三内丸山遺跡の分析で最近判明した縄文農耕の始まりのきっかけとは?【日本史】
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イチオシスト
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三内丸山遺跡の分析で最近判明した縄文農耕の始まりのきっかけ
土器が発明され、食糧加工、保存技術が改善されると定住生活が可能となり、集落が営まれるようになりました。これは最近になってわかってきたことです。
定住生活が始まると周辺の自然環境に手を加え、種子を選択して栽培するようになりました。栗や稗ひえの栽培をしたことが三内丸山遺跡の土壌採取、花粉分析でわかっています。これを選択栽培(半農業)と言います。
冬場の農作業をするためのロングハウスも建設されるようになりました。小・中学校の体育館のような大きさです。建物が大きいのは、雪の降る冬場でも集落の住民全員で共同作業をするためです。
竪穴住居の住み心地も意外に快適で、履き物や衣類なども編み物技術の高度化で次々に改善され、清潔で豊かな暮らしをしていたことがわかってきました。各地の遺跡発掘で次第に実態が明らかになってきています。
出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』著:鈴木旭
記事提供元:ラブすぽ
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