江戸時代から続く、かつお節の伝統製法を学んだアメリカ人が劇的進化:世界!ニッポン行きたい人応援団
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。
今回は、「ニッポンにご招待したら人生変わっちゃったスペシャル!」と、ニッポンでスゴい方々に出会った皆さんの様子をお届けします。
【動画】「世界!ニッポン行きたい人応援団」最新回
紹介するのは、アメリカ在住の「かつお節」を愛するケンさん。
お正月のお雑煮や、冬の鍋に欠かせない出汁。中でも昆布と並ぶ王道「かつお節」の出汁は、料理に抜群の旨味と風味を与える和食の原点です。今やニッポンのみならず、ニューヨークのミシュラン3つ星店や、フランスの一流シェフの間で高く評価され、世界中を虜にしています。
大学で食物の歴史を研究する中、かつお出汁に魅了されたケンさん。ニッポンにはまだ一度も行ったことはありませんが、自らかつお節を作るように。ニッポンの削り器は値段が高いため、木工用の鉋で削っていますが、フレーク状になってしまうそう。
早速、かつお節を作るところを見せてもらいます。アメリカでは新鮮なかつおが手に入りにくいため、まぐろで代用。そのまま茹でてボロボロになった経験から、買ってきた切り身に塩を振って身を引き締めます。
続いて、まぐろ節のために取り寄せた燻製窯で1日ほど燻し、水分を飛ばします。燻したら夜は乾燥させ、昼間にまた燻すことを1週間繰り返します。
世界一硬い食品といわれるかつお節は、乾燥させ、水分を徹底的に抜くことで生まれるそう。そこで、家庭でビーフジャーキーも作れる食品乾燥機に入れて乾燥させること1週間。まぐろ節が完成しました。
このまぐろ節を削って昆布と合わせた出汁に、手作りの麺を入れれば、ケンさん特製うどんの出来上がり。醤油などは全く入れず、出汁のみでいただきます。まぐろ節を作り始めてから2年間、毎日まぐろ節で出汁を取り、うどんを食べています。
そんなケンさんを、ニッポンにご招待! 8年前に初来日を果たしました。
向かったのは、静岡県西伊豆町の田子。最高級のかつお節の一つともいわれる「伊豆の田子節」の産地です。ケンさんの熱意を伝えたところ、創業143年の老舗「カネサ鰹節商店」が受け入れてくださいました。
かつお節の発祥は奈良時代。痛みやすいかつおを保存食にするため、一度煮込んでから干した「煮堅魚」が原型。そのまま食べるだけでなく、出汁を取るのにも使われていました。
江戸時代に加工技術が発達し、煙で燻して乾燥させる「焙乾法」が発明されると、現在に近いかつお節が作られるように。カネサ鰹節商店では、江戸時代から西伊豆に伝わる、手で触れながら火加減を見る「手火山式焙乾製法」でかつお節を製造しています。
かつお節は製造方法で2つに分けられ、1つはかつおを燻し水分を蒸発させた「荒節」。スーパーなどにある削り節の8割が荒節で、主に花かつおとして売られています。
一方、荒節にカビをつけて水分を吸収、乾燥させたのが「枯節」。さらに極限まで乾燥させ、熟成させた最高級品が「本枯節」です。6カ月かけて乾燥させることでカビが脂を分解し、極上の旨味に変わります。
早速、削りたてのかつお節をいただくことに。削りたてを食べるのは初めてというケンさんは、まず荒節をいただき「柔らかいですね」と感想を。五代目の芹沢安久さんによると、水分が多く柔らかいそう。本枯節もいただき「繊細な味です。手間暇をかけているのが分かります」と伝えると、「嬉しいですね」と芹沢さん。
続いて、削りたてのかつお節にお湯を注ぎ、出汁をいただきます。荒節と本枯節で、まったく色が違うことに驚き! 荒節の出汁は、味噌汁や鍋など味が濃い料理に。本枯節は吸い物など素材の味を引き出す際に使います。
出汁の違いを味わったところで、念願のかつお節作りを見せていただくことに。背びれを切る専用の馬蹄包丁で背びれを外したら、三枚におろします。おろした身を半分にすると、1本のかつおから4本の切り身が。これを「節」といいます。かつお節になる過程で水分がなくなり小さくなってしまうため、6キロのかつおが1キロほどに。
かつおを節にした後は、かごに並べて茹でる「かご組み」。並べるのはかつおを切るより難しいといわれており、少し曲がっただけでその形のまま煮込まれてしまうそう。削りやすいよう、真っすぐな形にすることが重要です。
芹沢さんいわく、少し反らせると煮込んだ時にまっすぐになるとのこと。何気ないところに隠された、職人の技です。
丁寧に並べた後は、臭みを取るため、お湯の中へ。先に骨や頭の部分だけを入れることで、続いて入れるかつおの節が急激に縮むのを防いでくれます。「私はただのお湯で茹でていました。だから身崩れしていたんですね」とケンさん。
形が崩れないよう、ゆっくりとお湯へ。ここからは1時間ほどかかるため、その間にお昼ご飯をいただきます。芹沢さんが作ってくださったのは、かつおのあら汁。かつおを切った時だけしか出ない貴重な腹身と、本枯節の出汁を堪能しました。
さらに、田子地区に伝わる保存食「潮かつお」も。かつおを丸ごと塩漬けにして、3週間乾燥させたものです。潮かつおを焼いてお湯を注いだスープがかつお出汁の始まりともいわれており、その歴史はかつお節よりも古いとか。江戸時代には全国で作られていましたが、今では西伊豆町にしか残っていない、幻の食材です。
この潮かつおを使った特製うどんもいただきます。茹でたうどんに、焼いた潮かつおをほぐして入れ、そこに、蒸したかつおを一度だけ焙乾した「なまり節」と、削りたての本枯節を。最後に醤油をかければ完成!
早速うどんをいただき「fabulous(最高です)」と大満足のケンさん。「このうどん1杯の中に西伊豆地区1000年の歴史が全部入っているわけです」と話す芹沢さんに「とても光栄です。本当に感謝します」と伝えました。
昼食を済ませたところで、かつおの節が茹で上がりました。よく見ると、尾の方だけ皮を残しています。かつお節は削る時に尻尾から頭に向かって削るため、分かるようにしているのです。皮が残り、色が濃くなっているのが尾の方。間違えて尾を後ろにして削ると、同じかつお節でも粉々になってしまうそう。
次に、身に残った骨を一本一本手作業で抜きます。ケンさんも骨抜きをお手伝い。
その後は、かつおの生身と茹でた身を混ぜた「モミ」で、骨を抜いた穴を塞ぐ「修繕」という作業。穴があると燻した時に身が割れてしまうことがあるのだとか。骨抜きと修繕を合わせて2時間…下準備が終了しました。
続いて「焙乾」。手火山式焙乾製法は、薪の火と煙で水分を蒸発させる、今や全国でも数軒しか行っていない幻の製法です。深さ2メートルの炉に火を起こし、修繕した節を高温で燻して乾かすことで、かつおの旨味をギュッと閉じ込めます。
かつおが焦げないよう、節を触って火加減を確かめるのは“手”。熟練した職人の感覚で温度を調整しています。これが江戸時代から続く伝統です。
燻し終わった後は、炉から下げて冷まします。低温の焙乾を10回ほど繰り返し、荒節が出来上がり。
荒節の表面についた炭を丁寧に削り取り、日本酒で使われるのとは違う、かつお節専用の麹菌をつけたら枯節に。木の樽に入れ、高温多湿の部屋で菌を発酵させ、本枯節にしていきます。
特別に樽の中を見せていただくと、荒節の表面にカビが。このカビが、かつお節の水分を取り出して脂分を分解。つけっ放しにすると中まで浸透してカビ臭くなってしまうため、一度天日干しをして、カビの繁殖を表面だけにとどめます。
発酵20日間と天日干しを繰り返すこと半年。旨味が凝縮された最高級の本枯節が完成!「時間をかけて作ることによってかつお節は確実に美味しくなるので、それが一番上手に作る近道」と芹沢さん。ケンさんは「頭が下がる思いです」と伝えました。
別れの時。芹沢さんから田子節と捌き包丁、さらに、手洗いの際にケンさんが気になっていた、石鹸を入れて吊るすネットまでいただき大感激! 「アリガトウゴザイマス!」と日本語で感謝を伝え、握手を交わしました。
芹沢さん、「カネサ鰹節商店」の皆さん、本当にありがとうございました!
続いて、新潟県三条市へ。こちらでは、かつお節削り器の工場を見せていただきます。削り器を持っておらず、大工用の鉋で削っていたケンさんは大興奮!
今回お世話になる「山谷製作所」は、鉋の木の部分「鉋台」を作る台屋さん。出迎えてくださったのは、三代目の山谷俊輔さんです。鉋は刃と台、それぞれ別に専門の職人が。鍛冶屋さんで作る手作りの刃は幅や厚さが微妙に異なるため、台屋さんが刃に合わせた台を一つ一つ削り出しています。
「山谷製作所」では、かつお節削り器も製作。テーブルに置いていつでも使えるようにと、これまでの削り器より小振りになっています。
実際にかつお節削り器で削らせていただくことに。透けるほど薄く削れたかつお節に、ケンさんは感動! アメリカから持ってきた自作のまぐろ節も、見事に削れました。このようによく削れる鉋は、職人技によるもの。そこで、台屋職人の技を見せていただきます。
分かりやすいよう、鉋の刃に鉛筆で色をつけ、台に取り付けてから外してみると、台に当たった部分が黒くなっていました。この黒い部分を削り取ることによって、刃が少しずつ中に。これが、刃を繰り返し入れては0.01ミリ単位で削っていく匠の技です。「こんなに手間がかかるなんて思ってもいませんでした」。
その日の夜は、山谷さんのご家族と一緒に夕食をいただきます。山谷さんのお宅では、卵かけご飯にも削りたてのかつお節を。削り節は酸化しやすいため、削りたてを食べるのが一番! 美味しい削り節を堪能しました。
別れの時。念願のかつお節削り器と、お腹が空いた時にとおにぎりまでいただいたケンさんは大感激!
「山谷製作所」の皆さん、本当にありがとうございました!
現在、「山谷製作所」の皆さんは、8年前と変わらず元気に営業中。一方の芹沢さんは、西伊豆に古くから伝わる潮かつおのお飾りを制作しています。さらに芹沢さんは、潮かつおの作り方や調理方法を教える料理教室をスタート。潮かつおの文化を守るべく、奮闘しています。
そしてケンさんは……帰国から4年後、ニッポンからかつおを丸ごと1本取り寄せ、かつお節作りを! 芹沢さんからいただいた包丁で捌き、4つの節に。以前はまぐろの切り身を使っていましたが、かつおを一から捌けるようになりました。
芹沢さんに教えていただいたとおり、骨と頭の煮汁で節を茹で、丁寧に骨を取り除きます。穴を塞いだら専用の釜で3時間燻し、1週間乾燥させると、進化した荒節が完成。以前作ったまぐろ節と比べると、その差は歴然!
さらに去年は、荒節にカビを付け、さらに水分を抜くことで味わいが凝縮される本枯節にもチャレンジ。使用するカビは、日本産の本枯節から採ったものです。
カビのついた荒節を、夜間は発酵樽で保管し、昼間は屋根で天日干し。これを6カ月続け、本枯節が完成。「芹沢さんの本枯節ほどではないですが、繊細な味わいになりました」とケンさん。
さらに、大学で講師を勤める傍ら、この8年で様々なレシピを執筆し、煮凝りや雑炊などかつお節を使った料理を考案。今回、本枯節を使った最も美味しい料理を作ってくれることに。
北海道産の昆布から出汁をとり、山谷さんの削り器でかつお節を。削りたてにこだわり、使う直前に削ります。沸騰して苦みが出ないよう、かつお節を入れる前に昆布出汁の火を止めるのもこだわり。
その後も沸騰させないよう、火加減を調整しながら10分ほど煮込むと黄金色の出汁に。これを溶いた卵に混ぜ……出来たのは茶わん蒸し! 椎茸のバターソテー、マグロの塩漬けを合わせれば、ケンさん流の茶碗蒸しが完成。「かつお節の繊細な味が出ています」と、出来栄えに大満足!
最後にケンさんは、「芹沢さんとの出会いは本当に特別なものでした。より良いかつお節を作れるよう、これからもチャレンジしていきますし、その素晴らしさを広めていくのも私の使命だと思います」と語ってくれました。
ケンさんをニッポンにご招待したら、大好きなかつお節作りをさらに進化させ、その魅力を伝えるために奮闘していました!
今年、「世界!ニッポン行きたい人応援団」は放送10年目に突入! そこでここからは、これまで外国の方の夢を応援するために登場してくださったスゴい方々と、ご招待した皆さんを紹介します。
まずは、羽生善治九段。将棋界初の永世七冠、国民栄誉賞も受賞し、現在は日本将棋連盟の会長を務めるレジェンドです。
出会ったのは、「将棋」を愛する9歳のエカテリーナちゃん。ニッポンで絶対に行きたかった、日本将棋連盟の本部がある将棋会館にやってきました。対局室に案内していただき、棋士が使う将棋盤と駒でお父さんと対局を楽しんでいると、羽生さんが登場! 直々に詰将棋の手ほどきをしてくださることに。
さらに、子どもの頃の習慣「棋譜ノート」も教えてくださいました。「棋譜」とは、自分と相手の指した駒の位置を記録するもの。対局後に、100手もの駒の指し順を記憶だけで書き記すそう。
最後に、「一歩千金」と書かれた扇子のプレゼントも。前に一歩しか進めない「歩」といえども、時には「金」のごとき活躍を見せるという格言で、羽生さんの直筆です。
羽生善治九段、本当にありがとうございました!
現在、エカテリーナさんは15歳に。羽生さんから教わった棋譜ノートも自分でつけ、将棋を頑張っています。
◆
続いてのスゴい方は、110年ぶりとなる新入幕での優勝を決めた、大相撲界の新星・尊富士関。
出会ったのは、ブラジルからご招待した「相撲」を愛するエンゾくん・ラファエラさん姉弟と、父・エウジェニオさん。全国大会の常連、青森県の五所川原相撲教室で猛稽古を行い、世界少年相撲大会に出場しました。
そんな青森で訪れたのは、五所川原市役所。外で待機していると、五所川原市出身の尊富士関が! この日、表敬訪問することをインターネットで知ったエンゾくん一家は、一目でも会えるなら、直接お祝いを言いたいと待っていました。
寒い中を会いに来てくれたからと、特別に時間を作ってくださった尊富士関。3人が「おめでとうございます」と伝えると、記念撮影に握手までしていただき大興奮! 「あんな風に大きくなれますように!」とエンゾくん。ラファエラさんは嬉しすぎて涙を流しました。
そんなエンゾくん一家は、帰国後もニッポンで習った稽古を家族で毎日実践。去年、サンパウロの全国大会を勝ち上がり、来月、両国国技館で行われる世界少年相撲大会にブラジル代表として2度目の出場が決定! 再来日することになりました!
◆
続いてのスゴい方は、新元号発表当時の官房長官で、第99代内閣総理大臣の菅義偉さん。
出会ったのは、南米チリからご招待した、書道を愛するカミラさん。新元号発表時の「令和」を書いた憧れの書家・茂住菁邨さんにお会いすることに。
茂住さんは、公文書を毛筆で書く辞令専門官として内閣府に勤めていた、書道のスペシャリスト。カミラさんは楷書で「令和」を書き、アドバイスをいただきました。さらに、新元号発表の際、実際に掲げられた「平成」と「令和」の原本も見せてくださり、「写真で見るより圧倒的なパワーを感じます!」と感動!
当時、茂住さんが書き上げた「令和」の書はすぐに額に収められ、当時の菅官房長官のもとへ。発表の際に上下を間違えないよう印をつけ、裏向きのまま渡されたため「令和」の文字を確認する余裕もなく、そのまま発表に臨んでいたという裏話も教えていただきました。
そしてサプライズとして、菅さんが登場! 「令和」発表での関係をきっかけに、茂住さんから書道のアドバイスを受けているそう。新元号を発表した当時の心境を尋ねると、「日本国民の皆さんがそれぞれの花を大きく咲かせてほしい、そうした意味合いも込めて発表しました」と話してくださいました。
菅さん、茂住さん、本当にありがとうございました!
現在、カミラさんはチリで書道教室を営み、その魅力を広め続けています。自身の腕も、格段に上達したそうです!
◆
続いてのスゴい方は、100年に1人の歌声と称され、「ワダツミの木」を23歳でリリース。奄美大島の伝統民謡「シマ唄」を世に広めた元ちとせさん。
出会ったのは、ポーランドからご招待した「シマ唄」を愛するナタリアさん。奄美高等学校の皆さんのもとで、シマ唄を猛特訓。その成果を発表会で披露しました。
高校での練習の合間、商店街を歩いていたところ、「あまみエフエム」の方に声をかけられたナタリアさん。そのまま、ラジオ番組に飛び入り参加することに。
すると、そこに元さんが! 現在は故郷の奄美大島を拠点にしており、あまみエフエムにはレギュラー番組収録のため、週に一度は訪れているとのこと。そこで、元さんのラジオ番組にも急遽出演させていただくことに。
さらに、近くのライブハウスで「行きゅんにゃ加那節」を披露していただき、「今まで生きてきて良かったです」とナタリアさん。「こんなに喜んでくれたのは私も初めてなので嬉しいです」と元さん。
元ちとせさん、本当にありがとうございました!
ナタリアさんは、去年ポーランドで行われた日本祭りで、ご招待されたお礼にと番組ブースをお手伝いしてくれました。もちろん今も、シマ唄を歌い続けています!
月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送。
▼ニッポンの精巧な“障子”が見たい!
独学で障子作りを習得した大工歴20年、アメリカのアレンさんが初来日!築およそ200年!雨岳文庫 山口家住宅で緻密な作りの組子障子を見せてもらい感動!
▼建具職人からワザを学びたい!
茨城県小美玉市で黄綬褒章を受章した建具の匠のもとで“猫間障子”を一から手作業で作ることに!今まで知らなかった工具や技術を目の当たりに!果たして、出来栄えは…?
▼障子に貼る和紙を学びたい!
ユネスコ無形文化遺産に登録されている日本一丈夫な“石州半紙”黄綬褒章を受章した紙漉きの匠のもとで楮の収穫から和紙ができるまでの作業を学ぶことに!
▼障子の貼り方を学びたい!
黄綬褒章を受章した、襖・障子・屏風などを修復する職人歴60年の表具師のもとで糊のつけ方や刷毛の使い方、和紙の貼り方など出来栄えに大きな違いを生む匠のワザに感動!
今回は、「ニッポンにご招待したら人生変わっちゃったスペシャル!」と、ニッポンでスゴい方々に出会った皆さんの様子をお届けします。
【動画】「世界!ニッポン行きたい人応援団」最新回
幻の製法「手火山式焙乾製法」で作るかつお節
紹介するのは、アメリカ在住の「かつお節」を愛するケンさん。
お正月のお雑煮や、冬の鍋に欠かせない出汁。中でも昆布と並ぶ王道「かつお節」の出汁は、料理に抜群の旨味と風味を与える和食の原点です。今やニッポンのみならず、ニューヨークのミシュラン3つ星店や、フランスの一流シェフの間で高く評価され、世界中を虜にしています。
大学で食物の歴史を研究する中、かつお出汁に魅了されたケンさん。ニッポンにはまだ一度も行ったことはありませんが、自らかつお節を作るように。ニッポンの削り器は値段が高いため、木工用の鉋で削っていますが、フレーク状になってしまうそう。
早速、かつお節を作るところを見せてもらいます。アメリカでは新鮮なかつおが手に入りにくいため、まぐろで代用。そのまま茹でてボロボロになった経験から、買ってきた切り身に塩を振って身を引き締めます。
続いて、まぐろ節のために取り寄せた燻製窯で1日ほど燻し、水分を飛ばします。燻したら夜は乾燥させ、昼間にまた燻すことを1週間繰り返します。
世界一硬い食品といわれるかつお節は、乾燥させ、水分を徹底的に抜くことで生まれるそう。そこで、家庭でビーフジャーキーも作れる食品乾燥機に入れて乾燥させること1週間。まぐろ節が完成しました。
このまぐろ節を削って昆布と合わせた出汁に、手作りの麺を入れれば、ケンさん特製うどんの出来上がり。醤油などは全く入れず、出汁のみでいただきます。まぐろ節を作り始めてから2年間、毎日まぐろ節で出汁を取り、うどんを食べています。
そんなケンさんを、ニッポンにご招待! 8年前に初来日を果たしました。
向かったのは、静岡県西伊豆町の田子。最高級のかつお節の一つともいわれる「伊豆の田子節」の産地です。ケンさんの熱意を伝えたところ、創業143年の老舗「カネサ鰹節商店」が受け入れてくださいました。
かつお節の発祥は奈良時代。痛みやすいかつおを保存食にするため、一度煮込んでから干した「煮堅魚」が原型。そのまま食べるだけでなく、出汁を取るのにも使われていました。
江戸時代に加工技術が発達し、煙で燻して乾燥させる「焙乾法」が発明されると、現在に近いかつお節が作られるように。カネサ鰹節商店では、江戸時代から西伊豆に伝わる、手で触れながら火加減を見る「手火山式焙乾製法」でかつお節を製造しています。
かつお節は製造方法で2つに分けられ、1つはかつおを燻し水分を蒸発させた「荒節」。スーパーなどにある削り節の8割が荒節で、主に花かつおとして売られています。
一方、荒節にカビをつけて水分を吸収、乾燥させたのが「枯節」。さらに極限まで乾燥させ、熟成させた最高級品が「本枯節」です。6カ月かけて乾燥させることでカビが脂を分解し、極上の旨味に変わります。
早速、削りたてのかつお節をいただくことに。削りたてを食べるのは初めてというケンさんは、まず荒節をいただき「柔らかいですね」と感想を。五代目の芹沢安久さんによると、水分が多く柔らかいそう。本枯節もいただき「繊細な味です。手間暇をかけているのが分かります」と伝えると、「嬉しいですね」と芹沢さん。
続いて、削りたてのかつお節にお湯を注ぎ、出汁をいただきます。荒節と本枯節で、まったく色が違うことに驚き! 荒節の出汁は、味噌汁や鍋など味が濃い料理に。本枯節は吸い物など素材の味を引き出す際に使います。
出汁の違いを味わったところで、念願のかつお節作りを見せていただくことに。背びれを切る専用の馬蹄包丁で背びれを外したら、三枚におろします。おろした身を半分にすると、1本のかつおから4本の切り身が。これを「節」といいます。かつお節になる過程で水分がなくなり小さくなってしまうため、6キロのかつおが1キロほどに。
かつおを節にした後は、かごに並べて茹でる「かご組み」。並べるのはかつおを切るより難しいといわれており、少し曲がっただけでその形のまま煮込まれてしまうそう。削りやすいよう、真っすぐな形にすることが重要です。
芹沢さんいわく、少し反らせると煮込んだ時にまっすぐになるとのこと。何気ないところに隠された、職人の技です。
丁寧に並べた後は、臭みを取るため、お湯の中へ。先に骨や頭の部分だけを入れることで、続いて入れるかつおの節が急激に縮むのを防いでくれます。「私はただのお湯で茹でていました。だから身崩れしていたんですね」とケンさん。
形が崩れないよう、ゆっくりとお湯へ。ここからは1時間ほどかかるため、その間にお昼ご飯をいただきます。芹沢さんが作ってくださったのは、かつおのあら汁。かつおを切った時だけしか出ない貴重な腹身と、本枯節の出汁を堪能しました。
さらに、田子地区に伝わる保存食「潮かつお」も。かつおを丸ごと塩漬けにして、3週間乾燥させたものです。潮かつおを焼いてお湯を注いだスープがかつお出汁の始まりともいわれており、その歴史はかつお節よりも古いとか。江戸時代には全国で作られていましたが、今では西伊豆町にしか残っていない、幻の食材です。
この潮かつおを使った特製うどんもいただきます。茹でたうどんに、焼いた潮かつおをほぐして入れ、そこに、蒸したかつおを一度だけ焙乾した「なまり節」と、削りたての本枯節を。最後に醤油をかければ完成!
早速うどんをいただき「fabulous(最高です)」と大満足のケンさん。「このうどん1杯の中に西伊豆地区1000年の歴史が全部入っているわけです」と話す芹沢さんに「とても光栄です。本当に感謝します」と伝えました。
昼食を済ませたところで、かつおの節が茹で上がりました。よく見ると、尾の方だけ皮を残しています。かつお節は削る時に尻尾から頭に向かって削るため、分かるようにしているのです。皮が残り、色が濃くなっているのが尾の方。間違えて尾を後ろにして削ると、同じかつお節でも粉々になってしまうそう。
次に、身に残った骨を一本一本手作業で抜きます。ケンさんも骨抜きをお手伝い。
その後は、かつおの生身と茹でた身を混ぜた「モミ」で、骨を抜いた穴を塞ぐ「修繕」という作業。穴があると燻した時に身が割れてしまうことがあるのだとか。骨抜きと修繕を合わせて2時間…下準備が終了しました。
続いて「焙乾」。手火山式焙乾製法は、薪の火と煙で水分を蒸発させる、今や全国でも数軒しか行っていない幻の製法です。深さ2メートルの炉に火を起こし、修繕した節を高温で燻して乾かすことで、かつおの旨味をギュッと閉じ込めます。
かつおが焦げないよう、節を触って火加減を確かめるのは“手”。熟練した職人の感覚で温度を調整しています。これが江戸時代から続く伝統です。
燻し終わった後は、炉から下げて冷まします。低温の焙乾を10回ほど繰り返し、荒節が出来上がり。
荒節の表面についた炭を丁寧に削り取り、日本酒で使われるのとは違う、かつお節専用の麹菌をつけたら枯節に。木の樽に入れ、高温多湿の部屋で菌を発酵させ、本枯節にしていきます。
特別に樽の中を見せていただくと、荒節の表面にカビが。このカビが、かつお節の水分を取り出して脂分を分解。つけっ放しにすると中まで浸透してカビ臭くなってしまうため、一度天日干しをして、カビの繁殖を表面だけにとどめます。
発酵20日間と天日干しを繰り返すこと半年。旨味が凝縮された最高級の本枯節が完成!「時間をかけて作ることによってかつお節は確実に美味しくなるので、それが一番上手に作る近道」と芹沢さん。ケンさんは「頭が下がる思いです」と伝えました。
別れの時。芹沢さんから田子節と捌き包丁、さらに、手洗いの際にケンさんが気になっていた、石鹸を入れて吊るすネットまでいただき大感激! 「アリガトウゴザイマス!」と日本語で感謝を伝え、握手を交わしました。
芹沢さん、「カネサ鰹節商店」の皆さん、本当にありがとうございました!
かつお節削り器の工場で、台屋職人の技を見て大興奮!
続いて、新潟県三条市へ。こちらでは、かつお節削り器の工場を見せていただきます。削り器を持っておらず、大工用の鉋で削っていたケンさんは大興奮!
今回お世話になる「山谷製作所」は、鉋の木の部分「鉋台」を作る台屋さん。出迎えてくださったのは、三代目の山谷俊輔さんです。鉋は刃と台、それぞれ別に専門の職人が。鍛冶屋さんで作る手作りの刃は幅や厚さが微妙に異なるため、台屋さんが刃に合わせた台を一つ一つ削り出しています。
「山谷製作所」では、かつお節削り器も製作。テーブルに置いていつでも使えるようにと、これまでの削り器より小振りになっています。
実際にかつお節削り器で削らせていただくことに。透けるほど薄く削れたかつお節に、ケンさんは感動! アメリカから持ってきた自作のまぐろ節も、見事に削れました。このようによく削れる鉋は、職人技によるもの。そこで、台屋職人の技を見せていただきます。
分かりやすいよう、鉋の刃に鉛筆で色をつけ、台に取り付けてから外してみると、台に当たった部分が黒くなっていました。この黒い部分を削り取ることによって、刃が少しずつ中に。これが、刃を繰り返し入れては0.01ミリ単位で削っていく匠の技です。「こんなに手間がかかるなんて思ってもいませんでした」。
その日の夜は、山谷さんのご家族と一緒に夕食をいただきます。山谷さんのお宅では、卵かけご飯にも削りたてのかつお節を。削り節は酸化しやすいため、削りたてを食べるのが一番! 美味しい削り節を堪能しました。
別れの時。念願のかつお節削り器と、お腹が空いた時にとおにぎりまでいただいたケンさんは大感激!
「山谷製作所」の皆さん、本当にありがとうございました!
現在、「山谷製作所」の皆さんは、8年前と変わらず元気に営業中。一方の芹沢さんは、西伊豆に古くから伝わる潮かつおのお飾りを制作しています。さらに芹沢さんは、潮かつおの作り方や調理方法を教える料理教室をスタート。潮かつおの文化を守るべく、奮闘しています。
あれから8年…ニッポンで学んだ“本枯節”作りに挑戦!
そしてケンさんは……帰国から4年後、ニッポンからかつおを丸ごと1本取り寄せ、かつお節作りを! 芹沢さんからいただいた包丁で捌き、4つの節に。以前はまぐろの切り身を使っていましたが、かつおを一から捌けるようになりました。
芹沢さんに教えていただいたとおり、骨と頭の煮汁で節を茹で、丁寧に骨を取り除きます。穴を塞いだら専用の釜で3時間燻し、1週間乾燥させると、進化した荒節が完成。以前作ったまぐろ節と比べると、その差は歴然!
さらに去年は、荒節にカビを付け、さらに水分を抜くことで味わいが凝縮される本枯節にもチャレンジ。使用するカビは、日本産の本枯節から採ったものです。
カビのついた荒節を、夜間は発酵樽で保管し、昼間は屋根で天日干し。これを6カ月続け、本枯節が完成。「芹沢さんの本枯節ほどではないですが、繊細な味わいになりました」とケンさん。
さらに、大学で講師を勤める傍ら、この8年で様々なレシピを執筆し、煮凝りや雑炊などかつお節を使った料理を考案。今回、本枯節を使った最も美味しい料理を作ってくれることに。
北海道産の昆布から出汁をとり、山谷さんの削り器でかつお節を。削りたてにこだわり、使う直前に削ります。沸騰して苦みが出ないよう、かつお節を入れる前に昆布出汁の火を止めるのもこだわり。
その後も沸騰させないよう、火加減を調整しながら10分ほど煮込むと黄金色の出汁に。これを溶いた卵に混ぜ……出来たのは茶わん蒸し! 椎茸のバターソテー、マグロの塩漬けを合わせれば、ケンさん流の茶碗蒸しが完成。「かつお節の繊細な味が出ています」と、出来栄えに大満足!
最後にケンさんは、「芹沢さんとの出会いは本当に特別なものでした。より良いかつお節を作れるよう、これからもチャレンジしていきますし、その素晴らしさを広めていくのも私の使命だと思います」と語ってくれました。
ケンさんをニッポンにご招待したら、大好きなかつお節作りをさらに進化させ、その魅力を伝えるために奮闘していました!
羽生善治九段、尊富士関……スゴイ方が続々登場
今年、「世界!ニッポン行きたい人応援団」は放送10年目に突入! そこでここからは、これまで外国の方の夢を応援するために登場してくださったスゴい方々と、ご招待した皆さんを紹介します。
まずは、羽生善治九段。将棋界初の永世七冠、国民栄誉賞も受賞し、現在は日本将棋連盟の会長を務めるレジェンドです。
出会ったのは、「将棋」を愛する9歳のエカテリーナちゃん。ニッポンで絶対に行きたかった、日本将棋連盟の本部がある将棋会館にやってきました。対局室に案内していただき、棋士が使う将棋盤と駒でお父さんと対局を楽しんでいると、羽生さんが登場! 直々に詰将棋の手ほどきをしてくださることに。
さらに、子どもの頃の習慣「棋譜ノート」も教えてくださいました。「棋譜」とは、自分と相手の指した駒の位置を記録するもの。対局後に、100手もの駒の指し順を記憶だけで書き記すそう。
最後に、「一歩千金」と書かれた扇子のプレゼントも。前に一歩しか進めない「歩」といえども、時には「金」のごとき活躍を見せるという格言で、羽生さんの直筆です。
羽生善治九段、本当にありがとうございました!
現在、エカテリーナさんは15歳に。羽生さんから教わった棋譜ノートも自分でつけ、将棋を頑張っています。
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続いてのスゴい方は、110年ぶりとなる新入幕での優勝を決めた、大相撲界の新星・尊富士関。
出会ったのは、ブラジルからご招待した「相撲」を愛するエンゾくん・ラファエラさん姉弟と、父・エウジェニオさん。全国大会の常連、青森県の五所川原相撲教室で猛稽古を行い、世界少年相撲大会に出場しました。
そんな青森で訪れたのは、五所川原市役所。外で待機していると、五所川原市出身の尊富士関が! この日、表敬訪問することをインターネットで知ったエンゾくん一家は、一目でも会えるなら、直接お祝いを言いたいと待っていました。
寒い中を会いに来てくれたからと、特別に時間を作ってくださった尊富士関。3人が「おめでとうございます」と伝えると、記念撮影に握手までしていただき大興奮! 「あんな風に大きくなれますように!」とエンゾくん。ラファエラさんは嬉しすぎて涙を流しました。
そんなエンゾくん一家は、帰国後もニッポンで習った稽古を家族で毎日実践。去年、サンパウロの全国大会を勝ち上がり、来月、両国国技館で行われる世界少年相撲大会にブラジル代表として2度目の出場が決定! 再来日することになりました!
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続いてのスゴい方は、新元号発表当時の官房長官で、第99代内閣総理大臣の菅義偉さん。
出会ったのは、南米チリからご招待した、書道を愛するカミラさん。新元号発表時の「令和」を書いた憧れの書家・茂住菁邨さんにお会いすることに。
茂住さんは、公文書を毛筆で書く辞令専門官として内閣府に勤めていた、書道のスペシャリスト。カミラさんは楷書で「令和」を書き、アドバイスをいただきました。さらに、新元号発表の際、実際に掲げられた「平成」と「令和」の原本も見せてくださり、「写真で見るより圧倒的なパワーを感じます!」と感動!
当時、茂住さんが書き上げた「令和」の書はすぐに額に収められ、当時の菅官房長官のもとへ。発表の際に上下を間違えないよう印をつけ、裏向きのまま渡されたため「令和」の文字を確認する余裕もなく、そのまま発表に臨んでいたという裏話も教えていただきました。
そしてサプライズとして、菅さんが登場! 「令和」発表での関係をきっかけに、茂住さんから書道のアドバイスを受けているそう。新元号を発表した当時の心境を尋ねると、「日本国民の皆さんがそれぞれの花を大きく咲かせてほしい、そうした意味合いも込めて発表しました」と話してくださいました。
菅さん、茂住さん、本当にありがとうございました!
現在、カミラさんはチリで書道教室を営み、その魅力を広め続けています。自身の腕も、格段に上達したそうです!
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続いてのスゴい方は、100年に1人の歌声と称され、「ワダツミの木」を23歳でリリース。奄美大島の伝統民謡「シマ唄」を世に広めた元ちとせさん。
出会ったのは、ポーランドからご招待した「シマ唄」を愛するナタリアさん。奄美高等学校の皆さんのもとで、シマ唄を猛特訓。その成果を発表会で披露しました。
高校での練習の合間、商店街を歩いていたところ、「あまみエフエム」の方に声をかけられたナタリアさん。そのまま、ラジオ番組に飛び入り参加することに。
すると、そこに元さんが! 現在は故郷の奄美大島を拠点にしており、あまみエフエムにはレギュラー番組収録のため、週に一度は訪れているとのこと。そこで、元さんのラジオ番組にも急遽出演させていただくことに。
さらに、近くのライブハウスで「行きゅんにゃ加那節」を披露していただき、「今まで生きてきて良かったです」とナタリアさん。「こんなに喜んでくれたのは私も初めてなので嬉しいです」と元さん。
元ちとせさん、本当にありがとうございました!
ナタリアさんは、去年ポーランドで行われた日本祭りで、ご招待されたお礼にと番組ブースをお手伝いしてくれました。もちろん今も、シマ唄を歌い続けています!
月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送。
▼ニッポンの精巧な“障子”が見たい!
独学で障子作りを習得した大工歴20年、アメリカのアレンさんが初来日!築およそ200年!雨岳文庫 山口家住宅で緻密な作りの組子障子を見せてもらい感動!
▼建具職人からワザを学びたい!
茨城県小美玉市で黄綬褒章を受章した建具の匠のもとで“猫間障子”を一から手作業で作ることに!今まで知らなかった工具や技術を目の当たりに!果たして、出来栄えは…?
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記事提供元:テレ東プラス
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