ラジオでWBCを聴こう!! "声の力"が聴かせる熱い試合
イチオシスト

『かっとばせ!キヨハラくん』でおなじみの河合じゅんじ先生が大谷翔平を描き下ろし!
人の脳内には映写機がある。文章を読んでいて情景が浮かんだり、ある種の絵画を凝視していて不意になまなましくモデルが姿を現したりするのは、この映写機が起動するおかげである。
第三の目とも呼ばれるそれは、あんまり具体的にものを見せられると、いじけて働かなくなってしまう。平面ディスプレーを中心になんでもかんでも見せようとしすぎな今の世の中、この能力がさびついてしまうのは致し方ないことだ。だが、誰もが同じものばかり見せられる社会は民主的に健全ではない。
そこで、声の力を見直す、もとい、聴き直すべきなのである。
例えば、ここに野球のエピソードをはさむと、アナウンサーとしてはただひとり、日本野球の殿堂入りを果たした志村正順(まさより)という功労者がいる。伝説の投手、沢村栄治のプロでの試合を実況した人だ。
彼がマイクに向かって、「沢村、左足を靴底のスパイクがはっきり見えるほど、高々と上げました」としゃべったとき、ラジオで観戦していた人々は、いかなる未来の技術をもってしても描きえないほどに溌剌(はつらつ)と沢村投手の姿を「聴いて」「見ていた」のである。
そして、それは光り輝くブラウン管や液晶画面に押しつけ気味に見せられるものではなく、ひとりひとりが、声を頼りにして能動的に描き出すものだ。みんなちがって、だからいい。
歴史を振り返ると、見せすぎる文明は19世紀の後半、写真そして映画の勃興から始まった。しかし、それと並行して、蓄音機およびラジオという、音だけの楽しみが普及していったのである。あたかも人類に、聴くことをないがしろにするな、と警鐘を鳴らすかのように。
ラジオは、音だけなら同時に広範囲に送れる技術だ。遠くへだたった人々が同時にひとつの声を聴けるようになった。
しかし、同じひとつの声を聴きながら、第三の目が見て取る映像――主観的で、それゆえにこそ真実的な映像――は、個人個人、なかなかにバラバラなのであった。だからこそ、おもしろいのだし、脳の健康によい。フランスの大詩人、ボードレールが「諸能力の女王」と呼んだ想像力を鍛え直してくれる。
こうして始まったラジオ放送はすぐに、聴覚よりも視覚との相性がよさそうなジャンルへと、コロンブスのごとく向こう見ずに乗り出した。
スポーツ中継だ。ボクシングの実況中継が最初だった。1921年4月11日、アメリカはピッツバーグで行なわれたこの放送は好評を博し、その後、ベースボール、テニス、フットボールが相次いでラジオ中継された。いわばスポーツ中継の元年だ。
その6年後、1927年9月24日のニューヨーク・タイムズ紙が衝撃的な見出しを打つ。
「試合の興奮で死者10人;うち8人はラジオを聴きながら」
前夜にラジオで放送された、ジーン・タニー対ジャック・デンプシーの世界ヘビー級タイトルマッチの"被害者"だ。
拳聖デンプシーが1年越しのリベンジに臨んだこの試合は、後に"ザ・ロングカウント"と呼ばれるようになる(『あしたのジョー』の最後の試合で似た展開があり、あれは何度読み返してもくやしい)。問題の第7ラウンド、タニーがダウンしたときには全国で5人のリスナーがショック死したという。
この事実はわれわれに、全身全霊で聴く、ということのすごみを教えてくれる。たかが音だけ、ではないのだ。
たかが音、どころか、音で十分、声こそがすべて、という創造性の田園は、わが国の昭和戦前にも、ゆたかに広がっていた。そのことを文字どおり雄弁に伝えてくれるのが、吉野源三郎の不朽の名作『君たちはどう生きるか』(1937年初版)だ。
主人公のコペル君こと本田潤一少年は、六大学野球のラジオ中継のまねが得意なのだ。いや、まねを超えている。彼は声だけで即興的に試合を組み立てて、見せてくれるのである。エア野球のオン・エア芸といったところか。
コペル君が、家に招いた2人の友人相手にエア早慶戦を聴かせる場面は、文庫版で7ページにもわたって描写されている。抜群に愉快な場面で、声のもたらす興奮が行間から漏れてくる。
【第三の目を凝らせ! シュババババーン!】野球を「見る」ではなく「聴く」といえば、盲目の天才ミュージシャン、レイ・チャールズのエピソードを外すわけにはいかない。
あるとき、スポーツキャスターのボブ・コスタスがレイ・チャールズにインタビューしていると、話の中でレイから「ぼくがいちばん会ってみたい人は誰かわかるかい?」と逆に問われた。
答えはドジャースの専属実況アナウンサーとして活躍していたビン・スカリーだった。「彼に会わせてくれないか? ボブ、ぼくにとって映像はなんの意味もない。音だけがすべてだ。そして、ビン・スカリーの実況にはメロディーがあるんだ」とレイはせがむ。
コスタスはドジャースタジアムでレイとスカリーを引き合わせた。レイ・チャールズは子供のように大はしゃぎで「サンディ・コーファックスの完全試合をもう一度聴かせて!」「カーク・ギブソンのホームランについても!」と次から次に名場面の実演をせがんだという【*1】。
67シーズンにもわたってドジャースの試合をしゃべり続けた実況詩人ビン・スカリーの名は現在、ドジャースタジアムに通じる大通りに冠されている。古き良きアメリカは、声と共にあった。
日本だって負けてはいない。ラジオ放送一本で戦後の歩みを始めた国だし、落語や浪曲といった非常に豊かな話芸の伝統が根づいている。声優が顔出しし、正義の声で闘う『ボイスラッガー』という戦隊モノさえ実現してしまった。
さらには、新たな伝統文化となりつつある漫画とラジオのスポーツ中継が手を結んだジャンル間の三角飛びめいた例さえある。
野球漫画の最高峰『ラストイニング』の数ある名勝負のひとつをニッポン放送がラジオ実況風に完全再現したのだ【*2】。
この企画を考えた吉田尚記(ひさのり)氏と実況を担当した煙山光紀(けむやま・みつのり)氏、両アナウンサーの対談を引用しよう。
吉田 (中略)これだけ、ちゃんとプレーが描かれていたら、実況ができるんじゃないか?と思って、煙山さんに実況をやってもらったんですけど、これが面白いんですよ!
煙山 いやぁ、自分で聴いても面白かったもん。
吉田 高校野球の県大会決勝という設定なのに、12月にオンエアしていて、それを本物と信じた人がいたみたいですね。【*3】
これが声の力である。煙山氏は3月10日のチェコ戦を実況する予定だ。名作漫画以上に熱い試合を聴かせてくれるにちがいない。
見ることと見せることに淫し、声を聴くという母胎内から死の直前まで続く根源的な営みを軽んじる人民は滅びる。"声"という語が、"希望"や"要請"といった意味も担っているのは偶然ではないのだ。
かつて「私には声なき声が聴こえる」などとうそぶいて反対意見を握りつぶした首相がいたが、これ以上、聴く耳持たない権力者をのさばらせないためにも、われわれは同じ土俵で戦わず、力を取り戻してゆこうではないか。
そのためにはWBCのラジオ中継を聴くことだ。Stay Tuned! 動画はもういい。音を聴き、第三の目をこらし、声を上げよう。シュババババーン!【*4】
【*1】この話はオカモト"MOBY"タクヤ氏の著書でも紹介されているが、ここではコスタスのスピーチを参照した
【*2】『ニッポン放送ホリデースペシャル ビッグコミックスピリッツ ラストイニング 全国高校野球県予選決勝 聖母学苑VS彩珠学院』(2010年12月23日放送)
【*3】【yoppy】対談:煙山光紀×吉田尚記③「メディア芸'伝え方の差'」ニッポン放送 NEWS ONLINE
【*4】前記『ボイスラッガー』における必殺技
●前川仁之 Saneyuki MAEKAWA
1982年生まれ。文筆家、ノンフィクション作家。著書に『逃亡の書』『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』など
文/前川仁之
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