観音菩薩が伝授した建物を「自身」と例えた時のそれぞれの階での自己の在りかたとは?【般若心経】
「空即是色」は、いうまでもなく「色即是空」を逆にいいかえたものです。「コップにスペースがなければ、そこに水は存在できない。逆に、水(など何らかのもの)を入れるのでなければ、スペースの意味がない。すなわち、形あるものすべては空性(スペース)と不可分である」といっているわけです。
この意味を、さらに考えてみましょう。
自己への執着が「苦」を生み出している般若心経では、たとえていうなら、建物の最上階である4階に到達した観自在菩薩が、そこからの眺望を伝授しているのだと述べました。この建物とは、〈私〉自身のことです。
1階は、まだ自己が確立されていない「幼児」のフロアです。2階は自己が確立された一般的な大人の、いわば「世間」のフロアです。3階は小乗仏教をおさめた舎利子のフロアです。そして4階が、観自在菩薩が到達した大乗仏教のフロアです。
自己の確立は、人としてとても大事なことです。しかし、2階では、それが「自己の執着」を生み、「苦」につながっています。3階は、「自己は五蘊にすぎない」ことが見えるフロアです。
さらに4階では、「五蘊もまた空(空性、スペース)にすぎないことが見えます。有名な「色即是空」を含むここのパートは、そのことを語っているのです。
ただし、1階、2階、3階からの見え方を否定も批判もしてはいません。建物は、下の階がなければ上の階は存在しません。それぞれの階から眺めがあり、1階ずつ登っていくしかないのです。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 般若心経』
著:宮坂宥洪 日本文芸社刊
執筆者プロフィール
真言宗の僧、仏教学者。1950年、長野県岡谷市生まれ。高野山大学仏教学科卒。名古屋大学大学院在学中、文部省国際交流制度でインド・プネー大学に留学し、哲学博士の学位取得。岡谷市の真言宗智山派照光寺住職。
記事提供元:ラブすぽ
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