「せいぜい2980円」の品が1600万円の衝撃値!鑑定士「今すぐ現金で買い取りたい」:開運!なんでも鑑定団
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イチオシスト
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3月10日(火)に放送した「開運!なんでも鑑定団」(毎週火曜 夜8時54分) 。江戸時代の天才発明家が手がけた品に、驚きの値がついた。
【動画】「せいぜい2980円」の品が1600万円の衝撃値!鑑定士「今すぐ現金で買い取りたい」

お宝は、「久米通賢作 鉄砲2丁」。
依頼人の両親は20数年前に他界。きょうだい3人で遺産を分けた際、「金目のものは兄と姉が取っていき、残ったパッと見ガラクタのようなものが振り分けられた」と依頼人。末っ子の依頼人には、上のきょうだいが選ばなかった品々が回ってきたという。
そのまま倉庫に入れっぱなしにしていたが、最近整理したところ、ある箱に書かれた名前「久米通賢」に目が留まった。ネットで調べてみると「なんだかスゴい人だった」と分かり、鑑定を依頼した。

久米通賢は江戸時代後期、香川県で活躍した天文学者であり発明家。鉄砲のほか、天体望遠鏡時計や大砲、日本初のマッチまで生み出したとされ、「東洋のエジソン」とも称される人物だ。
1780年、高松藩馬宿村(現在の香川県東かがわ市馬宿)の農家に生まれた通賢は、幼少期から「神童」と呼ばれた。18歳で大坂へ出て最先端の天文学と測量術を習得。その才能を見込まれ、高松藩に召し抱えられた。
26歳のときには自作の測量器具を用いて領内の地図を作成。その精度は、現代の地図と比較してもわずかな誤差しかないほど高く、伊能忠敬が同地を訪れる2年前の快挙だった。
44歳のときには藩の財政立て直しのため、坂出沖に巨大な塩田を開墾するよう藩主に進言。延べ194万人を動員する一大事業となったが、藩が用意した工費は途中で底をついた。
陣頭指揮をとっていた通賢は、私財だけでなく親族の財産までも投じ、失敗すれば腹を切る覚悟で事業を続行。その結果、塩田は全国の塩生産量の3割以上を占めるまでに成長し、藩の財政を大きく好転させた。

通賢が生涯を通じて情熱を注いだのが、外国の脅威に対抗するための武器開発だった。
今回の依頼品「輪燧佩銃」は、和時計の仕組みをヒントに考案されたもの。引き金を引くと巻き上げたゼンマイがほどけ、金属円盤が回転。火打石との摩擦で生じた火花が点火薬に引火し、銃身内の装薬が爆発して弾丸が発射される仕組み。当時主流だった火縄銃に比べ、発射までの時間が劇的に短縮された画期的な発明だった。

さらに雷酸水銀(別名・雷汞)という火薬を用いた小型銃「極密銃」や、国産初のマッチも考案したとされる。数々の偉業を成し遂げたが、塩田と武器開発にすべての資材を注ぎ込み、生活は困窮。晩年は病魔に冒されながらも研究を続け、1841年、この世を去る直前まで研究に没頭した。

改めて依頼品を見てみよう。
鉄砲は長さ35cm、重さ約1kg。引き金を引くと今でも円盤がしっかり回転し、保存状態は極めて良好。依頼人が仕事関係の知人に見せたところ「こんなモン価値ないわ! せいぜい2980円や」と言われたというが、本人評価額は100万円。果たして鑑定やいかに。

鑑定結果は…なんと1,600万円! 衝撃の金額に、MCの今田耕司も絶句!
鑑定を務めたのは、「堺鉄砲研究会」主宰・澤田平氏。
「久米通賢が製作した、幻の名銃と言われるもの。豪華な箱入りで、2丁そろいで出てくるなんて想像もできなかった。30数年ここで鑑定を続けてきたが、初めて見る最高の品物」 (澤田氏)

さらに澤田氏は「もしお譲りいただけるなら、その値段(1600万円)で現金で買い取ります」と発言。スタジオは騒然となった。
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お宝は、「久米通賢作 鉄砲2丁」。
依頼人の両親は20数年前に他界。きょうだい3人で遺産を分けた際、「金目のものは兄と姉が取っていき、残ったパッと見ガラクタのようなものが振り分けられた」と依頼人。末っ子の依頼人には、上のきょうだいが選ばなかった品々が回ってきたという。
そのまま倉庫に入れっぱなしにしていたが、最近整理したところ、ある箱に書かれた名前「久米通賢」に目が留まった。ネットで調べてみると「なんだかスゴい人だった」と分かり、鑑定を依頼した。

久米通賢は江戸時代後期、香川県で活躍した天文学者であり発明家。鉄砲のほか、天体望遠鏡時計や大砲、日本初のマッチまで生み出したとされ、「東洋のエジソン」とも称される人物だ。
1780年、高松藩馬宿村(現在の香川県東かがわ市馬宿)の農家に生まれた通賢は、幼少期から「神童」と呼ばれた。18歳で大坂へ出て最先端の天文学と測量術を習得。その才能を見込まれ、高松藩に召し抱えられた。
26歳のときには自作の測量器具を用いて領内の地図を作成。その精度は、現代の地図と比較してもわずかな誤差しかないほど高く、伊能忠敬が同地を訪れる2年前の快挙だった。
44歳のときには藩の財政立て直しのため、坂出沖に巨大な塩田を開墾するよう藩主に進言。延べ194万人を動員する一大事業となったが、藩が用意した工費は途中で底をついた。
陣頭指揮をとっていた通賢は、私財だけでなく親族の財産までも投じ、失敗すれば腹を切る覚悟で事業を続行。その結果、塩田は全国の塩生産量の3割以上を占めるまでに成長し、藩の財政を大きく好転させた。

通賢が生涯を通じて情熱を注いだのが、外国の脅威に対抗するための武器開発だった。
今回の依頼品「輪燧佩銃」は、和時計の仕組みをヒントに考案されたもの。引き金を引くと巻き上げたゼンマイがほどけ、金属円盤が回転。火打石との摩擦で生じた火花が点火薬に引火し、銃身内の装薬が爆発して弾丸が発射される仕組み。当時主流だった火縄銃に比べ、発射までの時間が劇的に短縮された画期的な発明だった。

さらに雷酸水銀(別名・雷汞)という火薬を用いた小型銃「極密銃」や、国産初のマッチも考案したとされる。数々の偉業を成し遂げたが、塩田と武器開発にすべての資材を注ぎ込み、生活は困窮。晩年は病魔に冒されながらも研究を続け、1841年、この世を去る直前まで研究に没頭した。

改めて依頼品を見てみよう。
鉄砲は長さ35cm、重さ約1kg。引き金を引くと今でも円盤がしっかり回転し、保存状態は極めて良好。依頼人が仕事関係の知人に見せたところ「こんなモン価値ないわ! せいぜい2980円や」と言われたというが、本人評価額は100万円。果たして鑑定やいかに。

鑑定結果は…なんと1,600万円! 衝撃の金額に、MCの今田耕司も絶句!
鑑定を務めたのは、「堺鉄砲研究会」主宰・澤田平氏。
「久米通賢が製作した、幻の名銃と言われるもの。豪華な箱入りで、2丁そろいで出てくるなんて想像もできなかった。30数年ここで鑑定を続けてきたが、初めて見る最高の品物」 (澤田氏)

さらに澤田氏は「もしお譲りいただけるなら、その値段(1600万円)で現金で買い取ります」と発言。スタジオは騒然となった。
記事提供元:テレ東プラス
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