【モーリーの考察】フェイクスターを生み出すのは「完璧なヒーロー」を求める人々の欲望?
『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、SNS発のギターヒーローをめぐる騒動から、現代社会に蔓延する「病」の正体を考察する。
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若き天才の超絶プレイは"フェイク"だった――そんな事件が一部で波紋を呼んでいます。渦中の人物は1997年生まれのイタリア人ギタリスト、ジャコモ・トゥッラ。
インスタグラムやYouTubeにアップした完璧な演奏動画に多くのギターキッズが熱狂、有名ギターメーカーからシグネチャーモデルが発表され、彼の演奏をまねするためのタブ譜も販売されるなど、一種のカルチャー現象となっていました。
しかし今年4月、あるYouTuberが公開した「検証動画」をきっかけに状況は一変。トゥッラが複数の無名ギタリストのフレーズを盗用した可能性が指摘され、さらに彼自身がリアルタイムで演奏しているように見せていたプレイが、デジタルツールで制作された音源に合わせた"当て振り"だったことも暴露されました。
続いて、YouTubeで人気配信番組を持つ人物からも、過去にトゥッラと動画撮影を行なったものの「演奏があまりに拙かったため、公開を見送った」との告発が――。
盗作、当て振り、拙い演奏の実態......一連の疑惑を受けて、トゥッラは謝罪動画を投稿。本人のSNSアカウントの一部や公式サイトが削除され、ギター製品ページも次々と閉鎖となり、音楽業界から事実上排除される事態となりました。
この事件は単なる"個人の過ち"でしょうか? 少なくとも私には、現代人が無意識に膨張させている「非現実的な完璧さ」への欲求が背景にあるように思えます。
本来、音楽を含めた文化や芸術の表現においては、人間ゆえの個性、あるいは"違和感"が深い味わいや感動の源泉になります。ところが現代に生きるわれわれは、日常のあらゆる場面で違和感や摩擦を徹底的に排除することを理想としている。
そんな現代人に向けて発信されるコンテンツも、違和感やストレスを感じさせないよう"最適化"されることがスタンダードになっています。この「違和感の除去」によって利益を最大化しているのがIT企業、特にグローバルなプラットフォーム企業で、人々の欲求に完璧に応え、摩擦を排除した世界を提供することで最大限のクリックを集めています。
現代人は知らず知らずのうちに、その完璧さに依存し、生身の人間による不完全なパフォーマンスを「価値が低い」と見なすようになっているのではないでしょうか。
トゥッラのように実際はフェイク含みであっても、オモテに見える出来上がりだけは"完璧"な存在が称賛され、地位を築くということは、当然のことながら地道に技術を磨いている"不完全なミュージシャン(人間)"たちは埋もれてしまうことになります。
トゥッラの場合は目立ちすぎたことで足がつきましたが、AI技術を駆使した模倣や欺瞞は、今やあらゆる分野において社会の隅々に広がっている。そればかりか、むしろそうしたやり口が「戦略」として評価される風潮さえあります。
人々がどこまでも圧倒的な才能、欠点なき善人、比類なき美貌、すべて論破する正義といった「完璧なヒーロー」を求めるなら、それを演じる「役者」は必ず登場する。
トゥッラの事件は、突き詰めて考えるなら、テクノロジーがもたらす便利さや完璧さを追求しすぎることの危険性、あるいは「幻想を現実とはき違えてしまう」現代病の危険性を教えてくれているように私には思えます。
記事提供元:週プレNEWS
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