F1ドライバー・角田裕毅選手、アマチュア時代に経験した“初めての挫折”「帰りの新幹線で泣いたのを覚えています」

「NumberTV」第12回は角田裕毅選手
苦難を乗り越えてきたプロアスリート本人が、個々の競技人生を変えた「最大の挫折」と「復活」の物語を自らの言葉で語るリアルドキュメント「NumberTV」(全24回)の第12回が、1月16日にLeminoで配信された。第12回は、若手の登竜門であるF4から最高峰のF1まで瞬く間に。駆け上がり、日本モータースポーツ界の次世代スターとして期待されているF1ドライバー・角田裕毅選手が登場した。(以下、ネタバレを含みます)
日本人最年少記録を更新する20歳という若さでF1デビュー
「NumberTV」は、俳優の福士蒼汰がナビゲーターを務め、トップアスリートたちの輝かしい「現在」とそれに至るまでの「挫折」をアスリート本人が語るリアルドキュメンタリー番組。スポーツ総合雑誌「Sports Graphic Number」とLeminoの共同プロジェクトによって誕生した。
第12回に登場したのは、日本人最年少記録を更新する20歳という若さでF1デビューを果たしたドライバー・角田選手。今回、アマチュア時代に経験したレーサー人生が閉ざされてしまいそうになるほどの挫折について口を開いた。

角田裕毅選手が初めての挫折を語った
角田選手「カートが好きじゃない時期もありました」
元モータースポーツ選手の父の指導の下、4歳でカートを始め、翌年には地元サーキットが主催するレースのキッズクラスでシリーズチャンピオンを獲得。その後も勝利を重ね、次々とカテゴリーを上げていった。角田選手は当時について「父の教えが良かったのもあり、最初の(頃の)レースが結構勝てて、すごく楽しい時期でした。まだライバルとかが見つかっていない状態だったので、僕にとってレースは“勝つスポーツ”でした」と語る。
7歳でF1と出合った頃から父の指導が本格化。大きな大会で結果を残し続ける一方で、楽しいものだったレースが次第にそうではなくなっていく。角田選手は「父の指導が厳しくなり始めて、めちゃめちゃ怒られて、カートが好きじゃない時期もありました」と目を伏せる。
16歳の時、鈴鹿サーキットレーシングスクールに入校し、主戦場はカートからフォーミュラカーに。父から離れたことで、大きな成長を得る。「めちゃめちゃ良かったです。怒られなくなるし(笑)」と明かしつつ、「それまではレースで負けてもあまり『悔しい』って気持ちがなかったんですよ。でも、父から離れたことで(悪い部分を)自分で改善しようとして、勝ったり負けたりして、そこでめちゃくちゃ『悔しい』って気持ちが湧いて、『次は絶対勝ちたいな』って。そういった気持ちが初めて燃えたぎるようになりました」と告白。

角田裕毅選手
F4参戦への最終選考会で挫折「『終わるんだな…』と」
フォーミュラデビュー戦では史上最年少で表彰台に立ち、F1日本グランプリの前座レース「スーパーFJドリームカップレース」で優勝するなど、ライバルとの経験の差を瞬く間に埋め、スクールを2位以内で卒業すれば翌年からF4に参戦できる位置まで上り詰める。しかし、最終選考会で思いもよらない初めての挫折を迎えてしまう。
慢心からくる油断で、フライングとコースアウトにより最終成績は3位となって落選。「『今回のテストで落ちたらレース活動は終わる』というのは前々から父と話していたので、『終わるんだな…』と感じて、帰りの新幹線で泣いたのを覚えています。初めてレースで泣いたんです」と打ち明けた。
だが、選考会3位という結果ながら、その姿勢と実力が認められ、翌年のFIA F4選手権に参加できることに。レーサー人生終幕の危機から一転、再び挑戦できることになった当時を振り返り、角田選手は「心の赤い炎が青い炎に変わったような感じ。『再挑戦して、人生を懸けて全てのレースに挑戦しよう』『ドライバーとして世界一になりたい』という感情に変わりました」と、精神的に成長できたことを語った。
【制作・編集:WEBザテレビジョン編集部】

角田裕毅選手
記事提供元:Lemino ニュース
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