「組長が直々にヒットマンに!?」 被告は全面否認も厳罰求刑の裁判の行方
中田組長の審理が進められている神戸地裁
ヤクザの伝統組織の組長が、ヒットマンの疑いを掛けられて法廷に立たされている。山口組の分裂抗争で、対立組織の組員を銃撃させて重傷を負わせたとして、殺人未遂と銃刀法違反の罪に問われている山健組の中田浩司組長の公判だ。
「中田組長ほどの立場の組長が、わざわざヒットマンを買って出るものなのか」という関係者の疑念をよそに、検察側は膨大な防犯カメラ映像などの証拠をもとに、中田組長の犯行だという立証に全精力を注ぎ、懲役20年という重罰を求めている。
■神戸側幹部から事件後に六代目側へ帰参中田組長は、今回の抗争で大きく運命を変えた人物だ。山口組の中核組織の山健組で幹部職を歴任。2015年の分裂に際し、当時の山健組組長の井上邦雄組長に付き従い、神戸山口組に与(くみ)した。
17年に山健組の組員らが大量離脱して任侠団体山口組(現・絆會)を立ち上げても、組織にとどまって井上組長を支え、18年に山健組の五代目組長を襲名。そして、19年8月に神戸市内で起きた、六代目側の弘道会系組員の銃撃事件の実行犯として、同年12月に逮捕。身柄を拘留される中、20年7月に神戸側からの離脱を山健組の組員に指示。21年9月、中田組長以下山健組は古巣の六代目側へと復帰した。
「数百名の組員を従える中田組長がヒットマンとして逮捕されたのにはたまげたが、神戸側の看板組織だった山健組が六代目側へと帰参したのはより大きな衝撃だった。山健組が離れたことで、神戸側の瓦解は一気に進んだ」(暴力団事情に詳しいA氏)
■「六代目山口組五代目山健組組長です」中田組長のまさかの動向に捜査当局も翻弄され、衝撃の逮捕から4年以上が経過した10月8日、神戸地裁でようやく裁判員裁判の初公判を迎えた。司法記者が語る。
「抗争の渦中なので厳重警備でした。裁判所の敷地内は警察官が巡回していて、法廷に入るには傍聴券として音楽フェスのようなリストバンドを巻かされ、貴重品と筆記用具以外は特設のロッカーに預けさせられました。ボディーチェックも入念に行われ、法廷の傍聴席の前には、襲撃防止でしょうか透明のパーテーションが置かれていました。
こんな法廷は初めてです。裁判長も『長い事件、準備をかけて裁判に漕ぎつけました。ご協力ありがとうございます。ルール違反で裁判が止まると、半年、1年以上先になってしまいます』と気を配っていました。組員らしき人物の姿はなかったですね」(司法記者)
山健組の本部。当局によって使用禁止の標章が貼られていて、関係者の出入りはない
中田組長が入廷して、注目の初公判が始まった。
「中田組長はマスクをしていたけど、長期間の拘留生活の割に血色が良かったですね。検察官が起訴状を読み上げたあとに中田組長の罪状認否に入ったんですが、中田組長は起訴状の中で『神戸山口組五代目山健組組長の地位にあった』とされた部分を『六代目山口組五代目山健組組長です』と正していました。
検察官は当時の肩書を述べただけなんでしょうが、敢えて改めるあたりに、神戸側とはっきりと決別する姿勢がうかがえましたね。それで、『起訴状を含めてすべて間違っています。私は犯人ではありません』と全面否認でした」(前出司法記者)
■300点の防犯カメラ映像で抗戦する検察検察側が立証の突破口としたのが、神戸市内の中田組長の自宅や現場周辺、そしてその間の経路の防犯カメラ映像だったようだ。
「検察官は300点以上の防犯カメラ画像を法廷で投影しました。中には、現場周辺を走るタクシーのドライブレコーダーの映像もあって、執念でかき集めたんでしょうね。弘道会が撮っていた襲撃の模様の動画も法廷で流れて、運転席にいた被害者に、バイクに跨(またが)ったままフルフェイスのヒットマンが至近距離から白煙を上げて銃撃した様子も流れました。
6発撃って5発が命中したそうです。検察側は被害者の容態も説明していたんですが、右腕を切断したそうです。出血もおびただしかったようで、『搬送が遅れていれば失血性ショックで死亡していた可能性があった』という医師の証言も読み上げられていました」(前出司法記者)
防犯カメラの映像などを根拠に、検察側が中田組長が事件前に出入りしたと主張するビル
検察側が特に力を入れるのが、いわくつきの場所の映像だという。
「事件発生前に中田組長の自宅から出た車両をリレー形式でたどると、JR新神戸駅前の商業ビルに入り、ビル内を歩く様子がうかがえるというんですね。その車両に乗って、ビル内を歩く人物は帽子を目深にかぶっていて顔つきは判別しにくいんですけど、服装がヒットマンと酷似しているので、これが中田組長だという主張です。
この映像と事件の関連性が、公判の焦点となるでしょう。それで、このビルは、1997年の宅見勝若頭の射殺事件が起きた現場なんです。歴史の因縁を感じます。証拠に関しては、検察側はこの他にも、中田組長が逮捕時に、六代目側の主要幹部の関係先を記したメモを持っていたと明かしています。こうした間接証拠の積み重ねで、有罪へともっていきたいのでしょう。
対する中田組長は、黙秘権を行使して被告人質問に答えていません。公判中は厳しい表情を崩さない中田組長ですが、閉廷時に裁判長が『中田さん、長い事件お疲れ様でした』と声を掛けられると、『あー、いやー』と相好を崩したのが印象的でした」(前出司法記者)
10月15日の論告求刑公判では、検察側は「拳銃を事前に準備し、下見をしたうえで敢行された計画的犯行」だとして懲役20年を求刑。一方、中田被告の弁護人は「目撃証言や指紋など客観的な証拠がない」などとして無罪を主張している。
判決は10月31日に言い渡される予定だが、中田組長と検察の両者の徹底抗戦ぶりを見ると、地裁判決がどのようなものであっても、控訴は必至の情勢だ。
文/大木健一 写真/安西良美
記事提供元:週プレNEWS
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