世界最古の木造建築「法隆寺」は本当に最古?その理由とは?【眠れなくなるほど面白い仏教】
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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聖徳太子が天皇にならなかったから
法隆寺の金堂や五重の塔などが聖徳太子による創建当時のものなのか、再建されたものなのか、再建されたのだとしたら、いつ建てられたものなのか、いまだ議論〈*〉が続いており、定説はありません。しかし、いずれにしても 7世紀後半を下
ることはなく、世界最古の木造建築の地位は揺るぎません。法隆寺がある斑が鳩は、推古天皇の摂政を務めた聖徳太子の宮殿があったところで、太子はここから飛鳥の朝廷へ通っていたと伝えられます。『日本書紀』によると、聖徳太子が斑鳩の宮の建設を始めたのは601(推古天皇9)年のことです。法隆寺の創建はその6年後で、当初は斑鳩寺と呼ばれていました。
このほかにも斑鳩には太子の母や妃の宮殿や、中宮寺・法輪寺・法起寺といった寺院群があり、小都市をなしていたといわれます。おそらく聖徳太子は即位後に朝廷を斑鳩に移すつもりでおり、その下準備をしていたのでしょう。仏教に基づく政治を目指していた太子ですが、ついに即位することなく、622(推古天皇)年に歳で没しました。
その後、嫡男の山背の大兄の王が斑鳩宮の主となりましたが、643(皇極天皇2)年に蘇我の入鹿に攻められ、妃ともども自害して果てました。これによって聖徳太子の血筋は絶え、以後、斑鳩が歴史の表舞台に出ることはなくなりました。まことに皮肉なことに、聖徳太子が天皇にならなかったため、斑鳩が歴史から忘れられることなり、結果としてこの地が戦乱に巻き込まれることもなかったのです。そして、法隆寺の伽藍はほぼ無傷のまま現代に残されたのです。
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』 著:渋谷申博
記事提供元:ラブすぽ
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