映画監督YOUが東日本大震を追い続ける理由…被災地での反応は?:YOUは何しに日本へ?
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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日本を訪れる外国人たちを、空港で勝手に出迎えアポなしインタビュー!そのまま密着取材を行う「YOUは何しに日本へ?」(月曜夜6時25分)。今回のテーマは、「あ~!やっぱり日本が大好きだ~!SP」。YOUの姿を通して日本を大事にしたくなるサステナブルな95分で、はたしてどんな面白YOUに出会えるのか?
【動画】映画監督YOUが東日本大震を追い続ける理由&観光客の来ない常連でにぎわう下町食堂を探す男たち

羽田空港で声をかけたのは、ドキュメンタリー映画を制作するイタリア人監督のロレンツォ・スクアルシアさん(29歳/来日10回目)。世界を飛び回って撮影する、映画監督兼プロデューサーだ。
妻を亡くした老人男性の過去と未来を描いた作品『BLUE DOTS(青い水玉)』は、アメリカで最も権威ある映画祭「DOC NYC」にて、ベストドキュメンタリー賞を受賞するほどの実力者。
聞けばこれから気仙沼(宮城県)入りし、東日本大震災で発生した津波のドキュメンタリーを撮影するという。「僕が一番描きたいのは震災後の日本人の生き方。復興に向けてがんばる姿に、日本人の強さや人柄が出ている。その様子を撮り続けている」と教えてくれた。2017年から撮影してきた作品はすでに上映され、今は続編を撮影中。取材の取材をしたいと申し出ると、今回はかなり忙しくて厳しいそうで密着ならず。残念…。

ところが6カ月後、再び来日するロレンツォさんから「もう一度話がしたい」と連絡が!喜んで羽田空港で出迎えると、撮影スタッフのアレッシオさん(写真左)、日本語が話せる友人&通訳スタッフのダヴィデさん(写真中)と共に現れた。
映画が完成したので、気仙沼でお披露目の上映会を開くという。ならば、初上映の様子を取材したいと再び申し出ると、今回は快諾してもらえたので密着決定! レンタカーで移動する一行を追うため、担当Dもレンタカーを申し込んだが、空車ゼロ。気仙沼で合流するため、翌日始発の新幹線に飛び乗ることに。

翌日(=初上映の日)の午前10時。YOUたちと合流すると、行きたいところがあると気仙沼駅へ。目的は、映画に出演している加藤英一さん(68歳/通称エディ)との再会だ。
津波の被害を受けたホテル「望洋」(1964年設立~2017年)のオーナーだった加藤さんは、当時全壊を逃れたホテルを70日間避難所として提供し、多くの被災者を救った方。その功績がたたえられ、厚生労働大臣賞を受賞した。
取材と言われ、ロレンツォさんにホテルの話をしたところ、いつの間にかカメラが回り始め、知らないうちに出演。プライバシーもさらけ出してしまったそうだ。
「そういう能力がある、説得力というか。こうなったら何でもありかなと思って」と加藤さん。その後は正式に出演協力し、気仙沼のコーディネーターも務めた。

そんな加藤さんの案内で訪れたのは、やはり撮影でお世話になったご家族のお家。震災後に生まれた子どもたちに母親が震災を語る、そんなシーンを撮影したロケ現場だ。
津波に襲われた時は一階の玄関が水没したそうで、家の前には何軒も住宅が広がっていたが、流されてしまい、今は何もない。映画に出演した千葉和子さん(90歳)や千葉美咲さん(46歳)は、ロレンツォさんたちに日常そのままを撮ってもらったため、緊張することはなかったようだ。千葉さんは、震災でお世話になった全国の方に元気にやっていることを伝え、メッセージを世界に届けてほしいと願っている。
「忘れたいくらいつらい過去を話してくれたから、上映前に挨拶したかった」とロレンツォさん。

ところでロレンツォさんは、なぜ震災ドキュメンタリーを撮影しようと考えたのか。
カメラ好きの父の影響で8歳の頃から映像に興味を持ち、ローマ芸術大学に進学してドキュメンタリーのコースを専攻したロレンツォさん。
「俳優が役を演じるフィクションの作品もいいけど、僕は実際にそこで暮らしている生きた人々を撮るのが好きなんだ」という思いをかなえ、大学卒業後はテレビの制作会社でディレクターとしてニュースの特集などを担当、今起きていることを撮り続けてきた。
そんな中、震災から6年後の2017年、遺体や思い出の品を探し続けている遺族たちの現状を知る。彼らの人生をもっと追いたくなったロレンツォさんは、会社を説得して最低限の機材と予算で来日。「取材相手とは、友人になって信頼してもらうまで時間をかけた。撮影の最後の日までインタビューはしなかった」というポリシーに基づき、活動した。
こうして2年間かけて来日を繰り返し、合計35日間かけて撮影。奥さんの遺留品を探して600回以上海に潜るバス運転手・高松さんに密着した作品『KOI 鯉』(2019年製作)を完成させた。「あの3月11日の津波を決して風化させてはいけない。そのことを世界中の人に届けたい思いでつくった」と語る。

そしてコロナ禍を経て、2作品目を撮るために再来日した。加藤さんはロレンツォさんたちに対し、「被災から13年経っても思いを寄せてくれてありがたかった」と感謝する。
撮影中は助監督も通訳も、撮影しながら泣いていたそうだ。「心ってつながるんだなって。それから息子みたいに思えてきた」と目を細める。こうして1カ月かけ、過去と向き合って生きる8人の密着取材と撮影を完了させた。

上映会場に向かう途中、廃墟のような建物のそばで車を停めた。ここは、展示されている気仙沼向洋高等学校の旧校舎。3階部分には、津波で10キロ先から流された車の残骸が残されている。あの日、12メートルの津波が運んできたものだ。

上映会場は、この校舎横に建てられた「気仙沼市東日本大震災遺溝・伝承館」。ロレンツォさんが入場すると、会場は満席! あいさつをし、映画「灯(TOMOSHIBI)」の上映が始まる。
そこには震災やその後の活動について語る加藤さんや、震災後に生まれた我が子に津波の被害を伝える千葉さんたちの姿が。ロレンツォさんが描いたリアルな“被災者の今”を、気仙沼の人々も絶賛した。「思い出しちゃうと前に進めないからフタをしてた。でも映画を観て、受け入れて生きることが大事だと感じた」など、良い感想をたくさんいただけたようだ。
上映会を見届けたところで、密着も終了。「この映画を観て少しでも震災への思いに整理がついて、笑顔が多い人生になったらなと思う」(ロレンツォさん)。これからも素敵な映画をつくってね!
【動画】映画監督YOUが東日本大震を追い続ける理由&観光客の来ない常連でにぎわう下町食堂を探す男たち

羽田空港で声をかけたのは、ドキュメンタリー映画を制作するイタリア人監督のロレンツォ・スクアルシアさん(29歳/来日10回目)。世界を飛び回って撮影する、映画監督兼プロデューサーだ。
妻を亡くした老人男性の過去と未来を描いた作品『BLUE DOTS(青い水玉)』は、アメリカで最も権威ある映画祭「DOC NYC」にて、ベストドキュメンタリー賞を受賞するほどの実力者。
聞けばこれから気仙沼(宮城県)入りし、東日本大震災で発生した津波のドキュメンタリーを撮影するという。「僕が一番描きたいのは震災後の日本人の生き方。復興に向けてがんばる姿に、日本人の強さや人柄が出ている。その様子を撮り続けている」と教えてくれた。2017年から撮影してきた作品はすでに上映され、今は続編を撮影中。取材の取材をしたいと申し出ると、今回はかなり忙しくて厳しいそうで密着ならず。残念…。

ところが6カ月後、再び来日するロレンツォさんから「もう一度話がしたい」と連絡が!喜んで羽田空港で出迎えると、撮影スタッフのアレッシオさん(写真左)、日本語が話せる友人&通訳スタッフのダヴィデさん(写真中)と共に現れた。
映画が完成したので、気仙沼でお披露目の上映会を開くという。ならば、初上映の様子を取材したいと再び申し出ると、今回は快諾してもらえたので密着決定! レンタカーで移動する一行を追うため、担当Dもレンタカーを申し込んだが、空車ゼロ。気仙沼で合流するため、翌日始発の新幹線に飛び乗ることに。

翌日(=初上映の日)の午前10時。YOUたちと合流すると、行きたいところがあると気仙沼駅へ。目的は、映画に出演している加藤英一さん(68歳/通称エディ)との再会だ。
津波の被害を受けたホテル「望洋」(1964年設立~2017年)のオーナーだった加藤さんは、当時全壊を逃れたホテルを70日間避難所として提供し、多くの被災者を救った方。その功績がたたえられ、厚生労働大臣賞を受賞した。
取材と言われ、ロレンツォさんにホテルの話をしたところ、いつの間にかカメラが回り始め、知らないうちに出演。プライバシーもさらけ出してしまったそうだ。
「そういう能力がある、説得力というか。こうなったら何でもありかなと思って」と加藤さん。その後は正式に出演協力し、気仙沼のコーディネーターも務めた。

そんな加藤さんの案内で訪れたのは、やはり撮影でお世話になったご家族のお家。震災後に生まれた子どもたちに母親が震災を語る、そんなシーンを撮影したロケ現場だ。
津波に襲われた時は一階の玄関が水没したそうで、家の前には何軒も住宅が広がっていたが、流されてしまい、今は何もない。映画に出演した千葉和子さん(90歳)や千葉美咲さん(46歳)は、ロレンツォさんたちに日常そのままを撮ってもらったため、緊張することはなかったようだ。千葉さんは、震災でお世話になった全国の方に元気にやっていることを伝え、メッセージを世界に届けてほしいと願っている。
「忘れたいくらいつらい過去を話してくれたから、上映前に挨拶したかった」とロレンツォさん。

ところでロレンツォさんは、なぜ震災ドキュメンタリーを撮影しようと考えたのか。
カメラ好きの父の影響で8歳の頃から映像に興味を持ち、ローマ芸術大学に進学してドキュメンタリーのコースを専攻したロレンツォさん。
「俳優が役を演じるフィクションの作品もいいけど、僕は実際にそこで暮らしている生きた人々を撮るのが好きなんだ」という思いをかなえ、大学卒業後はテレビの制作会社でディレクターとしてニュースの特集などを担当、今起きていることを撮り続けてきた。
そんな中、震災から6年後の2017年、遺体や思い出の品を探し続けている遺族たちの現状を知る。彼らの人生をもっと追いたくなったロレンツォさんは、会社を説得して最低限の機材と予算で来日。「取材相手とは、友人になって信頼してもらうまで時間をかけた。撮影の最後の日までインタビューはしなかった」というポリシーに基づき、活動した。
こうして2年間かけて来日を繰り返し、合計35日間かけて撮影。奥さんの遺留品を探して600回以上海に潜るバス運転手・高松さんに密着した作品『KOI 鯉』(2019年製作)を完成させた。「あの3月11日の津波を決して風化させてはいけない。そのことを世界中の人に届けたい思いでつくった」と語る。

そしてコロナ禍を経て、2作品目を撮るために再来日した。加藤さんはロレンツォさんたちに対し、「被災から13年経っても思いを寄せてくれてありがたかった」と感謝する。
撮影中は助監督も通訳も、撮影しながら泣いていたそうだ。「心ってつながるんだなって。それから息子みたいに思えてきた」と目を細める。こうして1カ月かけ、過去と向き合って生きる8人の密着取材と撮影を完了させた。

上映会場に向かう途中、廃墟のような建物のそばで車を停めた。ここは、展示されている気仙沼向洋高等学校の旧校舎。3階部分には、津波で10キロ先から流された車の残骸が残されている。あの日、12メートルの津波が運んできたものだ。

上映会場は、この校舎横に建てられた「気仙沼市東日本大震災遺溝・伝承館」。ロレンツォさんが入場すると、会場は満席! あいさつをし、映画「灯(TOMOSHIBI)」の上映が始まる。
そこには震災やその後の活動について語る加藤さんや、震災後に生まれた我が子に津波の被害を伝える千葉さんたちの姿が。ロレンツォさんが描いたリアルな“被災者の今”を、気仙沼の人々も絶賛した。「思い出しちゃうと前に進めないからフタをしてた。でも映画を観て、受け入れて生きることが大事だと感じた」など、良い感想をたくさんいただけたようだ。
上映会を見届けたところで、密着も終了。「この映画を観て少しでも震災への思いに整理がついて、笑顔が多い人生になったらなと思う」(ロレンツォさん)。これからも素敵な映画をつくってね!
記事提供元:テレ東プラス
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