【岡山の"リアル・ロッキー" 守安竜也のボクシング人生④】辰吉の活躍に沸いた90年代の日本ボクシング界。カリスマの地元倉敷の守安ジムにも練習生が殺到した
【連載・岡山のリアル・ロッキー 倉敷守安ボクシングジム会長・守安竜也(りゅうや)のボクシング人生】(5回連載/第4回)
1年前の2024年1月23日――。岡山のボクシングジムから初の世界チャンピオンが誕生した。無敗の王者、アルテム・ダラキアン(ウクライナ)を下してWBA世界フライ級王座に就いたのはユーリ阿久井政悟。今回の偉業は地方ジムから世界を目指すボクサーにも大きな希望を与えた。
阿久井の所属は倉敷守安ボクシングジム。元日本ジュニアウェルター(現スーパーライト)級王者の守安竜也(りゅうや)が38年前、33歳で始めたジムだ。守安は71歳になったいまも会長、トレーナー、セコンドの3役をこなし選手育成に励んでいる。現役時代は日本王座を3度防衛し世界3位にもなった守安。しかし通算戦績は28戦12勝(6KO)16敗――。そこには地方の弱小ジム所属ゆえに辛酸を舐めた歴史があり、それでも夢を叶えた「リアル・ロッキー」と呼べるような物語があった。
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1983(昭和58)年4月23日。守安は韓国ソウルで、26戦全勝22KOを誇る強打のコリアンファイターでWBA世界ジュニアウェルター級3位だった李相鎬(イ・サンホ)に5回1分45秒KO負けを喫した。初回に受けたバッテイングで額が大きく腫れ上がり、帰国後は入院生活を余儀なくされた。2週間ほど入院した守安はすぐに職場復帰し、以前と変わらぬ農協職員とボクシングの両立生活に戻った。
当時29歳で、1ヶ月後の6月に誕生日を迎えれば30歳。現役を続けたい気持ちはある。ただ、以前のように燃えたぎるような闘志は湧いてこなくってしまった。センスやテクニックのなさを根性で補ってきた守安にとって、それはリングで戦うボクサーとして致命的だった。
「引退は、最終的には自分で決断しました。心残りもありましたけど30歳にもなるし、現役も10年やったし、もうええかと」
李相鎬(イ・サンホ)にノックアウトされた最後の試合から半年後の10月1日、ようやく覚悟を決める事が出来た守安は引退届を提出。通算戦績は28戦12勝(6KO)16敗だった。
■「選手を咬ませ犬にしたくない」という思いで始めた、桃太郎ファイトボクシング「引退後も仕事の合間を見て平沼ジムに通い、後輩の指導をしていました。でも、プロを目指すような選手はひとりかふたりか、そんなもんですわ。教えようと思って顔を出しても、誰も練習には来ずに帰る日もしょっちゅうじゃった。煮え切らない気持ちを抱えた日々が1年半くらい続いた時、ボクシングが好きな知人に『だったら守安さん、自分でジムを始めたらどうか』と言われたんです」
守安は自身の貯金と母親に頼んで借りた数百万円の資金を元手に、ボクシングジム設立に向けて動き始めた。1987(昭和62)年4月、33歳になった守安は、倉敷市内の農地にある倉庫を家賃12万円で借りて改装してジムにした。
ジム開きから1週間ほど過ぎた頃、いまのユーリ阿久井政悟につながる練習生が入門してきた。のちにジムのプロボクサー第1号になる練習生の名前は、阿久井一彦。ユーリ阿久井政悟の父・「一彦」だった。
「阿久井は柔道経験者だけあって、体は頑丈でパンチもありました。なによりハートがええ。気持ちの強いボクサーでした」
当初は平沼会長に対する恩義もありアマチュアジムでオープンし、プロも所属できる体制を整えるまでに3年を要した。一彦はそれまで、アマチュアボクサーとして大会に出場して実力をつけた。
1990(平成2)年7月24日、一彦は26歳でようやく迎えたプロデビュー戦は引き分けるも、同年10月5日の2戦目でプロ初勝利をあげた。しかし以降は、守安の現役時代と同じように弱小ジムに所属するボクサーの宿命を背負い続けた。
ジム開設5年目の1992(平成4)年8月29日。守安はジム経営を始めた当初から計画していた自主興行を開けるようになった。日本ジュニアライト(現スーパーフェザー)級8位の深谷博明(ライオンズ)を招き、一彦は挑戦者としてメインイベントのリングに上がった。
興行名は「桃太郎ファイトボクシング」と付けた。
ゲストには、1986(昭和61)年3月30日のヒルベルト・ローマン戦を最後に試合から遠ざかり、桃太郎ファイト開催の前年、1991(平成3)年11月に正式に引退を発表したWBC・WBA元世界ジュニアバンタム(現スーパーフライ)級王者、渡辺二郎氏を招いて、初の自主興行に華を添えた。
政悟とふたり、過去の「桃太郎ファイト」のポスターを見る守安。守安は政悟の才能に賭けて10年ぶりに自主興行を再開させた
父一彦がメインを任された、初めての桃太郎ファイトのポスターを持つ息子の政悟
「阿久井の親父(一彦)がA級(8回戦)ボクサーになれたので、いまが良い時期と思いましてね。自分が育てる選手は、咬ませ犬にしとうなかった。長く続けるなら興行タイトルは必要と考えて、岡山じゃから冠に『桃太郎』と付けました。初めての自主興行じゃから自分も、ものすごいハッスルして広告も集めました。観客も700人ぐらい集まったと思います」
一彦は以降、少し遅れて入門した8歳年下の後輩で、1991年度西日本バンタム級新人王になった赤沢貴之とともに守安ジムの看板を背負い、桃太郎ファイトのリングに上がり続けた。
ちなみに赤沢は、8戦目でのちに日本ジュニアフェザー(現スーパーバンタム)級王者になる真部豊(宮田)とノンタイトル戦。12戦目ではのちにWBA世界ジュニアバンタム級王者になる飯田覚士(緑)の保持する同級日本王座に挑戦した。そして現役最後の22 戦目は、元WBA世界ライトフライ級王者の山口圭司(グリーンツダ*当時)とも戦った。
いずれも勝利は出来ず、タイトルにも手は届かないまま引退したが、守安によれば「赤沢はスパーリングでは世界チャンピオンと互角以上に戦えるテクニックを持っていた」そうだ。
赤沢はある時、何かと面倒を見てもらい慕っていた先輩の一彦に、自分の姉を紹介した。ふたりは交際期間を経て1993(平成5)年に結婚、2年後の1995(平成7)年9月3日に生まれたのが「政悟」だった。
守安は、当初は現役時代と変わらず農協職員と二足の草鞋(わらじ)を履いていたが、自主興行を始めるタイミングでジム経営一本に絞った。
きっかけは「浪速のジョー」こと辰吉丈一郎の活躍だった。
守安と同じ倉敷市出身の辰吉は1991(平成3)年9月19日、国内最短記録(当時)となる8戦目で、WBC世界バンタム級王座を獲得。実力もさることながら試合での華やかなパフォーマンス、そして名前の通り漫画『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈を連想させるような、いかにもボクサーらしいハングリーな生い立ちや波瀾万丈な人生がよりファンを魅了し、ボクシングという競技、スポーツという枠を超えたカリスマとして一躍、日本中の人気者になった。
(写真/産経新聞社提供)
辰吉人気は地元の岡山倉敷にもひろがり、プロボクサーを目指す若者にとって数少ない受け皿のひとつだった守安ジムには入門希望が殺到した。最盛期は120名以上の練習生が集まるなど、狭い倉庫を改装したジムでは対応できなくなり、現在の場所に移転した。
ただし自主興行を開けば、収支は相変わらず赤字。トントンならば御の字で、たまに儲けが出てもせいぜい50万円程度だった。東京や大阪にある大手ジムでもよほど人気のあるボクサーを抱えたジムでもない限り、自主興行は苦労の割に儲かる商売ではない。まして経済規模が小さく人口も少ない地方であれば、集客や広告集め等の苦労はなおさらだった。
それでも所属選手がプロテストに合格して試合で勝利し、ランキング入りを果たすなど成長した姿を見るたびに守安は、現役時代と同じように何物にも変え難い充実感を覚えた。
「自主興行の準備はまあ忙しい。自分ひとりでやりおるから。いまは70歳も過ぎて体力の問題もあって出来んようになりましたが、昔は午前中にポスターに糊付けをして、午後はジムを開く前の時間を使って営業回りや電信柱にポスターを貼って回りました。何やかんや、ようひとりでやりおったです」
自分が育てる選手は、咬ませ犬にしとうなかったーー。
守安は、桃太郎ファイトを始めた頃の思いを胸に自主興行を続けた。そして1998(平成10)年、守安ジムに中学生の頃から通っていた秘蔵っ子が初タイトルをもたらす。同年2月22日、ウルフ時光(ときみつ)が東洋太平洋ミニマム級王者ニコ・トーマス(インドネシア)に12回判定勝ち。ジム開設11年目の出来事だった。
ウルフ時光は東洋太平洋王座を初防衛後に返上。そして翌1999(平成11)年5月4日、WBC世界ミニマム級暫定王者ワンディ・シンワンチャー(タイ)に挑戦することが決まった。それは守安にとっても、初めて挑戦する世界戦の自主興行だった。
●守安竜也(もりやす・りゅうや)
倉敷守安ボクシングジム会長。1953(昭和28)年6月26日、岡山県都窪(つくぼ)郡山手村(現在の総社市)生まれ。1974(昭和49)年11月プロデビュー。1981年8月、日本ジュニアウェルター(現スーパーライト)級王座を獲得して3度防衛。WBA世界ジュニアウェルター級ランキングは最高3位。通算戦績12勝(6KO)16敗。30歳で引退した後、1987(昭和62)年4月、33歳の時にジム開設。現在プロボクサーはWBA世界フライ級王者のユーリ阿久井政悟、元日本スーパーフライ級ユース王者の神崎靖浩などが所属。過去の主な所属ボクサーは、元東洋太平洋ミニマム級王者のウルフ時光、同スーパーフェザー級暫定王者の藤田和典など。
取材・文・撮影/会津泰成
記事提供元:週プレNEWS
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