友のピンチを救うため「宮大工」がカナダへ!建築の遅れを取り戻すため大奮闘:世界!ニッポン行きたい人応援団
イチオシスト
ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(毎週月曜 夜8時54分)。
今回は、緊急企画! 宮大工に憧れる外国人の初来日の様子と、帰国後のサプライズをお届けします。
宮大工の知恵と技を学ぶ
紹介するのは、カナダ在住の「宮大工」を愛するジェイソンさん。

神社仏閣の建築をはじめ、国宝や重要文化財に指定されている古い建物の修復などを専門に行う「宮大工」。木の特性を活かし、釘を使わず組み立てる「木組み」という伝統技法を駆使して建てられた神社仏閣は、数百年単位の耐久性があります。
ジェイソンさんは、カナダで30年、大工として働いていますが、仕上がりよりも納期が重要視される現場に納得がいかなかったそう。
そんな中、2020年にニッポンの宮大工のYouTubeを見て、クオリティーに重きを置く仕事に感動! 本を読み漁り、独学でお寺の屋根を作り始めます。
ニッポンの神社仏閣の美しさは、大きくせり出した屋根と綺麗な反り。しかし、ジェイソンさんの屋根は、せり出しもわずかで直線。独学では作り方が分からず、限界を感じていました。
ニッポンにはまだ一度も行ったことがないジェイソンさん。ここまで宮大工に憧れるようになったのは、ジェイソンさんの仕事を褒めてくれたお父さんが他界したことがきっかけでした。「宮大工として完璧な仕事をこなせるようになって、父の期待に応えようと思います」。
そんなジェイソンさんを、ニッポンにご招待! 3年前に初来日を果たしました。
向かったのは、千葉県鋸南町の鋸山日本寺。1000年以上倒壊しないニッポンの仏塔がどのように建築されているのか、見せていただくことに。

「鵤工舎」の工匠・石田秀明さんに案内していただき、建設中の三重塔の現場へ。中心にある、24mの「心柱」にジェイソンさんは驚き! 塔の中心で建物を支えているように見えますが、繋がっているのは屋根の頂上部分のみ。周りから独立した状態です。
実は地震などで建物が揺れる際、タイミングがずれて揺れるものがあると、揺れを打ち消し合い、小さくなる性質が。ニッポンの仏塔は、1000年以上前から、この心柱が地震や台風の揺れから建物を守ってきたのです。
伝統的な制振機構を学ばせていただき、ジェイソンさんは感謝を伝えました。
「鵤工舎」の石田さん、本当にありがとうございました!
次に向かったのは、新潟県長岡市与板町。江戸中期に刀鍛冶が作る大工道具が評判を呼び、現在では、越後与板打刃物として伝統的工芸品の指定を受ける鍛冶の町です。
今回は、大工道具専門の鍛治職人として60年の船津祐司さんに、宮大工の命でもある鉋を作るところを見せていただきます。船津さんの鉋は1つ7万円の値がつく高級品。全国の大工から注文が入ります。
まずは鉄を熱し、ハンマーで鍛えて鋼を乗せます。世界で使われている鉋の刃は硬い鋼だけで作られているのに対し、ニッポンは刃先だけに鋼を使い、地金の部分は軟らかい鉄。こうすることで、鋼の硬さと鉄のしなやかさを併せ持つ鉋に。
船津さんが地金に使う鉄は、明治時代の陸橋や江戸時代の梯子などに使われていたもの。
当時の鉄は精製技術が高くなかったため、今の鉄より軟らかいそう。研ぐ際に軟らかい鉄の部分がしなり、鋼を砥石に密着できるため、より鋭利に研げるのです。

2つの接着した金属を叩いて鍛えたら、鋼を熱して急激に冷やすことで硬くする「焼き入れ」の工程へ。焼き入れに最適な温度は、炭の粉が花火のように舞う現象で見極めるそう。
「見た目だけで炎の温度を見分けるなんて本当にすごいです」とジェイソンさん。
ジェイソンさんは、最後に「船津さんの集中力と切れ味への探究心に本当に感動しました」と伝え、握手を交わしました。
船津さん、本当にありがとうございました!
次に向かったのは、東京都八王子市。「本物の宮大工の仕事を見たい!」と願うジェイソンさんを快く受け入れてくださったのが、この道56年(当時)の宮大工・吉川輔良さん。
吉川さんを棟梁に、2人の息子さんと8名の宮大工が働く「吉匠建築工藝」は、出雲大社や高尾山不動院など、国宝や重要文化財の修復や建造を手掛けています。

輔良さんの案内で、神奈川県相模原市へ。5年の月日をかけ、2008年に建立した宝泉寺の本堂を見せてくださいました。輔良さんが宮大工としての技術を全て込めたお寺を目の前に、ジェイソンさんは「オーマイガー…」と感動。
宮大工が神社仏閣を作る際、最もこだわるポイントが屋根の端にある曲線「軒反り」。人間の目は大きなものを見る際、直線が湾曲して見える性質が。屋根が重く不安定に見えてしまうため、先人たちは軒反りを作ることで解消してきました。輔良さんによると、軒反りの曲線は、計算の他にセンスも大事だそう。
翌日、いよいよ念願だった宮大工の仕事を見せていただくことに。この日行うのは、寺院の建築様式を取り入れた住宅の「茅負」と呼ばれる建材の制作。
軒の一番下で屋根を支えるため、軒反りの曲線が全てここで決まってしまう重要な建材です。茅負は最終的に全長15mにもなるため、3つのパーツを繋げて完成させます。

今回作るのは、屋根の左端にあたる部分。「習うより慣れろ」ということで、茅負の3分の1に当たる部分をジェイソンさんに任せてくださることに。
まずは、大まかに木材を切る「荒引き」から。使う杉の木は、樹齢100年を超える貴重な木材です。荒引きを終えると、続いては加工の目安となる印を書く「墨付け」。全てこの墨を基準にするため、必ず棟梁が自ら行います。
次は、墨をもとに手作業で形を作っていく「手刻み」。真っすぐな柱であれば、不要な部分をのこぎりで落とし、表面を鉋で仕上げますが、曲面の場合はのこぎりが使えません。
一旦、木材の側面の位置まで角を落とし、残った不要な部分を削り取り、表面を曲面用の鉋で仕上げます。
角を削り終えたら、「釿(ちょうな)」と呼ばれる斧を使い、先ほど削った角のラインに合わせて木を削ります。釿に憧れていたというジェイソンさんは大感激。しかし、少しでも深く削ると台無しになるため、思い切って削れません。

すると、次男の然無さんが、ジェイソンさんのリズムに合わせて釿を使い始めます。
700年前から、こうして互いに拍子を取り、仕事を捗らせたそう。ジェイソンさんの釿の音も、正しく使えている時の音になり、上手く削れるようになりました。
その後、電気鉋で表面をならしたら最後の仕上げへ。
茅負の上に屋根が乗り、下には重みを支える垂木という建材が。そのため、全ての面が直角で平らになっていなければ屋根のバランスが崩れてしまいます。少しでも削りすぎてしまえば、後戻りは出来ません。
何度も定規を当て、直角になっているか確かめながら、輔良さんの入れた墨に沿って慎重に削り続けること2時間…。OKをいただけました。
作業を始めて6時間、ついに屋根の軒反りを作る茅負が完成し、そこには美しい曲線が。
「棟梁が僕を信じて最後までやらせてくれて本当に感謝すると共に、今やっと安心しました」とジェイソンさん。
翌日。昨日制作した茅負は全体の3分の1。これを延長するために行われるのが「継手」と呼ばれる木組です。継手は100種類以上あるといわれ、中には一見して外すのも組み合わせるのも不可能に見える「不可能継手」と呼ばれるものも。
今回は、横方向に太い木材を強固に繋げることができる「のげ継」を、昨日制作した茅負に施します。
まず、ノコギリでいらない部分を大まかにカット。棟梁がつけた基準となる墨に沿ってノミで削っていきます。削りすぎてしまえば密着せず、そこから継手が折れる原因になるため、慎重に。墨の内側や外側など、どこを切るのかは棟梁と一緒に仕事をすることで分かってくるそうで、それを“墨心”といいます。
1mmにも満たない墨の外側を切るか、線上を切るかは木の材質によって変わり、欅のように硬い木はピッタリはまるよう線の上を。杉のように軟らかい木は、余裕を持って線の外側を。墨心を知ることで宮大工は木の性質を知り、成長していくのです。

作業すること4時間、一旦仮組みをして仕上がり具合を確認すると、一度でピッタリはまりました。本来はここから手直ししますが、その必要もないほど正確な仕上がりに。「ジェイソンさんの刻みが上手だった」と輔良さん。
カナダで作っていた継手には隙間ができていたそうで、「それは僕が、職人としてのこだわりに欠けていたのだと思い知らされました」(ジェイソンさん)。
そして別れの時。宮大工の命ともいえる、宝泉寺の建築に使用した図面をいただいたジェイソンさん。さらに、不可能継手までいただき大感激! 「皆さんの仕事から、写真や本では決して得られない本物の何かを得ることができました」と感謝を伝えます。
「日本の伝統建築技術を学んでぜひ活かしてもらいたい。それが我々の願いです」と輔良さん。ジェイソンさんは「一生続けます!」と伝え、握手を交わしました。
人生最大の日本建築に取り組む
あれから3年。2026年1月、吉川家の長男・宗太朗さんが、内緒でジェイソンさんのもとへ!

実は3年前の訪問以来、ジェイソンさんと連絡を取り合い、親交を深めていた宗太朗さん。2025年のお正月には、ジェイソンさんが母・ミシェルさんを連れて来日。吉川家を訪問し、新年の食事会やお茶の席を共にしました。
そんなジェイソンさんから宗太朗さんに「今、人生最大の日本建築のプロジェクトに取り組んでいます。しかし遅れが生じており、期限内に終わるか心配です」とのメッセージが。
そこで宗太朗さんは「何か自分にできることはないか…」とカナダ行きを決めました。
今回カナダに向かうのは、仕事の都合で宗太朗さんのみ。ジェイソンさんのところに滞在できるのは2日間しかありません。

ジェイソンさんの住むバンクーバー島・ユクルーレットへ行くと、サプライズで現れた宗太朗さんにジェイソンさんは驚き! 今回訪れた理由を伝えると「これ以上の助っ人はいません!」と喜んでくれました。
そんなジェイソンさんが取り組んでいる人生最大の建築プロジェクトとは、日系カナダ人の歴史を伝える展示館。全て木組だけという宮大工の建築様式で作っています。
実は、ジェイソンさんが住むユクルーレットのあるブリティッシュコロンビア州には、1880年代後半、多くの日本人が移住。漁業や林業などの仕事をしていました。
しかし、その生活は太平洋戦争で一変。日系カナダ人は収容所に送られ、家畜の匂いが残る場所で、劣悪な生活環境を強いられました。
戦後、ブリティッシュコロンビア州政府は強制収容にあった日系カナダ人に公式に謝罪を表明。2022年、日系カナダ人補償プログラムを発表しました。そのニュースを知ったジェイソンさんは、「日系カナダ人の方々の記念碑となる建物を建てたい」と強く思ったそう。
そこでジェイソンさんは、地元の歴史協会に連絡。審査の結果、歴史展示館の建築に助成金を出してもらえることになったのです。
見せてくれたのは、今回のプロジェクトの3D設計図。以前は紙に書いていましたが、3D設計ソフトの使い方を宗太朗さんにリモートで教えていただき、習得したそう。

そして設計したのが、広さ12.5畳、高さ3.5mの木造建築。16種類の木組が用いられた、伝統的な宮大工の建築様式とカナダ式の屋根の形を融合させたデザインです。
2025年4月からプロジェクトを始動し、休みなく働いているジェイソンさん。4月には組み立てに入らないと、8月のグランドオープンに間に合いませんが、スケジュールは1カ月近く後ろ倒しになっていました。
すると、宗太朗さんからプレゼントが。3年前、ニッポンで出会った船津さんが作る最高級の鉋です。吉匠建築で大切に保管していたものを、作業の助けになればと、プレゼントしてくださいました。ジェイソンさんは「まさかこれを手にする日が来るとは思いませんでした」と感動!
さらに、ノコギリに墨つぼ、砥石など、宮大工には欠かせない道具の数々もいただきました。
なぜスケジュールが遅れているのか、作業場を見せてもらうことに。
今回の建築に使う木材の数は、全部で300近く。ジェイソンさんの他に宮大工の仕事ができる人はいないため、木材調達から加工まで1人で行っています。
加工された木材を確認した宗太朗さんは「パーフェクト!」と絶賛。しかし、作業を見せてもらうと、加工の基準になる墨を大きく残して彫っています。そのため、もう一段階作業をすることになり、さらに手間がかかるという状況に。
スケジュール以上に「完璧にしたい」という気持ちが勝るジェイソンさん。プロとして、時間という制約の中でいかに質の高い仕事をするか…宗太朗さんが、その方法を教えてくださることに。
まず、宗太朗さんが気になったのは突きノミの使い方。本来は体重をかけて一気に下ろすことで平らな面を作る道具ですが、ジェイソンさんは慎重になるあまり手の力だけで少しずつ突いていたため、突きノミの能力を活かせていませんでした。

宗太朗さんは「(墨のラインを)信じて突いていけば、完璧におさめることができる」と、正しい使い方を指導します。
さらに上手くいかない作業が。鉋がけをした梁に、どうしても段差が残ってしまうそう。1mmに満たないミクロン単位の段差ですが、長年風雨に晒されると乾きにくい帯ができ、腐食の原因に。
念入りにチェックした宗太朗さんは、鉋の刃を取り出し、刃の角が丸くなるように研ぎ始めます。実は、刃の角が立ったままで鉋がけをすると、角がこすれ、その部分が微妙な段差に。角を丸くすると、段差が出にくくなるそう。

角を丸くした鉋で削り直すこと30分…元々あった段差は消え、滑らかな仕上がりに。ジェイソンさんは「すごーい! 完璧!」と絶賛します。
その後はスケジュールの遅れを取り戻すべく、宗太朗さんも一緒に作業。この日は暗くなるまで、6時間、作業をこなしました。
翌朝は作業を始める前に、日系移民の歴史について教えていただくことに。
教えてくださるのは、今回の施主であるユクルーレット歴史協会の皆さん。地域の歴史資料の保存や収集を行う非営利団体です。
案内してくださったのは、戦前多くの日本人が住んでいた地域。歴史協会の方によると、かつてこの街に住む半数はニッポンからの移民でしたが、戦後戻ってきたのは20家族ほどで、現在ではごく少数に。
戦前、漁業を通じて地域社会に溶け込んでいった日系移民。まだ道路が整っていなかった当時、彼らの船は地元民の交通の役割も担ったそう。しかし太平洋戦争が起こると、時の政府は海沿いに暮らす彼らが日本軍の手助けをすることを恐れ、強制収容所に送ってしまいました。

さらに、歴史展示館の建設予定地へ。ジェイソンさんは「この地で漁業をしてきた人たちだから、海を見渡せるこの場所に建てることが重要なんです。これは、後世まで絶対に語られるべき歴史だと思う」と語ります。「ジェイソンの建築の裏にこういう話があると思わなかった」(宗太朗さん)。
日系移民の歴史を後世に伝える展示館を作る。それができるのは、ニッポンの建築とその心を知る自分しかいない。ジェイソンさんが妥協せずに木を削る裏には、強い想いがありました。
宗太朗さんが帰国する日。少しでもスケジュールを取り戻すため、時間いっぱいまで作業をお手伝い。ジェイソンさん1人では丸1日かかる柱の鉋がけを、なんと3本分も!
さらに、宗太朗さんが帰った後も作業が捗るようにと、散らかっていた作業場の整理まで。実は昨日、作業する中で、通路を妨げる木材があることが気に掛かっていたそう。
「指摘してもらわなければ、ずっとこのままで作業を続けているところでした」(ジェイソンさん)。
そしてもう一つ、作業効率を上げるためのアドバイスを。鉋の刃は、作業中も切れ味が悪くなれば、その都度研ぐもの。ジェイソンさんは研ぐのに1時間かかっていましたが、少しでも短縮できれば、作業にあてる時間が増えます。

教えてくださったのは、刃の裏から研ぐこと。ジェイソンさんは刃のついた表面から先に研いでいましたが、裏の面が平らになっていないと、表をいくら研いでも刃が立ちにくくなり、余計に研ぎの時間を要してしまうのです。
最初に裏面が平らになるように研ぎ、刃のある表面を研ぐと、30分ほどで美しい仕上がりに。その後も、時間の許す限り2人で作業を続けました。

そして別れの時。ジェイソンさんが「この2日間、本当に多くの学びがありました」と感謝を伝えると、「怪我のないように頑張ってください。4月に(全ての建材が完成したら)吉川家が、建て込みの手伝いに来ると思います」と宗太朗さん。
果たして、8月のグランドオープンに間に合うのでしょうか? 番組ではこれからも応援し続けます!
月曜夜8時54分からは、「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!
▼アメリカの港町サンタバーバラに住むケータリングシェフのマークさんが愛してやまないものは“赤酢”。15年前にニッポンの料理本でその存在を知り、芳醇な香りと旨味のある味わいに一瞬でその虜に!アメリカでは赤酢の味を再現できないかと試行錯誤して自作するまでに。ホンモノのお酢の造り方やお酢を使った料理を学びたい!そんなマークさんをご招待!
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記事提供元:テレ東プラス
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