生粋の「コロナウイルス学者」を訪ねて~ベルン(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
フォルカーの部屋に飾ってあった、ラクダのぬいぐるみ。イケアで買ったものを、卒業生が記念(?)にくれたらしい
ベルン最終日は、郊外にある政府管轄のウイルス研究所へ。東京・白金台にある筆者の研究施設とは大きく異なる環境に面食らい、スイスのポスドクの給与に驚愕した......。
* * *
■ベルンの「ウイルス研究所」へその翌日、ベルン市街から車で30分ほどの郊外にある、政府管轄の「ウイルス研究所」を案内してもらった。いままでいろいろな研究施設を見学したことがあるが、この施設にはいろいろなところで面食らうことになった。
まず、建物の中の、実験スペースに入るためだけに、「着替え」をする必要がある。ここでの「着替え」とは、上から白衣を着るとか、上着を別のものに着替える、とかいうものではない。
男女別の更衣室に入り、すべての着衣や装飾品をはずし、スマホなどもすべてロッカーに入れて全裸になり、共用の実験着に着替えるのである。下着もそれ専用の、使い捨てのものに取り替える。
二重扉の中は、バイオセーフティーレベル(BSL:biosafety level)2の、いわゆるごくごく普通の細胞実験をするスペースである。東京・白金台にある私のラボにも同じようなスペースはもちろんあるが、そこには普段着で入ることができる(ちなみに最近、ラボの様子を「ニコニコ生放送」で紹介したので、もし興味があれば、そちらもぜひご覧ください!)。私のラボの場合、「着替え」などもちろんいらないし、入り口は二重扉などではない。そんなごく普通のスペースに入るためだけに、全裸になって専用の着衣に着替える必要がある、ということにまず度肝を抜かれた。
そしてそのスペースの中に、食堂もある。しかし、シェフの都合があるので、食事ができる時間は、正午からの1時間だけと決められている。メニューに選択肢はない。
そこにはテーブルサッカーが置いてあったり、日光を浴びられるスペースもあったりして、できるだけ快適に過ごせるような環境は整えられているのだが、これらすべてが、「containment(封じ込め)」の環境の中にある。
そして上述の通り、この施設の中にいる全員が同じ実験着を着ているので、その光景はさながら刑務所のような感じがしなくもなかった(もちろん入ったことはないけど、あくまでイメージとしての話)。
そのBSL2の「普通の」実験スペースから、鳥インフルエンザウイルスなどの高病原性の病原体を扱うBSL3以上の部屋に入るときは、また別の更衣室に入り、さらに別の実験着に着替える。ちなみにこのときには、すでに専用の(使い捨ての)下着を身につけているので、下着姿になるだけで、全裸にはならない。
そして、高病原性の病原体を使った実験をするときには、その上から、「PPE(personal protective equipment、の略。日本語で『個人防護具』)」と呼ばれる防護服を着て、防護マスクを被り、密閉された部屋に入って実験をする。
そして、すべての作業を終えて外界に出るときは、やはり身につけていた実験着をすべて脱いで、シャワーを浴びる。エアシャワーではなく、お湯のシャワーである。シャンプーやボディーソープでからだをすみずみまで洗い流し、普段着に戻る、という仕組みである。
――はっきり言ってこれは、かなりの重労働である。上でも述べたが、私のラボの場合(あるいは、日本のほとんどのラボの場合)には、居室と、普通の実験スペースであるBSL1やBSL2の間を行き来する際に、衣服の交換などの手間は基本的に必要がない。普段着である。
しかし、高レベルの「containment(封じ込め)」を必要とするBSL3の場合には、同時に開閉しない二重扉や、「PPE」と呼ばれる防護服の着用、N95マスクの着用などが義務づけられている。
つまり、外界(居室などの日常環境)、BSL2、BSL3という段階の中で、私のラボの場合には、BSL2とBSL3の間に「手間」がある。しかし一方で、この実験施設の場合には、外界とBSL2の間に「手間」があるわけである。しかもその「手間」は、中に入るには全着替え、外に出るにはシャワー、という徹底ぶりである。
■徹底管理の理由とそのハードルもちろんこれには理由がある。たとえば、私のラボの場合には、BSL3で扱う高病原性ウイルスは、基本的に新型コロナウイルスだけである。
しかしこの実験施設では、それだけではなく、アフリカ豚熱ウイルスや口蹄疫ウイルスという、ヒトには感染せず、ブタやウシなどの大動物に感染し、甚大な被害を及ぼすウイルスも扱っていて、しかもこれらの動物を使った感染実験をしている。
つまり、ヒトにリスクのある病原体だけではなく、動物にリスクのある病原体も扱っているため、実験従事者を守るための「バイオセーフティー」だけではなく、動物や環境を守るための「バイオセーフティー」を考える必要がある。
そのためにはこのように、「関係する実験施設はすべて封じ込め」を徹底する必要がある、ということである。
......と、理屈はわかるが、しかしそれにしても、である。私のラボの場合、新型コロナの実験をするために、居室からBSL3実験室に移動して実験を開始するまで、およそ10分もあれば充分である。
一方、ここベルンの場合、中編で紹介したように、フォルカーのラボのある獣医学部は、ベルン市街地からバスで10分ほど。このウイルス研究所は、そこからさらに車で30分ほどもかかる。
つまり、フォルカーのラボで新型コロナの実験をするためには、ラボから車で30分ほどかけてこの研究所まで行き(共用の電気自動車は用意されているらしい)、全裸になってBSL2用の実験着に着替え、さらにもうひとつの更衣室で、BSL3用の2度目の着替えをする必要がある。
これを毎日ルーティンにこなすのは、かなりの労力なのではないか......と、他人事ながら思わずにはいられなかった。
■スイスのポスドク(博士研究員)の驚愕の給与ウイルス研究所からベルン駅までは、研究所のある教授が車で送ってくれた。
その車内ではいろいろな雑談をした。日本の学生のこと、日本の物価安のこと、ベルンやスイスの言語環境のこと。
ちなみにスイスは、北部はドイツ語圏で南部はフランス語圏という、複数の言語を公用語にしている国である。そんな中、首都であるベルンは、その境目に位置する。そのため、街中で人々の会話を聞いていても、英語の中に、ドイツ語とフランス語がごちゃ混ぜに入り混じっている。と言っても、私はこれらの言語はほとんど理解できないので、「Danke(ドイツ語で『ありがとう』)」と「Merci(フランス語で『ありがとう』)の両方が聴こえる、というだけなのだけど。
――と、その車内でふと、私はひとつの素朴な質問をぶつけてみた。
私「そういえば、スイスのポスドク(博士研究員)の給与はどのくらいなの?」
運転手の教授「うーむ、そうだな、だいたい年収で10万スイスフランくらいかな」
2024年4月当時のとんでもない円安状態の為替だと、1スイスフランは約170円。つまり、博士号を取得してすぐの、ポスドク1年目の研究員の年収は、日本円換算でなんと約1700万円ということになる。
私はただただ驚いてしまい、「うーむ、それは普通に私の年収よりも全然多いなあ」という素直な感想が口をついた。
すると、律儀な彼は言葉に窮してしまい、「お、おう。で、でもまあ、スイスと日本じゃ、物価も違うからね。生活のことを考えたら、まあね。と、ところでだな」と、話題を変えるべく努めるのであった。
■そして、最後の目的地へドライバーを務めてくれた彼にお礼を言い、ベルン駅で下車する。そこから電車に乗って、チューリッヒ空港へ。
空港に向かう電車の中で、ベルンという街のことを改めて思い返してみた。ウイルス研究所の僻地具合とそのハードコア具合には正直辟易したが、それでも総じて、ベルンという街は、とても居心地の良いところだった。
フォルカーの人柄や旧市街の街並み。晴れた空の下でそれらに触れることができただけでも、充分に来た甲斐があったと思えるものであった。
ウイルス研究所の封じ込め施設から出るときにシャワーも浴びたし、体も気分もスッキリ。空港のラウンジで、グラスに注いだシャンパンをひと息で飲み干す。ベルンを発つと、次はいよいよ、この旅の最後の目的地である。
文・写真/佐藤 佳
記事提供元:週プレNEWS
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。