもたらしたのではないだろうか。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
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