【スーパー戦隊ヒロイン名鑑③】来栖あつこ(『激走戦隊カーレンジャー』)「叱咤激励の連続でハートに火が付きました」
来栖あつこ
『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975~1977)の放送をきっかけにスタートしたスーパー戦隊シリーズが2025年に50周年を迎える。2月17日発売の『週刊プレイボーイ9・10号』の特集「素顔のスーパー戦隊ヒロイン大集結」では、歴代ヒロイン5名のインタビューを最新撮り下ろしカットとともに連続掲載した。
そちらの本誌特集では掲載しきれなかったインタビューの<完全版>を週プレNEWSで5日間に渡って配信。今回はシリーズ第20作『激走戦隊カーレンジャー』(1996~1997)で、八神洋子/ピンクレーサーを演じた来栖あつこさんが登場。
八神洋子は自動車会社「ペガサス」の経理担当。キャピキャピしたノリのいい性格で、甘えん坊の妹キャラだが、経理担当らしくお金には厳しい一面も。また食べることが大好きで、特にスイーツに目がない。当時の心境や秘蔵エピソードなどを通じて、作品の魅力を語る。
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――『激走戦隊カーレンジャー』に八神洋子/ピンクレーサー役で出演する以前、「スーパー戦隊」シリーズに馴染みはありましたか?
来栖 2つ上の兄がいるので、子どもの頃は一緒に見ていました。あと、うちの親族は男の子が多かったので、いとこの男たちと遊ぶときは戦隊ごっこをするんですよ。そうすると、女の子は私だけなので必然的にピンクになる。ピンクになると、男の子たちがお姫様扱いをしてくれる。それが、子どもの自分にとっても居心地が良くて。『カーレンジャー』は、初めて受けたオーディションだったんですけど、"初めて"にも関わらず『ピンク役じゃなきゃイヤだ!」と思ってました(笑)。
――ピンク以外の女性もいますよね。
来栖 そうですね。自分の中で、女の子はイエローかピンクで、イエローだとかっこいい系、ピンクはかわいい系というイメージがインプットされてたんですよ。私はかっこいい系ではないだろうし、子ども時代にピンク役でチヤホヤされたから、絶対にピンクがいいって。だから、ピンク役に選んでいただいたときは、すごくうれしかったです。
――オーディションの記憶は今も鮮明に残っていますか?
来栖 行くまでは正直、何のオーディションかわかってなかったんですよ。マネージャーさんにオーディションがあるからとにかく来てと言われて、授業を早退して制服のままで大泉学園の東映撮影所まで行きました。
行ったら、その前でマネージャーさんが待ってて、ダメージ加工のボロボロのジーンズを着た人に挨拶をしてるんです。マネージャーさんが挨拶をしてるってことは東映の方かな、大道具さんか何かのスタッフさんかなと思っていました。そしたら、その男性もオーディションに参加していて、のちに一緒に戦うことになるレッドレーサー/陣内恭介役の岸祐二さんだったっていう(笑)。
――何やら運命的なものを感じますね。オーディションはどんな内容だったんですか?
来栖 男女一緒のオーディションで、特に質問をされることもなく、その場で渡された台本を読みました。何のオーディションかは聞かされていなかったし、自分が高校生なので、きっと学園モノだろうと思っていたんです。そしたら周りの参加者にはスウェットを着てスクワットをしている人もいて、これは一体どんな作品のオーディションなんだって戸惑いましたね(笑)。のちのち聞いたら、当時はJAC(Japan Action Club)さんに所属し、顔出しして動ける方もオーディションに参加していたみたいです。
――八神洋子役に選ばれた理由は、どんなところにあるとご自身では思われますか?
来栖 絶対に出たいという強い気持ちや、『スーパー戦隊』シリーズに深い思い入れがある参加者も多い中で、逆に何もなかったのが良かったのかもしれないなと思っています。実際、撮影を重ねるごとにスポンジみたいにいろんなものを吸収して成長できました。
洋子は、本当にまんま当時の私みたいな感じで。現代っ子で妹気質だけど気は強い、みたいな。だから素直に演じられましたね。逆にあのときの自分じゃなかったら、もっと役をこねくり回しちゃったり、考えすぎたりして違う洋子になっていたんじゃないかな。
――撮影中に印象的だったことを教えてください。
来栖 たくさんあるんですが、衝撃を受けたのはスーツアクターさんのプロ意識の高さです。撮影中は、ピンクレーサーのスーツアクターさんとずっと一緒にいるんです。私は全然気づいてなかったんですけど、スーツアクターの方は私と一緒にいる間に私の動きの癖を見ていて、その動きを演技に取り入れていたんです。
それは初期の頃からで、立ち方とか立っているときに手をペンギンみたいに外側に向ける仕草とか、もう全部完コピ! 感動しました。おかげで、変身したシーンのアフレコがすごくやりやすかったです。自分の動きを完璧に再現してくれているので、映像を見ながら『自分だ』ってスッと入って、声が当てやすいんです。私だったら、そんな感じで動くよねって。
――何よりデビュー作ですし、お芝居には苦労されたんじゃないですか? 厳しい指導もあったでしょうし。
来栖 そうですね。当時19歳で演技経験がない私にとっては、厳しいなと感じることもありました。「敵に襲われてるのに、そんなか弱い悲鳴じゃねーだろ!」と監督から怒られました。
でも、私は負けん気が強いから逆に「やってやる!」って気持ちになって、とにかくできる限りの大きな声で悲鳴を上げました(笑)。厳しいけど愛、愛ですよね、今思うと。愛のある叱咤激励だったと思います。
――厳しさのあまり、それこそ涙を流すこともあったのでは?
来栖 いえ、泣かなかったです。撮影中に泣いたらメイクを直さなきゃいけなくなるし、そしたらメイクさんに迷惑をかけちゃうので。
――10代でのデビュー作の段階で、すでにそこまで気を回すことができていたんですね。
来栖 プレッシャーがすごくあったんですよ。私は初めてだけどみんなはプロで、じゃあ私もみんなと同じレベルの高さまで行かなきゃいけない。だから、撮影現場ではすごく気を張っていろんなものを見て、よく考えていたんだと思います。デビュー作ではありましたけど、同じプロとしてナメられたら嫌だという気持ちもあったと思います。
――共演者の方たちとの思い出を教えてください。
来栖 東映の撮影所の前に、当時は八百屋さんがあったんです。ある日の撮影終わりに、そこでおっきなスイカが800円で売っているのを見つけて、「めっちゃ安い!」って言って1人1玉ずつ買って帰りました。で、おっきなスイカを持って一緒に電車で帰ったっていう(笑)。1年間、そういう日常を続けていると、共演したみんなとは家族みたいになるんですよね。今も、すごくいい関係が続いています。
――全48話のうち、特に印象に残っている回は?
来栖 『カーレンジャー』ってコミカルな要素が強いんですけど、体型を気にした洋子がダイエットをする回(第11話「怒りの重量オーバー」)があるんです。服にあんこを詰めたりして、撮影が大変だったので印象に残っていますね。
実は実際の私も『カーレンジャー』で初めてテレビに出て、こんなにポッチャリ映るんだと体型を気にし始め、回を追うごとにスリムになっていってるんです(笑)。そこは、全話を通じて隠れた見どころです!
そのときの経験があるからというわけじゃないんですが、今もできるだけ昔と変わらないビジュアルでいようと心がけて努力しています。やっぱり、当時から応援してくれている『カーレンジャー』のファンをがっかりさせたくないんですよね。だって、イヤじゃないですか。好きだった人の見た目が、どんどん変わっていってしまうのって。
――テレビに映る自分を見て、我が身を振り返ったんですね。
来栖 はい。太っていること以外にも、毎回オンエアをチェックすると、自分が猫背ということや、箸の持ち方が良くないとか、客観的によくわかるんです。あのとき気づいてなかったら、今も猫背で箸の持ち方も良くないままだったかもしれません(笑)。
――あらためて振り返って、デビュー作の『カーレンジャー』は来栖さんにとってどんな作品ですか?
来栖 自分の原点ですし、財産です。演技以外の面でも、衣装部屋に入るときはとにかく大きな声で挨拶することを徹底させられたり、人間としても鍛えられたと思います。
『カーレンジャー』で演じた八神洋子/ピンクレーサーは、人生で一番大事にしているもの。今まで演じたどの役柄よりも、愛が深いです。初めていただいた役ということもありますし、彼女の人柄も愛せました。
カーレンジャーとして一緒に戦った仲間たちも、私の人生にとってとても大事な存在です。今もピンクレーサーに変身するポーズをリクエストされることがあるんですけど、1人では基本的にやりません。変身ポーズは、カーレンジャーの5人が揃ってこそ。だから、5人揃ったときにしかやりたくないんです。
そのぐらい思い入れが深いんですね。怒られはしたけど、つらかった記憶や大変だった思い出はまったくなくて、とにかく楽しかった。素晴らしい経験をさせてもらったと感謝しています。
――そんな『カーレンジャー』が来年30周年を迎えます。
来栖 期待してくださっているファンの方の声もしっかり届いています。何かお知らせできることがあるかもしれませんね。
●来栖あつこ(くるす・あつこ)
1978年1月26日生まれ 茨城県出身
○俳優として活動する一方、『出動!ミニスカポリス』に出演するなどバラエティタレントとしても活躍。現在は婚活カウンセラーとして、結婚相談所「W」の代表も務める
取材・文/大久保和則 撮影/荻原大志 ©東映
記事提供元:週プレNEWS
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