そもそもハルとは誰なのか? 映画「ルート29」が問う大いなる答えを求めて
道は必然性を持って作り出されてきた。目的の場所へ、早く、安全にたどり着くように試行錯誤を重ね。太古の昔からそうだ。食物のある場所へと人々を異動させるため。定住する場所ができればそこで取れるものと別な場所で取れるものを交換するため。律令の時代となれば中央政権とその地を結ぶため、道はできていった。個人の目的のために作られた道も数に入れれば、もっともっと無数にある。道は人文の基礎。必然のない道などほぼない。
そんな国道29号線を、ある依頼をきっかけに姫路から鳥取に向かうトンボことのり子(綾瀬はるか)と小学六年生のハル(大沢一菜)の物語である森井勇佑監督の映画「ルート29」のBlu-ray&DVDが、6月4日(水)に発売(レンタルDVD同時リリース)される。原作は、中尾太一の詩集『ルート29、解放』(書肆子午線刊)。解説には「薄く、張り裂けそうな詩の皮膚に、精いっぱいの光を浴びて予感する明日のポエトリー」と書かれている。中尾は、29号線沿いの町に故郷を持つ。
トンボがハルを鳥取まで送り届けることとは?
「トンボ(トンボというあだ名はハルがつけた)とハルの物語」と書いたが、冒頭からそれを期待してはいけない。人生がままならないものであること。そして自分の人生の主役は自分だが、他者の人生では脇役。誰の視点から見るかで、世界の見え方は変わる、ということを改めて思い知らされる。
鳥取で清掃員として働いているのり子は、ある日、仕事で訪れた病院の入院患者・理映子(市川実日子)から、姫路にいる自分の娘を連れてきてほしいと依頼される。日々の出来事を短い言葉で記すのり子のノートには、こう書かれる。「仕事をたのまれた」。のり子は、清掃会社のバンを無断で借り、業務用のツナギのまま、病院から姿を消す。
仕事とは何だろう。一般的に「生計を立てる手段として従事するもの」のことを仕事と呼ぶ。それを物理学的に考えると「物体が“外力”の作用で移動したときの“移動方向への力の成分”と“移動距離”との積」を指す。のり子にとってこの依頼は、たぶん物理学的なもの。対象となるハルを、鳥取(=距離)まで移動させる成分(=力)を見極めることを“仕事”と考えたのだろう。他者とのコミュニケーションをほぼ放棄したのり子が興味を持ったもの。それはハルという存在に「鳥取まで行ってみよう」と思わせ、推進させた力だったのではないか。
ルート29こと国道29号線に刻まれた時間
鳥取へと国道29号線に歩を進めるトンボとハル。途中で車を奪われた彼女たちは、山深いこの道を歩くことになる。やがて二人は横転した車をゆりかごにして眠るじいじ(大西力)に出会い、三人で歩き始める。鉄を捨て、自分の足で歩を進める。
物語を追ううちに、その三人にある人物が並び歩く姿が妄想されるようになる。大伴家持。奈良時代の政府高官であるが、『万葉集』の編纂に関わった歌人として知られる。日本史の授業と、古文では、印象が異なる不思議な人物だ。彼は中納言という高い位まで昇りながら、未遂に終わったクーデターの影響を受けて地方の国府へと左遷される。それが因幡国(現在の鳥取市)。彼はこの地で『万葉集』のトリを飾る、現存する自身最後の歌を詠んでいる。
浮かんだのは、長岡京を後にした家持が、因幡まで山間の道のりを歩む姿だ。奈良時代は、美作から黒尾峠を抜ける現在の国道53号線に近いルートが主流だったそう。戸倉峠を超える国道29号線が使われるようになったのは平安時代頃からのようだ。ちなみに江戸時代以降のメインは志戸坂峠を貫き、智頭急行も並走する国道373号線となっている。
道が変遷していった理由は、道の険しさと、宿場を設ける場所の有無による。安全と利便性を優先し、より安全で通行しやすい場所へと移り変わっていく。しかし、それらを上回る理由がある。それは経済だ。農耕を始めた日本人にとって、律令制施行以降、米は自身の食べる分を作るものから、中央に運ぶもの、経済を回す存在へと変化した。それに伴い陸路、海路、川路が整えられ、より運搬しやすい場所に町(城下町)が作られる。大伴家持の時代の国府が水害の起こりにくい場所にあったのに対して、鳥取城下はかつての扇状地に作られている。水害より経済が優先された。
気付けるか? 静かに突きつけられていた問いの存在に
国道29号線は、かつて因幡街道、播州街道と呼ばれた。因幡街道はたたら街道とも呼ばれる、かつて製鉄を行った「たたら場」があった場所だ。戦時中、29号線の難所・戸倉峠には冬期も軍需品を運搬できるように隧道が建設された。現在のトンネルはこれとは異なり、1955年に完成したものだ。道幅も長さも旧隧道を上回る。
そんな新戸倉トンネルを前にハルは「うんっ! こーっ!」と叫び、「このトンネル通りたない」と森の中へと入っていく。トンボとじいじもそれに従う。そしてハルの「うんっ! こーっ!」によって、見ている我々も現実へと引き戻される。大伴家持とこの道に流れる歴史を思い、「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」とたゆたっていた頭は、覚醒を求められた。
するとこれまで次々と問いが突きつけられていたことに気付く。なぜハルは、このトンネルをキャンセルしたのか? そもそもハルとは誰なのか? ローラースケートで姫路の商店街を回り、森で暮らすシャケ師匠(播田美保)に教えを受ける彼女は、どんな生活を送っているのか? 我々は一つも具体的なヒントを与えられることのないまま、ハルとトンボの歩みを見守ってきた。
ハルとは、国道29号線自身なのかもしれない。またはそこに流れる時間か
ハルが何を受け入れ、何を拒絶し、何を願ってトンボと鳥取まで行くことを選んだのか。やがて国道29号線は、県道41号線にぶつかり終着する。ハルは、終着点に至る、残りの29号線を石で道をつなぐ。一度、すべてを捨て去ったハルが再び紡ごうとしたものとは? 全ての答えが、自身で見つけ出すものとして提示される。だがそれについて……、丸い石の価値について、足の甲を横切るダンゴ虫について、話し合いたくなる気持ちは止められない。
道を舞台にした映画には傑作が多い
「バグダッド・カフェ」や「カーズ」で描かれるルート66、「サン・ジャックへの道」で絵描かれたサンティアゴ巡礼路など、道を舞台にした映画には傑作が多い。人間の物語とともに、その道に刻まれた時間が描かれる。「ルート29」も同様だが、それらを上回る深みを、台詞で説明する代わりに、飯岡幸子の映像と、Bialystocksの音楽が語ろうとするので、一時も目が離せない。
森井監督の前作「こちらあみ子」でデビューした大沢一菜の帰属性のなさ、綾瀬はるかの所在なさが、答えを探そうと抗う我々を見透かすかのように、本作が繰り出す問いをより豊かに深めてゆく。
そんな二人は、国道29号線上で、様々な人や犬、虫たちと出会う。二匹の犬を連れた赤い服の女、天井を道路側につけた車の中で膝を抱える老人、人間の社会から逃れ森で生きる父と息子、小学校の教師をしているのり子の姉・亜矢子、精神科病棟にいるハルの母親・理映子、時計屋のおばあさんほか。それらのシーンを収めた、「特典映像」の中の「メイキング」がめちゃくちゃ面白い。
俳優たちが、感受性という能力……、できごとから感じ取る力を駆使して監督と語り、紡ぎ出す数々の言葉が、とても印象的なのだ。何ごともなく日々を過ごすことが良しされる社会で、私たちは気持ちをコーティングし、できるだけ核に障らないように生きている。しかし、それはないがしろにされていいものではなく、放っておけばそこが患部となって疼くことになるだろう。
メイキングに映し出される言葉は、そんな“感じる”という大切な感覚を取り戻す方法を教えてくれる。トンネル前のシーンのメイキングで、ふざけて「ハルー」、「トンボー」と互いの役名を呼び合う綾瀬はるかと大沢一菜の姿にさえ、涙が出そうになる至福(二人の関係性でいうと、「完成披露試写会舞台挨拶」の中で読み上げられる大沢が綾瀬に書いた手紙も胸を打つ)。そうやって取り戻した感受性とともに、再度、本編に向き合うと、心が柔軟性を持ち、焦点深度が深くなっていることに気付く。たぶんそれはハルとの旅で、再び呼吸を始めたのり子の心に近いのではないか。“見る”よりもまず“感じる”ことを優先させたい作品だ。
文=関口裕子 制作=キネマ旬報社
「ルート29」
●6月4日(水)Blu-ray&DVD発売(レンタルDVD同時リリース)
Blu-ray&DVDの詳細情報はこちら
●Blu-ray 価格:5,720円(税込)
【ディスク】<1枚>※本編+特典映像
★特典映像★
・メイキング
・イベント集
・予告集
●DVD 価格:4,400円(税込)
【ディスク】<1枚>※本編+特典映像
★特典映像★
・メイキング
・イベント集
・予告集
●2024年/日本/本編120分
●監督・脚本:森井勇佑
●原作:中尾太一「ルート29、解放」(書肆子午線刊)
●撮影:飯岡幸子
●音楽:Bialystocks
●主題歌:『Mirror』Bialystocks(IRORI Records / PONY CANYON)
●出演:綾瀬はるか
大沢一菜
伊佐山ひろ子、高良健吾、原田琥之佑、大西力、松浦伸也/
河井青葉、渡辺美佐子/
市川実日子
●発売・販売元:ハピネット・メディアマーケティング
©2024「ルート29」製作委員会
記事提供元:キネマ旬報WEB
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