山形の放送局からテレビ東京へ!「自分の殻を破りたい」山本倖千恵アナウンサーの挑戦
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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「テレ東プラス」は、2024年にキャリア採用で入社した山本倖千恵(やまもと さちえ)アナウンサーを取材。
大学卒業後は山形の放送局でアナウンサーとして活躍し、テレビ東京に中途入社した山本アナ。これまでの歩みからプライベートまで、話を聞きました。
【動画】山本アナウンサーが担当する「おはスタ」
たくさんの優しさを受け取ってきた分、今度は私が返したい
――笑顔がステキで、優しい雰囲気の山本アナ。子どもの頃はどんなタイプでしたか?
「一人で黙々と作業するのが好きな子どもでした。幼少期の将来の夢は、手芸屋さんになること。子どもだったので欲しいアクセサリーを買えなくて、『じゃあ自分で作ろう!』と思ったことがきっかけだったと思います。ブレスレットやイヤリングを作るのが好きで、今でもビーズや裁縫を楽しんでいます」

――学生時代は陸上に打ち込み、高校生の時はインターハイ全国3位に輝いたそうですね。
「本格的に陸上を始めたのは中学生の頃で、約10年間打ち込みました。全国大会に出場するという目標があり、強豪校へ進学しましたが、中学時代はそれほど足が速かったわけではないので、練習はとにかく大変でした。
高校は世界で活躍する選手が同級生にいるような環境で、時には練習に参加させてもらえないこともありました。それでも、彼らの技術を間近で学べたことは大きな財産となり、"もっと強くなりたい"という負けん気が鍛えられました」
――アナウンサーを目指したきっかけは?
「高校2年生の時、『炎の体育会TV』(TBS)に高校生ランナーとして出演したことです。いただいた台本を読み、"テレビ番組って、こんなに綿密に作り込まれているんだ"と感動しました。
元々はテレビ局の総合職に興味があり、大学時代はADのアルバイトも経験しました。その際、アナウンサーの方とお話をする機会があり、アナウンサースクールの存在を知ったことがきっかけです」
――その後は、山形の放送局にアナウンサーとして就職しました。なぜその局を選んだのでしょう。
「陸上の全国大会という夢をかなえた場所が山形県でした。私にとって特別な思い入れのある地だったので、"ここで働きたい"という強い気持ちがありました。
山形の放送局では、夢に向かって努力している生徒や学生の皆さんを紹介するコーナーを担当しました。特に陸上競技を中心に、現役ランナーのインタビューや顧問の先生のお話を通じて、選手たちがどのように努力しているのかを伝えました。
印象的だったのは、親御さんが『子どもが取り上げられてうれしい』と喜んでくれたこと。放送後に視聴者の方から感想をいただけることもあり、やりがいを感じていました」
――そして、テレビ東京のキャリア採用に応募。そこにはどんな思いがあったのでしょう。
「スポーツに関わる仕事がしたいと考えていましたが、次第に報道にも興味を持つようになりました。特にスポーツとジェンダーの問題について深く考えるようになり、大きなテーマに挑戦したいと思うようになりました。
例えば『東京オリンピック』では、トランスジェンダーの選手の出場が議論になりましたが、多くの人が納得できる形を模索する必要があります。高校時代は、パラスポーツやデフリンピックなど、身体的なハンディキャップを抱えながら競技に取り組む選手たちと関わる機会もあり、スポーツを通じて社会の課題に向き合うことの大切さを実感しました。
また、女性アスリートには生理など体に関わる悩みもあり、私自身、競技生活を通じてこうした課題を考え続けていました。
テレ東の入社試験では、ジェンダーの問題について深く話す機会があり、真剣に耳を傾けていただけたことがうれしかったです」
――入社後、新たな発見や学びはありましたか?
「今は、発見と学びだらけの毎日を過ごしています。一番驚いたのは、関わる人数の違いです。山形の放送局では、10人ほどの少人数体制で番組を制作していました。アナウンサーでありながら時にはディレクターの役割も担い、構成を考えたりCGの発注作業を行ったりと、限られた人数で番組を作るからこそ、一人が担う役割が広く、その経験は今でも大きな財産になっています。
テレビ東京では、一つの台本を作るだけでも10人以上が関わることがあり、番組制作のスケールの大きさを感じています。アナウンサー業に専念できる環境が整っていて、言葉を扱う責任の重さを改めて感じています。
どちらの環境も、それぞれの良さがあると思います。今はより多くの人が関わる現場だからこそ、言葉の影響力を強く意識するようになりました」
――先輩からのアドバイスで印象に残っていることは?
「トレーナーの狩野恵里アナウンサーを始め、多くの先輩方に教えていただいています。
特に印象的だったのは『殻を破れ』『枠を超えていけ』という言葉で、自分の中に無意識の固定観念があることに気づきました。
例えば、ナレーションは落ち着いたトーンになりがちですし、"アナウンサーはこうあるべき"と考えてしまい、表現を抑えてしまうこともあります。先輩方のアドバイスを受け、もっと自由に伝えていいのかもしれないと思うようになりました。自分の殻を破った新しい表現にも挑戦していきたいです」
――プライベートで一番楽しいことは?
「一人旅が好きで、今年もすでに3カ所ほど巡りました。去年はリュック1つで香港と台湾へ弾丸旅行しましたが、台湾では空港で迷っていた時に親切な方が市内まで案内してくれて、そのまま一緒に観光しました。
国内では、和歌山県の友ヶ島を訪れ、そこでも偶然出会った方と5時間ほど島を巡りました。旅先での出会いや会話を通じて、自分とは異なる人生を知ることができるので、楽しいです。音楽も好きで、特に藤井風さんの曲が大好きです。どんな時でも、風さんの曲が心を穏やかにしてくれます」

――最後に、アナウンサーとしての目標を教えてください。
「人の心に寄り添えるアナウンサーになることです。月並みな表現かもしれませんが、本当に寄り添うためには、さまざまな視点を持ち、相手が使う言葉や感じていることを理解することが大切だと思っています。同じ内容でも、言葉の選び方で伝わり方は変わります。だからこそ表面的な言葉ではなく、相手の心に響く伝え方を大切にしたいです。
両親からは、『人に何かをしてもらったら、ありがとうと伝えなさい』と教わって育ちました。たくさんの人から優しさを受け取ってきた分、今度は私が返していきたい…そう思っています」

【同期・嶺 百花アナウンサーに一言】
「入社してからずっと嶺ちゃんと一緒にいることが多くて、毎日ワクワクしています。嶺ちゃんといると何が起きるか分からない楽しさがあり、きっとその魅力は視聴者の皆さんにも伝わると思います。
明るくて天真らんまんな印象ですが、実はとても努力家で、いつでもしっかり準備をしています。一つ年下だけど尊敬できる存在で、言葉がなくても通じ合えるので、根っこの部分が似ているような気がします。これからも一緒に頑張っていきましょう!」
【山本倖千恵アナウンサー プロフィール】
1999年9月25日生まれ。東京都出身。2024年、テレビ東京に入社。「NIKKEI NEWS NEXT」(BSテレ東/月~木曜 夜9時/金曜 夜9時54分 ※山本アナは月曜、火曜)、「スポーツリアライブ~SPORTS&Real&Live~」(毎週月~木曜 夜11時55分/金曜 夜11時58分/土曜 夜10時30分/日曜 夜10時54分 ※山本アナは火曜)」、「ゆうがたサテライト」(月〜金曜 午後4時54分 ※山本アナは水曜)、「おはスタ」(月〜金曜 朝7時05分 ※山本アナは金曜)、「RACING LABO SUPER GT+KYOJO」(毎週土曜深夜24時)などを担当している。
記事提供元:テレ東プラス
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