「セクシータレントの先駆け・飯島愛はなぜ日本中で広く支持されたのか?」稀代のアダルトメディア研究家・安田理央が検証する90年代
イチオシスト

2008年に急死し、18年経ったいまも、多くの人々に愛されて続けている飯島愛。1992年にAV女優としてデビューし、引退後もバラエティ番組などで活躍した「セクシータレント」の先駆けとも言うべき存在だ。
そんな彼女にまつわる書籍『飯島愛のいた時代』(太田出版)が1月22日に発売された。本著は彼女自身についてではなく、彼女の活動をメディアがどう報道したかを検証した一冊。彼女がどんな役割を担わされ、そして何を求められたのか。
飯島愛が活動した90年代。メディア越しの彼女を通じ、その時代の空気が浮かび上がってくる。
そこで著書であるアダルトメディア研究の第一人者の安田理央さんにインタビューを敢行。執筆にまつわるエピソードや本書への想いを語ってもらった。
* * *
――率直に言って、この本はかなり変わっていますよね。タイトルからして、飯島愛さんの評伝かと思いきや、本人の「素顔」や「実像」についてはほとんど書かれていないんですから。
安田 そうなんです。だから彼女のファンが読むと、がっかりされるかもしれません(笑)。
――そもそもなぜいま、飯島愛の本を?
安田 版元(太田出版)からの提案です。担当編集がアイデアを思いついたんじゃないのかな。でも僕にとって飯島愛は、これまで直接的な接点も関心もない、いわば無縁の存在。執筆するかどうかは正直、迷いました。ただ、彼女がメディアで「どう報道され、どう語られてきたのか」という点には、非常に興味があったんです。

――というと?
安田 彼女は時代によってまったく違う肩書きで扱われてきた。AV女優、ギャルの象徴、不良の代弁者、バラエティでも大活躍するセクシータレント。でも、それは彼女自身が劇的に変わったというより、時代が彼女をそう捉えてきた結果ではないかと思ったんです。彼女に対するメディアの扱いを丹念に追うことで、彼女が活躍してきた時代、主に90年代の空気を切り取れるのではないかと思いました。
――90年代に興味があった?
安田 アダルトメディアの歴史研究をライフワークにしている自分にとって、次のテーマに考えていたのが「90年代」でした。自分がフリーライターになったのが90年代で思い入れもありますし、またアダルトメディアがとりわけ暴走していたのも90年代。向き合おうと考えていたんです。そこで執筆しようと思い立った。これは飯島愛の伝記ではなく、90年代をメインとした「時代の記録」なんですよね。
――取材も関係者への聞き取りではなく、膨大な資料に当たられたそうですね。国立国会図書館や大宅文庫にも通い詰められたとか。
安田 一般誌はまだいいのですが、AV女優時代の資料集めには苦労しました。アダルト誌は国会図書館にも揃っていないので、藤木TDCさんに当時の雑誌をお借りしたり。ただ、調べていくと発見も多いんです。例えば、初期の彼女はインタビューでいつも「最後はCGアーティストになりたい」と語っていた。メディアはそれを「ギャップ」として面白がって書いていましたが、ある時期からその発言がピタッと消える。そこに彼女の心境の変化や、周囲のパワーバランスが見え隠れするんです。そうした微かな変化をひとつひとつ拾っていきました。

――飯島愛さんがデビューした1992年頃は、AV業界の大きな転換期だったと書かれています。
安田 バブルが崩壊し、全国のレンタルビデオ店も勢いを失っていた時期です。それまで主流だった「清楚な美少女」像が通用しなくなり、代わってギャルやコギャルのイメージが台頭してきました。
――まさに価値観が激変した瞬間ですね。
安田 彼女も最初は従来通りの「AVアイドル」像に押し込められようとしましたが、キャラにまったく合っていなかった。15歳で歌舞伎町のディスコに入り浸っていた彼女の本質、つまり「歯に衣着せずモノを言うヤンキー性」が隠しきれずに溢(あふ)れ出てしまった。それが結果としてウケたんです。
――深夜番組『ギルガメッシュないと』でのブレイクも、その流れの一部だったのでしょうか。
安田 よく勘違いされますが、時系列は逆なんです。「AV女優がテレビに出た」のではなく、『ギルガメ』で人気が出てから、「あのテレビに出ている子が」とAVのパッケージが爆発的に売れた。今でいう「芸能人AV」に近い扱いでした。
――彼女がAVで活動した期間は、実は2年にも満たなかったんですね。
安田 撮影自体は1年ほどでしょう。それでも「元AV女優」というレッテルは一生付きまとった。一方で、メディア上ではAVの過去が消され、「Tバックアイドル」という言葉に置き換わっていく。「AVはダメだが、Tバックなら許される」という当時の世間が認める性の限界点に合わせて、過去が書き換えられていったんです。

――執筆中、ご自身で特に手応えを感じたのは?
安田 コギャルに関する箇所ですね。90年代、メディアは10代の少女たちをこぞって性の対象として扱い、ブルセラブームも起きた。「少女は清楚であるべき」という共通認識が崩壊した瞬間でした。当時は「25を過ぎたらクリスマスケーキと同じ(価値が落ちる)」なんて平気で言われていましたし、22歳の飯島愛が「おばさんになったから」と『ギルガメ』を卒業したほど。90年代は若さへの執着と消費のスピードが異常でした。それには改めて驚きを感じました。
――そんな狂騒の中で、なぜ彼女はあれほど幅広い層に支持されたのでしょう。
安田 彼女は「主流じゃない人たち」の代弁者という役割を背負わされ続けたんだと思います。コギャルや不良の声を茶の間に届ける、一種の翻訳機のような役割。決して本人にそんな意識はなかったはずですけどね。
――晩年は、バラエティ番組や雑誌で、政治家や文化人と対等に渡り合っていました。
安田 物怖じしないキャラクターが、今のマツコ・デラックスさんのような立ち位置でハマったんでしょう。ただ支持される裏側で強い反発も受け続けた。その消耗の蓄積が、最終的な引退にも影響したのではないかと感じます。

――今の時代、飯島愛のような存在はもう現れないでしょうか?
安田 おそらく無理でしょうね。今はSNSがあるので、何かにつけて大炎上する可能性があるから、あそこまでの立ち位置にたどり着くことは難しい。また90年代は「露悪的な時代」でした。過激であることや不謹慎であることが、トガっていて面白いとされた。『すすめ!電波少年』なんてその最たるモノ。コンプライアンスが厳格な今、深夜番組とはいえ、地上波でTバックを見せまくるなんて到底許されないでしょう。彼女はあの時代だからこそ成立した、まさに「時代が生んだ存在」でした。
――安田さんは執筆中、彼女に感情移入することはなかったんですか?
安田 「しました」、と言いたいところですが、まったくなかったです(笑)。僕は元々、人の内面に感情移入するタイプではないんです。あと今回は飯島愛を語る時にありがちな「エモい」書き方は意識的に排除しました。
――それはなぜ?
安田 淡々と事実と資料を並べる方が、結果として彼女が背負わされた「時代の重み」が浮き彫りになると考えたからです。
――だからこそ、タイトルが『飯島愛のいた時代』だと。飯島愛ファンが読むと「がっかりするかも」と仰っていましたが、むしろファンこそ知らなかった客観的な彼女の輪郭に驚くかもしれません。
安田 誰かが記録しておかないと、歴史は都合よく書き換えられてしまいますからね。90年代という露悪的で、けれど凄まじい熱量があった時代。そこで飯島愛というひとりの女性がどう生きて、どうメディアに扱われてきたのか。それを「事実」として差し出したかったんです。

●安田理央(やすだ・りお)
1967年生まれ、埼玉県出身。ライター、アダルトメディア研究家。主な著書に『痴女の誕生―アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕生―大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』、『日本エロ本全史』(全て太田出版)、『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イースト・プレス)、『日本AV全史』(ケンエレブックス)、『エロメディア大全』(三才ブックス)など。AV監督としても活動し、2011年にはAV30周年を記念し、40社以上のメーカーが集まりベスト盤をリリースするプロジェクト「AV30」で監修を担当。モデルプランツ、野獣のリリアンといったユニット、バンドで音楽活動も。3月10日(火)、渋谷ラママで主催イベント『NEW WAVE PARTY!! vol.3 This ain't no disco !?!?』開催!
■安田理央『飯島愛のいた時代』(太田出版)/2,090円(税込)

あの娘はハデ好き、だけど――
前世紀末・90年代の真っ只中に突如現れ、圧倒的な支持を得ながら、21世紀になってほどなく世を去ったひとりの女性がいた。
そんな彼女と彼女が生きた時代に、いったい何が起きていたのか。
没後18年、アダルトメディア研究の第一人者による、渾身の90's徹底検証。
カバー写真撮影:篠山紀信
取材・文/大野智己 インタビュー写真/小塚毅之
記事提供元:週プレNEWS
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