第74代・横綱、豊昇龍「叔父さん(元朝青龍)と比較されてしまうことはわかっているけれど、『これが豊昇龍だ』という力士になりたい」
角界待望の新横綱・豊昇龍が語る「横綱のさらに上」を目指す決意とは――?
大相撲春場所が3月9日から始まった。今年1月29日に横綱に昇進した豊昇龍(ほうしょうりゅう)は、新横綱として初の本場所となる。
レスリングの才能を見いだされて日本に留学した高校時代から、相撲に転向して横綱に昇進するまでの道のり、そして新横綱としての新たな決意を語ってもらった。
■思い入れのある大阪・住吉大社で横綱土俵入りを果たす大相撲春場所直前の大阪・住吉大社。
新横綱・豊昇龍は、この日、朝9時に大社内にある立浪部屋の稽古場に姿を現した。すでに、土俵の周りには見学するファンがあふれる中、横綱の登場に張り詰めた空気が流れる。
四股、すり足などの準備運動、首のストレッチを入念に行なった後は、同じ部屋の幕内・明生(めいせい)、十両・木竜皇(きりゅうこう)らを相手に胸を出す。実戦感覚を確かめるように、突き、押しを主体にした相撲を20番ほど取り続けた。
「動きはいいし、体調は問題ないよ」
自ら率先して幼稚園児たちに囲まれ、笑みを浮かべる豊昇龍。まさか横綱がと稽古場に来ていた人は大喜びだ
稽古を終えた豊昇龍は、余裕の表情を見せる。
この日、軽めの稽古だったのは、午後から同大社で参拝と奉納土俵入りという行事が待ち構えていたからだ。実は、住吉大社は古来相撲の守護神とされていて、相撲とは縁が深い。そうしたこともあって、例年春場所前に、歴代横綱が参拝と奉納土俵入りを行なっているのだ。
新横綱をひと目見ようと、駆けつけたファンは2000人。
太刀持ち・平戸海(ひらどうみ)、露払い・明生を従えた豊昇龍が、本宮の前で雲竜型の土俵入りを行なう。「龍」の文字がアレンジされた真新しい三つぞろいの化粧まわしは、高須クリニック・高須克弥院長から贈呈されたもの。
高須クリニック院長から送られた龍の文字をデザインした化粧まわしにご満悦の豊昇龍
「ヨイショー!」というかけ声が飛び交う中、無事に土俵入りを終えた豊昇龍は、「(入門して)初めて番付に載ったのが、7年前の春場所。
住吉大社には、そのときからお世話になっていて、いろいろな思いがある場所です。そこで横綱土俵入りができて、本当にうれしい。応援してきてくれた人へ、少しは恩返しできたかなと思います」と感慨深げに語った。
■相撲の面白さに胸を打たれて転部の決意をしたモンゴル・ウランバートル出身の豊昇龍は、現在25歳。
叔父は、優勝25回を誇る第68代横綱・朝青龍(あさしょうりゅう)だ。叔父が横綱に昇進したとき、豊昇龍はまだ3歳。凱旋帰国した叔父と一緒に撮った写真は一家の宝物になっている。
朝青龍を含めた父の兄弟全員がモンゴル相撲経験者という中、少年時代の豊昇龍はあえて、柔道やレスリングの道に進んだ。なぜなら、テレビ中継で見る大相撲の力士が大きすぎて、「自分には相撲は無理だ」と思ったからだ。
中学時代、レスリングの才能を見いだされて日本の高校(柏日体高、現・日体大柏高)に留学を果たした豊昇龍は、当初レスリングに打ち込んでいたのだが、高校1年の5月、運命が変わる出来事に遭遇する。
「アスリートコースの課外授業で、両国国技館に相撲を見に行ったんです。そのとき、横綱・日馬富士(はるまふじ)関が大きな力士を倒すところを見たんですが、館内がすごく盛り上がって......。
『相撲って、こんなに面白いんだ!』って感じて、相撲をやる決意をしたんです。ただ、電話で叔父さんに転部の話をするときは、『怒られるんじゃないか?』とドキドキしましたけどね(笑)」
同じ立浪部屋の前頭11枚目・明生相手に軽快な動きを見せる豊昇龍
叔父の計らいもあり、特別にレスリング部から相撲部への転部が許された豊昇龍は、66㎏と細身の体だった。それでも、天性の運動神経で相撲の腕を上げて、高校時代は全国大会で活躍する選手へと成長した。
そんなとき、豊昇龍少年に声をかけたのが、立浪親方(元小結・旭豊[あさひゆたか])だった。
「(豊昇龍を)ひと目見たときから、この子は絶対に強くなる!と感じました」(立浪親方)
その後も高校相撲で好成績を残した豊昇龍には、多くの部屋からスカウトの声がかかった。それでも、「最初に大相撲界に誘ってくれた部屋だから」と、同親方の下に入門。
四股名は、師匠「旭豊」の「豊」に、「朝青龍」の「青龍」を「昇龍」に変えて、「豊昇龍」と決まった。
週刊プレイボーイを手に「すごい写真だ!」と豊昇龍(右)が声を上げると、十両・木竜皇(左)ものぞき込んだ
18年初場所で、初土俵。同期生には、昭和の大横綱・大鵬(たいほう)の孫、納谷(なや/現関脇・王鵬[おうほう])がいて、前相撲から、「ルーツが横綱」同士の取組が組まれた。
高校時代からしのぎを削っていたふたりの対戦は、翌場所も序ノ口の土俵で実現。豊昇龍は対戦を前に「勝たせてください」と、住吉大社で祈ったという。
その後、豊昇龍は順調に出世して、9月の秋場所で幕下に昇進。幕下時代、豊昇龍にはこんな思い出がある。
「高校の相撲部の稽古場にちょくちょく顔を出してくださっていた横綱・白鵬(はくほう)関が稽古をつけてくださったんです。普通、横綱が幕下力士相手に胸を出してくれることなんかありえないので、うれしかったですね。
そのとき、横綱がおっしゃったんです。『オレはもうすぐやめちゃうから、早く(幕内に)上がってこいよ!』って。この言葉を聞いて、『早く横綱と対戦できる地位まで上がりたい』という気持ちになりました」
右肘に痛みが出て、治療のため奉納土俵入り前日の出稽古を休んだ。(横綱は)責任が重いから休場しないと宣言した豊昇龍に早くも試練か
「異例の稽古」の効果もあり、19年11月の九州場所、豊昇龍は十両に昇進する。
大相撲の世界で、関取(十両以上)になることは、一般的に一人前と見なされる。相撲協会から給料が出て、身の回りの世話をしてくれる付け人もつく。
そして、翌20年9月の秋場所、豊昇龍は新入幕を果たす。本場所中、母国・モンゴルでは大相撲中継が放送されるのだが、OAされるのは、幕内力士の相撲のみ。そうした事情もあって、モンゴル出身力士は「幕内力士になって一人前」という思いが強いという。
翌21年7月の名古屋場所、豊昇龍は、前頭5枚目。横綱、大関との対戦が組まれる可能性がある地位まで番付を上げてきた。
以前から、白鵬との「夢の一番」を待望してきた豊昇龍だったが、対戦がかなわぬまま、この場所は白鵬が全勝で45回目の優勝を果たした。
翌秋場所を休場した白鵬は、秋場所後に現役引退を発表。叔父とおいの2代にわたる対戦は幻に終わった。
叔父の元朝青龍がツイッター(現X)上で、豊昇龍に激励のメッセージを送るようになったのは、この頃からだ。
当時、豊昇龍は、「僕に関しては、かなり辛口のツイートが多くて、ホメてくれることはほとんどないんです。だから、『負けたら怒られそう』と思って、プレッシャーなんですよ(笑)。
次の対戦相手が誰かというよりも、叔父さんのツイッターが一番のプレッシャーかも......」と語っていたが、こうして「朝青龍のおい・豊昇龍」という彼の存在は、それほど相撲に詳しくない人たちにも徐々に広がっていった。
■てっぺん(横綱)の上を目指す22年春場所で新三役(小結)に昇進した豊昇龍は、以降、三役に定着。翌23年名古屋場所では、関脇で12勝3敗で初優勝を果たし、大関昇進を決める。
ところが、昇進後は負傷などの影響から成績が伸び悩み、苦戦が続いた。
昇進から1年がたった24年名古屋場所では、優勝戦線に絡みながら、大関・琴櫻(ことざくら)戦で股関節を痛めて、途中休場。
「優勝のチャンスを逃して、すごく悔しかった」
豊昇龍がこう振り返るように、この負傷が本格的に横綱を目指すキッカケになる。
まずは、140㎏台前半の体重を10㎏程度増やすこと。もともと食の細い豊昇龍だが、太る努力を重ねた結果、肩口や胸の周辺がひと回り大きくなった。
その結果、11月の九州場所では、千秋楽まで優勝争いに加わり、最終的には琴櫻との相星対決で敗れたものの、13勝をマーク。
こうして迎えた今年1月の初場所では、前場所で優勝した琴櫻と共に、「綱取り場所」に臨むことになった。
特等床山の床辰に大銀杏を整えてもらいながら、土俵入りのイメトレをしていた
ところが、この場所、豊昇龍は9日目までに3敗を喫して、綱取り、優勝共に絶望的とされていた。
それでも、師匠からの「何が起きてもいいから、楽しんでいけ!」というアドバイスを励みに、諦めずに戦った豊昇龍は、千秋楽、王鵬、金峰山(きんぽうざん)と共に優勝決定巴戦へ進み、2回目の優勝と横綱昇進を決めた。
「謹んでお受けいたします。横綱の名を汚さぬよう、気魄一閃(きはくいっせん)の精神で精進いたします」
横綱昇進の伝達式で述べた口上だ。
「『気魄一閃』とは、自分に何があっても力強く立ち向かうという意味で、自分の座右の銘でもあるんです。大関に昇進したときも同じ言葉を使いましたけど、一番気に入っている言葉です」
その後の豊昇龍は、明治神宮での奉納土俵入り、千葉・柏駅前での祝賀パレードなど多忙を極めた。
「『横綱』と呼ばれることには、だいぶ慣れましたよ。慣れなくちゃいけないでしょ?
今はネットフリックスでアクション映画を見たりとかの気分転換をする時間もないけれど、大阪に入ってからは、部屋のみんなで大好きな焼き肉を食べに行ったりしています。酒はほとんど飲まないかな?
だって、入門するときに、叔父さんから、『酒は飲んでも呑(の)まれるな』というアドバイスをもらったから(笑)」
住吉大社本宮前での奉納土俵入り。モンゴル勢では叔父の朝青龍、そして鶴竜と同じ雲竜型を披露
最後に、新横綱として臨む春場所への意気込みを聞いてみた。
「目標はあまり口に出さないタイプなんですよ。どこまでも叔父さんと比較されてしまうことはわかっているけれど、誰もまねできない、『これが豊昇龍だ』という力士になりたい。
自分は入門したときから、『てっぺん(横綱)を目指す』と言ってきて、今そこまで来たけれど、その上のてっぺんを目指していきたいです」
横綱・豊昇龍の始動開始だ。
●豊昇龍智勝(ほうしょうりゅう・ともかつ)
第74代横綱。1999年5月22日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身。本名はスガラグチャー・ビャンバスレン。立浪部屋所属。身長188㎝、体重149㎏。得意技は右四つ・寄り・投げ。座右の銘は「気魄一閃(きはくいっせん)」
取材・文/武田葉月 写真/ヤナガワゴーッ!
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