壬申の乱に勝利した大海人皇子が天武天皇となり始めた天皇親政時代とは?【日本史】
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壬申の乱に勝利した大海人皇子が天武天皇となり始めた天皇親政時代とは
大化改新以来、三十年近く帝位に在った天智天皇(中大兄皇子)が病に倒れた時、大海人皇子(おおあまのおうじ)は「皇位は倭姫(やまとひめ)皇后に譲り、政治は大友皇子に任せればよい。私は出家する」と言い、吉野の山に向かいました。
だが、天皇の死に接するや、直ちに吉野を出て伊勢、美濃で兵を集めると東海、東山両道も配下に加えて軍備を整えますが、対する大友皇子側は何の動きも見せなかったので、一方的な勝利に終わります。
壬申(じんしん)の年(六七二)、大海人皇子は飛鳥の古京に飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)を建設。翌年、即位して天武天皇となりました。朝廷には太政大臣は無論、左右大臣もなく、皇后と皇子で首脳部を構成。その外側に皇族が配置され、さらに外側、一段下に旧豪族が置かれていました。
一昔前には想像もできない形でした。あからさまな天皇親政時代が始まり、天武天皇は「大君(おおきみ)」と呼ばれるようになるのです。
出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』著:鈴木旭
記事提供元:ラブすぽ
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