川﨑宗則「僕の人格を作った」球界屈指のエンターテイナーが語った幼少期『NumberTV』#18

『NumberTV』#18
NTTドコモの映像配信サービス「Lemino(レミノ)」では、さまざまなジャンルのトップアスリートを招き、彼らの競技人生における「最大の挫折」の真実に迫る『NumberTV』を配信している。その時何を感じ、どう壁を乗り越えたのか。選手本人が当時の写真と向き合いながら、復活までの道のりを明かす本格ドキュメンタリーだ。#18では、プロ野球選手・川﨑宗則の挫折と苦悩に迫る。
電気工事屋のせがれだった川﨑、両親の姿が「僕の人格を作った」
優れた打撃力と圧倒的なスピードで、2度のWBC制覇に貢献した元メジャーリーガーの川﨑宗則。日本球界屈指の人気選手であり、稀代のエンターテイナーとしても愛される川﨑の知られざる挫折とは。
川﨑は1999年に福岡ダイエーホークスからドラフト4位で指名され、高卒でプロ入り。4年目の2003年にはレギュラーに定着し、チームのリーグ制覇と日本一にも貢献した。その後も球界を代表する選手として活躍を続ける中、憧れのイチローを追って2012年からはメジャーにも挑戦し、5年間の奮闘を経て2017年にホークスに復帰した。43歳の現在も独立リーグでプレーを続ける川﨑の野球人生を紐解く。
『川﨑電気工事』と書かれた扉の前でバットを手にする幼少期の自分の写真を見て「電気工事屋のせがれですよ」と紹介する川﨑は、鹿児島県姶良市で3人兄弟の末っ子として生まれ、共働きで忙しい両親の代わりに姉と兄が熱心に面倒を見てくれたという。
球界屈指のエンターテイナーの礎となったのは、家族のために必死に働く両親の姿だと川﨑は語る。電気を通して各家庭の生活を豊かにする電気屋の仕事に対し、野球でのサービスは感動を与えたり感謝されることだといい、そのサービスでご飯を食べているのだと認識。そして「両親の影響が僕の人格を作ったんじゃないか」と当時を振り返りながら語った。
【制作・編集:All About編集部】
記事提供元:Lemino ニュース
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