「もう一度やりたい!」斉藤ジュン、8年ぶりにまわし姿で激闘!「SUMO KING」参戦の胸中明かす
更新日:
イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
注目の旬ニュースを編集部員が発信!「イチオシ」は株式会社オールアバウトが株式会社NTTドコモと共同で開設したレコメンドサイト。毎日トレンド情報をお届けしています。
10月5日(日)に放送した「SUMO KING」(※10月13日 月・祝 昼12時から再放送)を「ネットもテレ東」「TVer」で期間限定無料配信中!
【動画】斉藤ジュン選手が激闘!「SUMO KING」
元力士、元プロ野球選手、格闘家、STARTOアイドルまでが集結!
土俵に特化した“究極の体当たりサバイバルバトル”を展開し、“土俵から落ちたら即失格”というルールの中で、最後に勝ち残った者に「SUMO KING」の称号が与えられる!
力・スピード・知力と、すべての要素を駆使して頂点に立つのはいったい誰なのか?
▲早々に「DOOM(※”破滅”を意味する斉藤ブラザーズの決めポーズ)」を披露してくれたジュン選手
「テレ東プラス」は、番組に登場した、全日本プロレス・斉藤ジュン選手のインタビューを前後編でお届け。前編では、番組の見どころからジュン選手の半生まで話を聞く!
――「SUMO KING」は、激しい肉と肉のぶつかり合い! すさまじかったです。
「“楽しかった!”、その一言に尽きます。自分は元・力士で、2017年5月に引退してから約8年ぶりにまわしを締めました。今回はプロレスラーとして参加して、元力士の朝弁慶さん、常幸龍さん、旭大星さんと同じ競技ができたことが感慨深かったです」
――お三方と面識は?
「元十両の朝弁慶さんは、自分が幕下の時に対戦したことがあり、その時は負けてしまいました。常幸龍さんも旭大星さんももちろん知っていたので、現場でお会いした時はとても嬉しかったです! ああ~、もっと『SUMO KING』をやりたいですね!(笑)」
――団体戦「壁押し」チーム分けでは、ドラフト1位指名でした。白鳥大珠さん(キックボクサー)に一番に指名された感想は?
「ありがたかったです! 団体戦のチームワークがとても良かったので、作戦会議の時は、自分も元力士ということで、‟こういう感じで鉄の壁を押そう!”と提案しました」
――ジュンさんの凛々しいまわし姿は、とてもステキでしたよ。「足長っ!」と、思わず叫びました(笑)。
「最初はまわしの下にスパッツ(タイツ)を履いていたんですけど、どうにも違和感があり、最終的には、まわしのみで挑みました」
――まわしを締めると、心も引き締まりますか?
「そうですね、キリッと引き締まります。約8年ぶりだったので、とても懐かしくて。まわしを締めると、股関節周りやおなか周りに跡が残るんですけど、今もまだ、その跡がちょっとだけ残っています。いつかプロレスのリングで、まわしを締めた姿で戦うのもいいかもしれない(笑)」
――番組では、元力士、プロレスラー、格闘家、俳優、芸人など、さまざまなジャンルの力自慢たちが激闘を繰り広げました。
「さまざまなジャンルの人たちが一気にぶつかり合って勝負する、という部分が新しいですよね。変な化学反応が起きてもおかしくない。
独自の戦い方やルールがあり、最初は“どんな感じなのか、何が正解なのか”全く分からなくて手探り状態。1回戦で脱落するのは絶対に考えられなかったので、とにかく落ち着いて様子を見ていました。下手に動くとぶん投げられる!(笑)
参加して楽しかったですし、戦っている最中は“闘志しかない!”という感じでした。プロレスラーとして絶対に負けられない戦いです。あーこうして話していると、また思い出してしまいました(笑)。もう少しやれたな…と。次は弟のレイと一緒に参戦したいです」
――敗者に対して、行事のアバターが喝を入れるのも一興でした。
「『ちゃんこ番からやり直せ!』はないですよね(笑)。でも、勝負の世界では負けは負けなので、何を言われてもしかたがないです」

――ここからは、ジュン選手ご自身について伺います。宮城・角田市のご出身ですが、双子の弟・レイさんと共に過ごした少年時代、どんなタイプのお子様でしたか。
「子どもの頃は、レイとイタズラばかりしていました。2人とも高い所が好きで、木登りをしたり、ご近所の家の屋根に上ったりしてはよく怒られていました。屋根には、小学3年生くらいまで上っていたかも(笑)」
――やんちゃな小学生だったんですね! 中学まで角田市で過ごし、高校からアメリカへ。そこにはどんな思いがあったのでしょう。
「中学を卒業した後、父親が住むアメリカに留学しました。単純に英語を勉強したかったので、日本の高校より、アメリカの高校に行きたいと思いました。レイも同じことを考えていたので、自然と“高校は2人でアメリカに行こう!”という感じになりました」
――なるほど。ちょっと余談にはなりますが、学生時代、めちゃくちゃモテたのでは?
「(笑)。うーん……イエスorノーで言ったら“イエス”ですね(笑)」
――話を戻します! 日本からアメリカの高校へ…15歳の少年たちにとっては大冒険ですよね。
「英語が全く話せない状態だったので、最初の1年間はめちゃくちゃ苦労しました。そんな中、元アメフトやレスリングの選手で、大のスポーツ好きだった父に“ここに行ってくれ”と言われて行ってみたら、急に練習が始まって…。気がついたら、2人でレスリングの練習をしていました(笑)。
自分は、高校で部活動やスポーツをやるつもりは全くなかったのに…」
――ところがどっこい、的な展開。
「でも、レスリングやアメフトはコミュニケーションが必要なので、英語が話せないと全く話にならないんですよ。仲間とコミュニケーションを取っていくうちに、自然と英語が身につきました。
これはレイも同じで、普通に勉強するよりも、部活の友達と交流することで、自然と英語が話せるようになりました。
次第に、部活を通して格闘技の面白さにのめり込んでいって…。17歳の時、“ゆくゆくはスポーツでご飯を食べていきたい”と思うようになりました。最初は相撲ではなく、“K-1でキックボクシングをやりたい”という目標を立てていたので、高校生の頃からずっとトレーニングに励んでいました」
――進むべき道が見つかったんですね。
「高校を卒業したらその道に進もうと思っていたんですけど、父に‟もう少し学校に行ってほしい”と言われたので、短期大学へ進学しました。
そうしたら、今度は父が“社会経験を積んだ方がいい”と(笑)。大きい乗り物が好きだったので、大型免許を取り、トラックの運転手を1年ほどやりました。その間にお金を貯めて、22歳の時に日本に戻り、埼玉県にあるジムで、寮生としてキックボクシングの練習に励みました」
――キックボクサーから、なぜ力士に?
「キックボクシングでデビューしたいと思っていましたが、減量がつらかったんです。“食べずに練習はできない”と思っていた矢先、先に日本に帰っていたレイに『一緒に相撲をやってみないか』と誘われました。相撲とキックボクシングは全く別物ですけど、格闘技だし、俺も相撲は好きでした。母親の影響もあり、じゃあ一から相撲で頑張ってみようと。レイと一緒に、出羽海部屋に入門しました」
――当時、憧れていた力士は?
「朝青龍さんです。強くて荒々しいところがカッコよくて、“朝青龍さんみたいになれるのであれば、横綱を目指して頑張ろう”と、毎日稽古に励みました。でもそううまくはいかず、幕内や十両の関取に上がることができなかったので、7年目に入った時、自分の中で‟これ以上続けても番付けが上がることは厳しい”と思ってしまい、気持ちが入らなくなってしまいました。
“このまま相撲部屋に居続けるのはちょっと違う”と思うようになり、師匠や親方と話をして、30歳になった時に引退しました。
自分が5月場所、レイはその4カ月後の9月場所で引退しましたが、どうしても日本で就職する気にはなれなかった。1度アメリカに戻って、再びトラックの運転手の仕事をし始めたら、またレイに『今度はプロレスやってみない?』と誘われて…」
――運命的なお誘いが!
「今までの経験から、どれくらいプロレスが厳しいかということは、なんとなくイメージできました。30歳を超えているのに1からプロレスをやるって‟無謀すぎるだろ?(笑)”と思ってしまい、最初は普通に断りました。いや、多分、20~30回は断り続けたと思います」
――レイさん、根気強い!
「しつこいんですよ。『プロレスやろうぜ!』みたいな感じで(笑)。俺は『嫌だ、やらない。やりたかったら一人でやってくれ』と断り続けましたが、半年ぐらい、ずっと誘ってきたんですよ。あまりにしつこかったので、ついに俺が折れて『分かった、やるよ』と返事をしてしまったんです」
――ジュンさんが「やるよ」と答えた時のレイさんの反応は?
「“やった!”みたいな感じで喜んでいました(笑)。ただ、プロレスの世界が厳しいことは分かっていました。年齢のことはありましたが、“決めたからには絶対に成功させよう、今度はやり遂げよう”と。“いくら厳しくても、デビューするまでは、辞めたいとか、辞めようというのは絶対なしにしよう”と、心に決めました」

斉藤ジュン選手のインタビュー後編は、10月13日(日)正午に公開します。どうぞお楽しみに!
【斉藤ジュン プロフィール】
1986年12月19日生まれ。宮城県角田市出身。全日本プロレス所属。
出羽海部屋に入門し、約8年間力士として活動(最高位は幕下)。
30歳で引退後、弟の斉藤レイ選手とプロレスラーの道へ転向。2020年12月、全日本プロレスの入門テストに合格し、2021年6月にデビューした。
レイ選手とタッグチーム「斉藤ブラザーズ」を結成し、主に「世界タッグ王座」戦線で活躍している。決めゼリフは「DOOM!(ドゥーム!)」。
斉藤ブラザーズとしては写真集やCDを発売する他、バラエティー番組に出演するなど、リング外での活動も精力的に行っている。
(取材・文/水野春奈)
【動画】斉藤ジュン選手が激闘!「SUMO KING」
元力士、元プロ野球選手、格闘家、STARTOアイドルまでが集結!
土俵に特化した“究極の体当たりサバイバルバトル”を展開し、“土俵から落ちたら即失格”というルールの中で、最後に勝ち残った者に「SUMO KING」の称号が与えられる!
力・スピード・知力と、すべての要素を駆使して頂点に立つのはいったい誰なのか?

「テレ東プラス」は、番組に登場した、全日本プロレス・斉藤ジュン選手のインタビューを前後編でお届け。前編では、番組の見どころからジュン選手の半生まで話を聞く!
次は弟のレイと一緒に参戦したい
――「SUMO KING」は、激しい肉と肉のぶつかり合い! すさまじかったです。
「“楽しかった!”、その一言に尽きます。自分は元・力士で、2017年5月に引退してから約8年ぶりにまわしを締めました。今回はプロレスラーとして参加して、元力士の朝弁慶さん、常幸龍さん、旭大星さんと同じ競技ができたことが感慨深かったです」
――お三方と面識は?
「元十両の朝弁慶さんは、自分が幕下の時に対戦したことがあり、その時は負けてしまいました。常幸龍さんも旭大星さんももちろん知っていたので、現場でお会いした時はとても嬉しかったです! ああ~、もっと『SUMO KING』をやりたいですね!(笑)」
――団体戦「壁押し」チーム分けでは、ドラフト1位指名でした。白鳥大珠さん(キックボクサー)に一番に指名された感想は?
「ありがたかったです! 団体戦のチームワークがとても良かったので、作戦会議の時は、自分も元力士ということで、‟こういう感じで鉄の壁を押そう!”と提案しました」
――ジュンさんの凛々しいまわし姿は、とてもステキでしたよ。「足長っ!」と、思わず叫びました(笑)。
「最初はまわしの下にスパッツ(タイツ)を履いていたんですけど、どうにも違和感があり、最終的には、まわしのみで挑みました」
――まわしを締めると、心も引き締まりますか?
「そうですね、キリッと引き締まります。約8年ぶりだったので、とても懐かしくて。まわしを締めると、股関節周りやおなか周りに跡が残るんですけど、今もまだ、その跡がちょっとだけ残っています。いつかプロレスのリングで、まわしを締めた姿で戦うのもいいかもしれない(笑)」
――番組では、元力士、プロレスラー、格闘家、俳優、芸人など、さまざまなジャンルの力自慢たちが激闘を繰り広げました。
「さまざまなジャンルの人たちが一気にぶつかり合って勝負する、という部分が新しいですよね。変な化学反応が起きてもおかしくない。
独自の戦い方やルールがあり、最初は“どんな感じなのか、何が正解なのか”全く分からなくて手探り状態。1回戦で脱落するのは絶対に考えられなかったので、とにかく落ち着いて様子を見ていました。下手に動くとぶん投げられる!(笑)
参加して楽しかったですし、戦っている最中は“闘志しかない!”という感じでした。プロレスラーとして絶対に負けられない戦いです。あーこうして話していると、また思い出してしまいました(笑)。もう少しやれたな…と。次は弟のレイと一緒に参戦したいです」
――敗者に対して、行事のアバターが喝を入れるのも一興でした。
「『ちゃんこ番からやり直せ!』はないですよね(笑)。でも、勝負の世界では負けは負けなので、何を言われてもしかたがないです」

30歳超えで1からプロレスをやる…最初は普通に断りました
――ここからは、ジュン選手ご自身について伺います。宮城・角田市のご出身ですが、双子の弟・レイさんと共に過ごした少年時代、どんなタイプのお子様でしたか。
「子どもの頃は、レイとイタズラばかりしていました。2人とも高い所が好きで、木登りをしたり、ご近所の家の屋根に上ったりしてはよく怒られていました。屋根には、小学3年生くらいまで上っていたかも(笑)」
――やんちゃな小学生だったんですね! 中学まで角田市で過ごし、高校からアメリカへ。そこにはどんな思いがあったのでしょう。
「中学を卒業した後、父親が住むアメリカに留学しました。単純に英語を勉強したかったので、日本の高校より、アメリカの高校に行きたいと思いました。レイも同じことを考えていたので、自然と“高校は2人でアメリカに行こう!”という感じになりました」
――なるほど。ちょっと余談にはなりますが、学生時代、めちゃくちゃモテたのでは?
「(笑)。うーん……イエスorノーで言ったら“イエス”ですね(笑)」
――話を戻します! 日本からアメリカの高校へ…15歳の少年たちにとっては大冒険ですよね。
「英語が全く話せない状態だったので、最初の1年間はめちゃくちゃ苦労しました。そんな中、元アメフトやレスリングの選手で、大のスポーツ好きだった父に“ここに行ってくれ”と言われて行ってみたら、急に練習が始まって…。気がついたら、2人でレスリングの練習をしていました(笑)。
自分は、高校で部活動やスポーツをやるつもりは全くなかったのに…」
――ところがどっこい、的な展開。
「でも、レスリングやアメフトはコミュニケーションが必要なので、英語が話せないと全く話にならないんですよ。仲間とコミュニケーションを取っていくうちに、自然と英語が身につきました。
これはレイも同じで、普通に勉強するよりも、部活の友達と交流することで、自然と英語が話せるようになりました。
次第に、部活を通して格闘技の面白さにのめり込んでいって…。17歳の時、“ゆくゆくはスポーツでご飯を食べていきたい”と思うようになりました。最初は相撲ではなく、“K-1でキックボクシングをやりたい”という目標を立てていたので、高校生の頃からずっとトレーニングに励んでいました」
――進むべき道が見つかったんですね。
「高校を卒業したらその道に進もうと思っていたんですけど、父に‟もう少し学校に行ってほしい”と言われたので、短期大学へ進学しました。
そうしたら、今度は父が“社会経験を積んだ方がいい”と(笑)。大きい乗り物が好きだったので、大型免許を取り、トラックの運転手を1年ほどやりました。その間にお金を貯めて、22歳の時に日本に戻り、埼玉県にあるジムで、寮生としてキックボクシングの練習に励みました」
――キックボクサーから、なぜ力士に?
「キックボクシングでデビューしたいと思っていましたが、減量がつらかったんです。“食べずに練習はできない”と思っていた矢先、先に日本に帰っていたレイに『一緒に相撲をやってみないか』と誘われました。相撲とキックボクシングは全く別物ですけど、格闘技だし、俺も相撲は好きでした。母親の影響もあり、じゃあ一から相撲で頑張ってみようと。レイと一緒に、出羽海部屋に入門しました」
――当時、憧れていた力士は?
「朝青龍さんです。強くて荒々しいところがカッコよくて、“朝青龍さんみたいになれるのであれば、横綱を目指して頑張ろう”と、毎日稽古に励みました。でもそううまくはいかず、幕内や十両の関取に上がることができなかったので、7年目に入った時、自分の中で‟これ以上続けても番付けが上がることは厳しい”と思ってしまい、気持ちが入らなくなってしまいました。
“このまま相撲部屋に居続けるのはちょっと違う”と思うようになり、師匠や親方と話をして、30歳になった時に引退しました。
自分が5月場所、レイはその4カ月後の9月場所で引退しましたが、どうしても日本で就職する気にはなれなかった。1度アメリカに戻って、再びトラックの運転手の仕事をし始めたら、またレイに『今度はプロレスやってみない?』と誘われて…」
――運命的なお誘いが!
「今までの経験から、どれくらいプロレスが厳しいかということは、なんとなくイメージできました。30歳を超えているのに1からプロレスをやるって‟無謀すぎるだろ?(笑)”と思ってしまい、最初は普通に断りました。いや、多分、20~30回は断り続けたと思います」
――レイさん、根気強い!
「しつこいんですよ。『プロレスやろうぜ!』みたいな感じで(笑)。俺は『嫌だ、やらない。やりたかったら一人でやってくれ』と断り続けましたが、半年ぐらい、ずっと誘ってきたんですよ。あまりにしつこかったので、ついに俺が折れて『分かった、やるよ』と返事をしてしまったんです」
――ジュンさんが「やるよ」と答えた時のレイさんの反応は?
「“やった!”みたいな感じで喜んでいました(笑)。ただ、プロレスの世界が厳しいことは分かっていました。年齢のことはありましたが、“決めたからには絶対に成功させよう、今度はやり遂げよう”と。“いくら厳しくても、デビューするまでは、辞めたいとか、辞めようというのは絶対なしにしよう”と、心に決めました」

斉藤ジュン選手のインタビュー後編は、10月13日(日)正午に公開します。どうぞお楽しみに!
【斉藤ジュン プロフィール】
1986年12月19日生まれ。宮城県角田市出身。全日本プロレス所属。
出羽海部屋に入門し、約8年間力士として活動(最高位は幕下)。
30歳で引退後、弟の斉藤レイ選手とプロレスラーの道へ転向。2020年12月、全日本プロレスの入門テストに合格し、2021年6月にデビューした。
レイ選手とタッグチーム「斉藤ブラザーズ」を結成し、主に「世界タッグ王座」戦線で活躍している。決めゼリフは「DOOM!(ドゥーム!)」。
斉藤ブラザーズとしては写真集やCDを発売する他、バラエティー番組に出演するなど、リング外での活動も精力的に行っている。
(取材・文/水野春奈)
記事提供元:テレ東プラス
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。