天台/真言両宗を宣伝する有力な手段となった最澄と空海が熱心に集めたモノとは?【日本史】
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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延暦(えんりゃく)二十三年(八〇四)、桓武(かんむ)天皇は遣唐使一行に最澄と空海を加えました。唐風化を急ぐ天皇と貴族たちにとって、これが予想以上の成果を挙げることになります。
最澄はわずか八カ月しか唐に滞在しなかったのですが、天台法華(てんだいほっけ)の法門を受けました。天台以外の宗派でも幅広く学び、帰国早々、出足が早く、比叡山(ひえいざん)において天台法華宗を開立します。
空海は足掛け三年、各地の諸寺を歴訪し、特に青龍寺住職恵果(けいか) から真言正統の灌頂(かんじょう)(受戒の儀式)を受けたのはよく知られています。また梵語(ぼんご)や詩文等、広範で多様な学才を身に付け、書の技を磨きました。
注目されるのは二人共、密教芸術を代表する仏像や曼荼羅、法具、経典を熱心に集めたこと。これが意外に新しい宗教として天台、真言両宗を宣伝する有力な手段となりました。また、唐風化を急ぐ歴代天皇にとっても期待通りの成果が収められたのです。
出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』著:鈴木旭
記事提供元:ラブすぽ
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