マスターズ王者のファジー・ゼラー氏が死去 オーガスタに残した“偉業”と“差別発言”…波乱万丈の生涯
イチオシスト
1979年「マスターズ」、84年「全米オープン」のメジャー2勝を含む米男子ツアー通算10勝、さらにシニアのPGAツアー・チャンピオンズでも2勝を挙げたファジー・ゼラー氏(米国)が11月26日、死去した。74歳だった。
訃報は米国が感謝祭を祝う“サンクスギビング”の朝、ゼラー氏の娘がテキサス州ヒューストンのトーナメントオフィスに連絡したことから分かった。現在は詳しい死因などは分かっていない。
ゼラー氏はマスターズ初出場で初優勝を果たした最後の選手で、その後は快挙達成者は現れていない。84年にはウイングドフットで制した全米オープンは、月曜日に行われた18ホールのプレーオフでグレッグ・ノーマン(オーストラリア)をくだしてつかんだ勝利だった。
ユニークなキャラクターとしても知られており、フレンドリーでいつもジョークを飛ばしファンや周囲の人を楽しませる性格。ノーマンとの熱戦でも逸話が残っている。最終日が行われた日曜日のラウンドで、ノーマンが18番のパットを沈めるのを後続からフェアウェイで見ていたゼラー氏は、白いタオルを大きく振りかざし「白旗」を挙げたというのも、知られた話だ。ただゼラー氏がバーディーだと思ったノーマンのプレーはパーパット。結果的に2人はプレーオフを争い、それを制した。
しかし悪い意味でも名を残してしまった。それが97年のマスターズでのこと。その年は21歳のタイガー・ウッズ(米国)が歴史的な初勝利を挙げていた。先にホールアウトしていたゼラー氏は、CNNテレビのリポーターからクラブハウス前でタイガーの優勝についてコメントを求められた際、“悪いジョーク”を口にしてしまった。
「坊やはよくやった。彼に来年のチャンピオンズディナーにフライドチキンやカラードグリーンを出さないように言っておいてくれ」。フライドチキン、カラードグリーンというのは南部料理のソウルフードで、「黒人」が好む食事。当然これは「人種差別発言」となり、大問題に発展した。
ゼラー氏はこの一言ですべての契約スポンサーを失うことに。タイガーに謝罪をしたが「あの瞬間から何年経っても死の脅迫状を受けとっている。人生で最悪の過ちだった」とのちにゼラー氏は話している。
「私は天国には行ったことがないが、自分の人生を振り返って天国に行くことはないだろう」と話した名プレーヤーが成し遂げた記録は不変だ。多くのファンは今は安らかに眠っていること祈っている。(文・武川玲子=米国在住)
<ゴルフ情報ALBA Net>
記事提供元:ゴルフ情報ALBA Net
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。
