ユニクロのTシャツが<50万円>の衝撃鑑定!「柳井さんが欲しがっても不思議じゃない」:開運!なんでも鑑定団
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イチオシスト
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イチオシ編集部 旬ニュース担当
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2月3日(火)に放送した「開運!なんでも鑑定団」(毎週火曜 夜8時54分) に驚愕のお宝が登場した。
【動画】ユニクロのTシャツが50万円!「タダで手に入れた」衝撃鑑定にスタジオ騒然

依頼人が持参したお宝は、「ユニクロ1号店オープン記念Tシャツ」。42年前、依頼人が高校1年生の時にタダで手に入れたものだという。
1984年、広島市内に「ユニクロ」1号店がオープンすることになり、記念品が当たる抽選券が学校の前で配られていた。
どうしても記念品が欲しかった依頼人は、学校中の友人や先輩に声をかけ、高校の校門前で配られていた抽選券を約300枚集め、オープン当日に店へ向かったという。
当選確率は100枚中2〜3枚程度で、依頼人は6枚当選。手に入れた6枚のうち、1枚は母親に、1枚は弟に、残りは友人に譲り、自分用として2枚を確保。そのうち1枚は部屋着として着用したものの、今回持参した1枚は一度も袖を通していない未使用品だ。

昨今の古着ブームでは驚くような値がつくこともある初期のユニクロ製品。依頼品は背面に「UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE」の文字と、男女が手を取り合う旧ロゴが大きくプリントされている。
日本の長者番付で4年連続1位に輝く柳井正氏が、代表取締役会長兼CEOを務めるユニクロ。現在の店舗数は2500を突破し、そのうち海外店舗は1700以上にのぼる、まさに世界的企業である。
しかし、その始まりは地方の小さな紳士服店だった。山口県宇部市の商店街に、柳井氏の父が戦後まもなく開業した「メンズショップ小郡商事」。柳井氏がこの店を継いだのは1974年、25歳の時だ。
「小さな店の主人で一生を終わりたくない」。そう考えた柳井氏が立ち上げたのが「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」。直訳すると「独創的な衣類の倉庫」で、略称を「ユニクロ」とした。

1984年6月2日、広島市袋町に1号店がオープン。柳井氏は開店時間を朝6時に設定した。そんな早朝に服を買いに来る人はいないだろうと社員は考えていたが、開店前からすでに長蛇の列ができ、入場制限がかかるほどの盛況ぶり。取材に訪れていたラジオ局のマイクに、柳井氏が「大変申し訳ありませんが、もうお店に来ないでください!」と叫んだほどだった。
この成功を受け、その後4年で店舗数は15まで拡大。メーカーから仕入れた服を販売するだけでは大きな利益は望めないと判断し、メーカーも卸も通さず工場から直接仕入れる「製造小売業」へと舵を切った。
1998年には念願の東京進出を果たし、原宿店で「フリース」を発表。価格は1900円、全50色という圧倒的な展開だった。
洋服は3万枚売れればヒットと言われるが、ユニクロのフリースはこの年だけで200万枚を販売。2000年には2600万枚という驚異的な売り上げを記録した。その後もヒートテックやエアリズムなど、究極の普段着といえる「ライフウェア」を追求し続けている。

改めて依頼品を見てみよう。背中に大きくプリントされているのは、初代のロゴとブランド名。開店当時の写真を見ると、スタッフがユニフォームとして同じTシャツを着用していたようだが、ユニクロに問い合わせたところ「会社には1枚も残っていません」との回答だった。
本人評価額は10万円。

鑑定金額は…なんと50万円! これには依頼人もガッツポーズ。
鑑定を担当したのは、「SEVENSTAR CLOTHING」代表・渡邊スレイマーン氏。
渡邊氏は、ユニクロの誕生を象徴する非常に希少で珍しい品物だと評価。特筆すべき点として、未使用のまま現存していることを挙げた。
当時は衣類が後に価値を持つという発想がなく、所有していても着用されてボロボロになっているのが自然だが、本品はきれいな状態で残っているという。
「近年では『オールドユニクロ』と呼ばれるジャンルで、古いユニクロ製品が数万円で取引される例も出てきています。その中でも本品は、まさに頂点に位置する存在。将来、ユニクロが展覧会や記念館を作ることがあれば、入り口正面に飾られていてもおかしくありません。企業として保管されていないとのことなので、柳井さん本人が欲しがっても不思議ではないですね」(渡邊氏)
この結果を受け、依頼人は「予想以上です」と笑顔を見せた。
【動画】ユニクロのTシャツが50万円!「タダで手に入れた」衝撃鑑定にスタジオ騒然

依頼人が持参したお宝は、「ユニクロ1号店オープン記念Tシャツ」。42年前、依頼人が高校1年生の時にタダで手に入れたものだという。
1984年、広島市内に「ユニクロ」1号店がオープンすることになり、記念品が当たる抽選券が学校の前で配られていた。
どうしても記念品が欲しかった依頼人は、学校中の友人や先輩に声をかけ、高校の校門前で配られていた抽選券を約300枚集め、オープン当日に店へ向かったという。
当選確率は100枚中2〜3枚程度で、依頼人は6枚当選。手に入れた6枚のうち、1枚は母親に、1枚は弟に、残りは友人に譲り、自分用として2枚を確保。そのうち1枚は部屋着として着用したものの、今回持参した1枚は一度も袖を通していない未使用品だ。

昨今の古着ブームでは驚くような値がつくこともある初期のユニクロ製品。依頼品は背面に「UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE」の文字と、男女が手を取り合う旧ロゴが大きくプリントされている。
日本の長者番付で4年連続1位に輝く柳井正氏が、代表取締役会長兼CEOを務めるユニクロ。現在の店舗数は2500を突破し、そのうち海外店舗は1700以上にのぼる、まさに世界的企業である。
しかし、その始まりは地方の小さな紳士服店だった。山口県宇部市の商店街に、柳井氏の父が戦後まもなく開業した「メンズショップ小郡商事」。柳井氏がこの店を継いだのは1974年、25歳の時だ。
「小さな店の主人で一生を終わりたくない」。そう考えた柳井氏が立ち上げたのが「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」。直訳すると「独創的な衣類の倉庫」で、略称を「ユニクロ」とした。

1984年6月2日、広島市袋町に1号店がオープン。柳井氏は開店時間を朝6時に設定した。そんな早朝に服を買いに来る人はいないだろうと社員は考えていたが、開店前からすでに長蛇の列ができ、入場制限がかかるほどの盛況ぶり。取材に訪れていたラジオ局のマイクに、柳井氏が「大変申し訳ありませんが、もうお店に来ないでください!」と叫んだほどだった。
この成功を受け、その後4年で店舗数は15まで拡大。メーカーから仕入れた服を販売するだけでは大きな利益は望めないと判断し、メーカーも卸も通さず工場から直接仕入れる「製造小売業」へと舵を切った。
1998年には念願の東京進出を果たし、原宿店で「フリース」を発表。価格は1900円、全50色という圧倒的な展開だった。
洋服は3万枚売れればヒットと言われるが、ユニクロのフリースはこの年だけで200万枚を販売。2000年には2600万枚という驚異的な売り上げを記録した。その後もヒートテックやエアリズムなど、究極の普段着といえる「ライフウェア」を追求し続けている。

改めて依頼品を見てみよう。背中に大きくプリントされているのは、初代のロゴとブランド名。開店当時の写真を見ると、スタッフがユニフォームとして同じTシャツを着用していたようだが、ユニクロに問い合わせたところ「会社には1枚も残っていません」との回答だった。
本人評価額は10万円。

鑑定金額は…なんと50万円! これには依頼人もガッツポーズ。
鑑定を担当したのは、「SEVENSTAR CLOTHING」代表・渡邊スレイマーン氏。
渡邊氏は、ユニクロの誕生を象徴する非常に希少で珍しい品物だと評価。特筆すべき点として、未使用のまま現存していることを挙げた。
当時は衣類が後に価値を持つという発想がなく、所有していても着用されてボロボロになっているのが自然だが、本品はきれいな状態で残っているという。
「近年では『オールドユニクロ』と呼ばれるジャンルで、古いユニクロ製品が数万円で取引される例も出てきています。その中でも本品は、まさに頂点に位置する存在。将来、ユニクロが展覧会や記念館を作ることがあれば、入り口正面に飾られていてもおかしくありません。企業として保管されていないとのことなので、柳井さん本人が欲しがっても不思議ではないですね」(渡邊氏)
この結果を受け、依頼人は「予想以上です」と笑顔を見せた。
記事提供元:テレ東プラス
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