【ネタバレ】「恐怖心展」己の恐怖と向き合い 蘇るトラウマ
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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怪談作家の梨とホラー×テクノロジーをテーマにしたさまざまな企画を手掛ける株式会社闇、テレビ東京・大森時生プロデューサー(「イシナガキクエを探しています」「飯沼一家に謝罪します」)が企画・制作した「恐怖心展」が、8月31日(日)まで開催中(渋谷「BEAMギャラリー」)。
※展示物の一部はフィクションです
【動画】「魔法少女山田」
去年の「行方不明展」に続き、今年の夏は「恐怖心展」…いったいどんな? という期待と、それがどのような形で展示されているのか…という好奇心を胸に渋谷へ。

エレベーターを降りて、会場の入り口へと向かう通路には、すべての人物の顔の上に大きな黒い丸が被せられた画像が並ぶ。
人物の表情は一切わからず、頭上にはチカチカと点いたり消えたりする蛍光灯。(不気味で不快で苦手なやつ)と、ブツブツつぶやきながら会場入りする。
展示は「存在」「社会」「空間」「概念」と、大きく4つのテーマに分けられ、それぞれの恐怖心に関する展示があらゆる形で構成されている。
ここでは、実際に体験し、個人的に強く印象に残った展示について紹介する。
【先端に対する恐怖心――様々な物体の先端】

はさみ、包丁、コンパス、ドライバー、キリ、バターナイフなど、あらゆるものの先端が、すべてこちらを向いている。先端恐怖症の人は多いと聞くが、その一部には“鼻が高い人、鼻がツンと尖っている人”が苦手な方もいるとか。
「この先端は大丈夫だけど、この先端は怖い…」。自分の先端に対する恐怖レベルを知ることができる展示。ちなみに記者は、バターナイフは怖くなかった…殺傷能力の違いか。
【注射に対する恐怖心――自らの採血を撮影した動画】

暗がりのモニターに映るのは、病院で撮影された採血の様子。
現在に至るまで約10年以上、毎月1回のペースで採血検査を受けているため、身近なあるある動画なのだが、よくよく考えてみると、その間、1度たりとも採血が開始される(腕に針が刺される)瞬間を見たことがないことに気づく。
針が刺さる痛みや感触はなんともないが、針が皮膚の中に挿入されるビジュアルが苦手。恐怖心から来るものなのか…。
【着ぐるみに対する恐怖心――着ぐるみと撮影した写真】

薄汚れた着ぐるみの傍らには、小学校の教員をしている女性が幼少期にその着ぐるみと撮影した写真が掲示されている。
着ぐるみ自体が怖いのではなく、中に入っている得体のしれない何かに対する恐怖。着ぐるみの中には、確実に息をする何者かがいたはずだ。
映画や小説の影響で「殺人鬼? 凶悪犯?」など、勝手に脳内ネガティブが発動される。小さなマスコットやキャラクター人形は可愛いと思えるのに、着ぐるみは断トツで怖い。ニコニコと笑った表情の奥に何か隠れているのでは? と想像してしまうから。
【様々な音に対する恐怖心――恐怖心を覚える音】

無造作に置かれたヘッドフォンから流れてきたのは、金属がこすれる音と何かの咀嚼音。ヘッドフォンを外した後、嫌だと思ったことがある音について、あるあるの源泉が湧くかのごとく盛り上がる。
黒板に爪を立てる音、シャーペンのカチカチ音、知らない誰かの咀嚼音、挙げたらキリがない。
ヘッドフォンの横に置かれたステンレスの食器とフォークがこすれる音を出してみた。やっぱり嫌だ。
【高所に対する恐怖心――「高所」への恐怖を喚起することになったマンション】

都内のアパートに住むイラストレーターがかつて住んでいたマンションで撮影した写真。ここでしばし、高所に対する恐怖心について語り合う。
某タワーなどにある「下が透けてみえるガラスの床」が怖い、かつて高層階に住んでいたため高所に恐怖心を覚えることは無かったが、「加齢とともに苦手になった」など、さまざまなバリエーションがあることを知る。
帯同した編集者は、何やら根深い幼少期のトラウマが蘇ってしまったようだ。
【夢に対する恐怖心――夢日記】

ある男性が過去につけていた夢日記。今日体験した恐怖心の中で、最もやばい展示だった。夢を記す行為そのものが自分と同じなのだ。
ただし、展示にあるような睡眠に対する恐怖心はない。“夢の内容を忘れたくないから”覚えている限り記録するのだ。どちらかといえば忘却に対する恐怖心のほうが強い。
覚えている限り、起床時に見た夢の内容をすべて記す。きっと死ぬまで続けるだろう。理由はたったひとつ。忘れたくないから。
◆
体験後、「嫌なところをつくよね…」が第一声。
“怖いけど見てみたい”という好奇心と恐怖心は表裏一体だ。
例えば、「集合体に対する恐怖心」の展示を前に、うわ…と思いながらも、集合体の正体が何か確認するため画像に近づき、「これは蓮の実ですね…」とその詳細について説明し始める。
廃棄に対する恐怖心では、山積みになったごみの山に自ら近づき、ごみの中身を確かめる。嫌だな、と思いながらもその詳細が気になるのだ。
嫌いなものや怖いと思うものを前にして、己の本質を知ることができる展覧会。人それぞれ異なる恐怖心は、見方を変えれば個性となる。
思い返せば、帯同した編集者から取材の依頼を受けたメールの文面に、「私、実は閉所と先端はちょっと苦手で…」と、私が知らない彼女の一面についてさりげなく添えられていた。その一文を読んだ時から、我々の「恐怖心展」は始まっていたのだ。
展示物を前に「実はこういうのが怖い(苦手)」と、相手の知られざる内面が次々と明かされていく体験は初めてだった。
自分の恐怖に対する感情を迷うことなくさらけ出すことができる。
ゆえに誰かと一緒に見るならば、お互いのことを知る絶好の機会となるだろう。
自分の中の恐怖心と向き合うことはもちろん、より相手のことを知りたいと思うのであれば、その相手を伴って足を運ぶことをおすすめしたい。また、今まで知らなかった自分を知ることができる(かもしれない)。

(取材・文/水野春奈)
公式HP
※展示物の一部はフィクションです
【動画】「魔法少女山田」
去年の「行方不明展」に続き、今年の夏は「恐怖心展」…いったいどんな? という期待と、それがどのような形で展示されているのか…という好奇心を胸に渋谷へ。

エレベーターを降りて、会場の入り口へと向かう通路には、すべての人物の顔の上に大きな黒い丸が被せられた画像が並ぶ。
人物の表情は一切わからず、頭上にはチカチカと点いたり消えたりする蛍光灯。(不気味で不快で苦手なやつ)と、ブツブツつぶやきながら会場入りする。
展示は「存在」「社会」「空間」「概念」と、大きく4つのテーマに分けられ、それぞれの恐怖心に関する展示があらゆる形で構成されている。
ここでは、実際に体験し、個人的に強く印象に残った展示について紹介する。
存在に対する恐怖心「そこにあるもの」がこわい
【先端に対する恐怖心――様々な物体の先端】

はさみ、包丁、コンパス、ドライバー、キリ、バターナイフなど、あらゆるものの先端が、すべてこちらを向いている。先端恐怖症の人は多いと聞くが、その一部には“鼻が高い人、鼻がツンと尖っている人”が苦手な方もいるとか。
「この先端は大丈夫だけど、この先端は怖い…」。自分の先端に対する恐怖レベルを知ることができる展示。ちなみに記者は、バターナイフは怖くなかった…殺傷能力の違いか。
【注射に対する恐怖心――自らの採血を撮影した動画】

暗がりのモニターに映るのは、病院で撮影された採血の様子。
現在に至るまで約10年以上、毎月1回のペースで採血検査を受けているため、身近なあるある動画なのだが、よくよく考えてみると、その間、1度たりとも採血が開始される(腕に針が刺される)瞬間を見たことがないことに気づく。
針が刺さる痛みや感触はなんともないが、針が皮膚の中に挿入されるビジュアルが苦手。恐怖心から来るものなのか…。
【着ぐるみに対する恐怖心――着ぐるみと撮影した写真】

薄汚れた着ぐるみの傍らには、小学校の教員をしている女性が幼少期にその着ぐるみと撮影した写真が掲示されている。
着ぐるみ自体が怖いのではなく、中に入っている得体のしれない何かに対する恐怖。着ぐるみの中には、確実に息をする何者かがいたはずだ。
映画や小説の影響で「殺人鬼? 凶悪犯?」など、勝手に脳内ネガティブが発動される。小さなマスコットやキャラクター人形は可愛いと思えるのに、着ぐるみは断トツで怖い。ニコニコと笑った表情の奥に何か隠れているのでは? と想像してしまうから。
社会に対する恐怖心「それになること」がこわい
【様々な音に対する恐怖心――恐怖心を覚える音】

無造作に置かれたヘッドフォンから流れてきたのは、金属がこすれる音と何かの咀嚼音。ヘッドフォンを外した後、嫌だと思ったことがある音について、あるあるの源泉が湧くかのごとく盛り上がる。
黒板に爪を立てる音、シャーペンのカチカチ音、知らない誰かの咀嚼音、挙げたらキリがない。
ヘッドフォンの横に置かれたステンレスの食器とフォークがこすれる音を出してみた。やっぱり嫌だ。
空間に対する恐怖心「そこにいること」がこわい
【高所に対する恐怖心――「高所」への恐怖を喚起することになったマンション】

都内のアパートに住むイラストレーターがかつて住んでいたマンションで撮影した写真。ここでしばし、高所に対する恐怖心について語り合う。
某タワーなどにある「下が透けてみえるガラスの床」が怖い、かつて高層階に住んでいたため高所に恐怖心を覚えることは無かったが、「加齢とともに苦手になった」など、さまざまなバリエーションがあることを知る。
帯同した編集者は、何やら根深い幼少期のトラウマが蘇ってしまったようだ。
概念に対する恐怖心「こと」がこわい
【夢に対する恐怖心――夢日記】

ある男性が過去につけていた夢日記。今日体験した恐怖心の中で、最もやばい展示だった。夢を記す行為そのものが自分と同じなのだ。
ただし、展示にあるような睡眠に対する恐怖心はない。“夢の内容を忘れたくないから”覚えている限り記録するのだ。どちらかといえば忘却に対する恐怖心のほうが強い。
覚えている限り、起床時に見た夢の内容をすべて記す。きっと死ぬまで続けるだろう。理由はたったひとつ。忘れたくないから。
◆
体験後、「嫌なところをつくよね…」が第一声。
“怖いけど見てみたい”という好奇心と恐怖心は表裏一体だ。
例えば、「集合体に対する恐怖心」の展示を前に、うわ…と思いながらも、集合体の正体が何か確認するため画像に近づき、「これは蓮の実ですね…」とその詳細について説明し始める。
廃棄に対する恐怖心では、山積みになったごみの山に自ら近づき、ごみの中身を確かめる。嫌だな、と思いながらもその詳細が気になるのだ。
嫌いなものや怖いと思うものを前にして、己の本質を知ることができる展覧会。人それぞれ異なる恐怖心は、見方を変えれば個性となる。
思い返せば、帯同した編集者から取材の依頼を受けたメールの文面に、「私、実は閉所と先端はちょっと苦手で…」と、私が知らない彼女の一面についてさりげなく添えられていた。その一文を読んだ時から、我々の「恐怖心展」は始まっていたのだ。
展示物を前に「実はこういうのが怖い(苦手)」と、相手の知られざる内面が次々と明かされていく体験は初めてだった。
自分の恐怖に対する感情を迷うことなくさらけ出すことができる。
ゆえに誰かと一緒に見るならば、お互いのことを知る絶好の機会となるだろう。
自分の中の恐怖心と向き合うことはもちろん、より相手のことを知りたいと思うのであれば、その相手を伴って足を運ぶことをおすすめしたい。また、今まで知らなかった自分を知ることができる(かもしれない)。

(取材・文/水野春奈)
公式HP
記事提供元:テレ東プラス
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