豊田利晃監督×渋川清彦主演。修行映画の集大成「そういうものに、わたしはなりたい。」
豊田利晃監督×渋川清彦主演により修験者・鉄平の姿を描いた狼蘇山〈修行〉三部作(「生きている。」(2022)、「ここにいる。」(2023)、「すぐにゆく。」(2024))を再編集して一本にしたシリーズ集大成「そういうものに、わたしはなりたい。」が、10月10日(土)よりユーロスペースなどで公開される。ポスタービジュアル、予告編、監督と主演のコメントが到着した。
松明を手に、長い階段を駆け上がる鉄平。辿り着いた神社で暴れながら、生きている意味を問う。さらには滝を浴び、飛騨高山の狼神社まで五体投地で歩き続ける……。
音楽は、豊田組に欠かせない切腹ピストルズ、ZAZEN BOYS/NUMBER GIRLの向井秀徳、太鼓芸能集団 鼓童、飛騨高山アンビエントの鬼才・飛騨音響派、監督率いる謎の集団・狼蘇らせ隊♡が担当。ポスターのイラストは作品集『火星のパリ』を出版したばかりの画家・花堂達之助、題字は飯田団紅(切腹ピストルズ)が手掛けた。なお全国配給に向けて支援を募るクラウドファンディングを、9月20日まで豊田組ショップで実施中だ。
渋川清彦 コメント
「どういうものに、わたしはなるだろうか。」渋川清彦
本名、田中清彦。
18の時、生まれ故郷の渋川から上京したが、どうやら上京とは「首府に行くこと。都に上ること。」
とAIが言っているが、自分が都の方に出てきて住んだのは千葉県だったので「上京」じゃなく「上県」じゃね? と昔、友達に言われた。
それでも東京で、右往しながら左往されながらめぐり合えた「役者」。
はじめてまもなく、初めての映画の現場が『ポルノスター』だった。
監督は豊田利晃。豊田さんも初めての監督作品だった。
23くらいの俺は当時「KEE」なんて名前をつけチャラチャラとやっていたが、30を機に国定忠治なんかをきどって、生まれ故郷渋川を名のり今に至る。
そんな俺も30年くらい役者をつづけられ、色々な映画監督と仕事をさせてもらっているが、初監督作品から現在までの全作品に出演させてもらっているのは豊田監督が唯一だ。
『アンチェイン』だけは参加できてないが。
この30年、豊田さんには光を見させてもらったり、闇のようなものを垣間みさせてもらったりしながら、今も一緒に歩ませてもらってる。
そして今、2025年8月20日23時すぎ、豊田さんから電話があり、切腹ピストルズの飯田団紅隊長と江戸部屋という隊長の隠れ家のようなところにいて何やら楽しそうに『そういうものにわたしはなりたい。』のコメントをできれば長い文章でほしいとの事で、文章はまったくもって苦手だが、日が変わり8月21日深夜1時前、勢いで筆を走らせた。
『そういうものにわたしはなりたい。』。
『狼煙が呼ぶ』以降の豊田利晃監督の怒りと祈りと修行。
というか、豊田利晃の人生の修行。
その修行の映画というか映画の修行は、火の粉をかぶったり、階段を全力で駆けあがったり、冷たい滝にうたれたり、地面を這いつくばったり、足を踏みはずしたら死んでしまうようなとこにいたり。
やる前は意気揚々とした心持ちで、「豊田の世界で暴れてやる!」なんて想像するが、いざ現場に入るとつらく大変な事が多く、早く終えて酒でも飲んでゆっくりしたいなんて思ったりもするが、まだこの修行のようなことをやりたいと想う自分もいるし、いつまでやるのかと想う自分もいる。
ただ、ひとついえるのは、豊田さんとの人生の旅のような祭りのようなものは続けていきたいし続けていく。
そしていずれは横に寝そべっている物語『横になる』でしめる。
涅槃。感謝。
豊田利晃監督 コメント
ひたむきに修行を続ける人たちと出会い、修行とは何かを考えた。
いくら考えても答えが出ないので映画を撮って答えを探した。
答えはいつまでも現れず、修行に終わりがないことを悟った。
僕たちは4年間に渡り、映画の修行を続けていた。
そして、それが僕たちの望む姿なのだと気がついた。
そういう者に、なりたかったのだと。
映画と映画館を愛する人たちに捧げます。
「そういうものに、わたしはなりたい。」
主演:渋川清彦
監督・脚本:豊田利晃
音楽:切腹ピストルズ、向井秀徳、中込健太(鼓童)、住吉佑太(鼓童)、宮下覚詮、飛騨音響派、狼蘇らせ隊♡
撮影:槇憲治、大和太 衣裳デザイン:澤田石和寛 音響演出:北田雅也 編集:村上雅樹 助監督:佐和田恵 制作:久永光 題字:飯田団紅 協力:にしかた有志の会、例幣使街道連合、飛騨縄文隊 絵:花堂達之助 配給担当:橋村さゆみ 宣伝:浦谷晃代
製作・宣伝・配給:豊田組
ビスタサイズ/5.1ch/70分/2025年
©豊田組
記事提供元:キネマ旬報WEB
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