【涙】行方不明、父の余命…人生激変!幸せ家族の決断…5年半後に再訪:家、ついて行ってイイですか?
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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12月22日(日)に放送した「家、ついて行ってイイですか?」(毎週日曜夜8時50分)では、東京・練馬区で出会った、かなさん夫婦の家について行きました。
【動画】行方不明、父の余命…人生激変!幸せ家族の決断…5年半後に再訪&夜遅くまで働く母に特別な思いを抱く長女
回転寿司で食事をしている仲良し4人家族を発見! 「家、ついて行ってイイですか?」と聞くと、OKの返事をいただけました。しかし代金を支払おうとすると、すでに夫のひろゆきさんが会計済み。「コンビニでよくね?」と退店しますが、このとき取材Dは、ひろゆきさんが食事代を払った理由を知る由もありませんでした。
かなさん夫婦は友達の紹介で出会ったそう。かなさんの仕事は介護職で、「人のお世話が好きだから、向いてるかな?って…」と話します。
ご自宅に到着すると、玄関に幸せそうな家族写真がいっぱい! 「幸せですよ、今は」と、かなさんは意味深発言。ひろゆきさんの仕事は中古車販売業で、3年前に自分のお店を出しました。
寝室で500円玉貯金を発見。毎年これで沖縄旅行に行っていたそうですが、「今年はちょっと厳しいかな」とひろゆきさん。
実はかなさんの父・一惠さんが胃がんのステージ4で、明後日からこの家で一緒に暮らすことに。自宅で看取る予定で、「1~2カ月、生きられればいい方」と話します。
かなさんは、一惠さんと10年以上連絡が取れない状態だったと告白。自身が高校1年の時に両親が離婚し、妹と一緒に母親についていったかなさん。一惠さんの誕生日には、妹と家に遊びに行っていましたが、2009年に連絡が取れなくなり、家を訪ねるとすでに引き払われた状態でした。
それから10年後、かなさんのもとに、宮城・多賀城市から一惠さんの近況を知らせる通知が届きます。「嬉しかった。会えるんだ…みたいな」。かなさんは、すぐ一惠さんに会いに行き、家族を紹介。「お互い泣いてしまった」と話します。
一惠さんは震災を機に、仕事で宮城へ…。しかしかなさんは、音信不通になった理由を今も聞けずにいます。
一惠さんの記録を残しておくために書き始めた日記も見せてくれました。自身の心情も交えた記録を読み返し、涙するかなさん。「優しい人。すごく細かいことなんですけど、魚の骨はいつも取ってくれて…耳かきもお父さんの仕事だったかな。自慢のお父さんだった」。
かなさんは仕事を半日休んで、一惠さんの入院先で自宅での処置を習得。介護施設で働くことになった矢先の出来事でいろいろ学んでいたこともあり、「やれる、やってみようと思えた」。一惠さんの居場所の知らせが届いたのは、奇しくもかなさんが介護職を始めた2日後のことでした。
「病院で1人っきりでいるより、孫や娘といた方がいい。例え長く生きられないとしても、やれることはやりたい」とひろゆきさん。自らが寿司店の会計を済ませたのは、「これからしばらく家族で外食することも厳しくなるため、自分たちで払いたい」という思いからでした。
この取材から20日後、この日は一惠さん、ひろゆきさん、次男くんの誕生日会。10年ぶりにかなさんが会いに来てくれてどう思ったのか…取材Dが一惠さんに聞くと、「今さらって思いもあったけど、嬉しかった。驚いたのは、孫がいたこと」。
ひろゆきさんについても、「見た瞬間、この子なら大丈夫」と、その印象を話します。
一惠さんが10年間連絡を取らなかった理由は「借金」。実は最後にかなさんが一惠さんに会った際、1万円を渡そうとしたところ一惠さんに拒まれ、かなさんはそれが理由で音信不通になったと思い込んでいました。
それから1カ月半後、一惠さんは孫(長男)の誕生日まで生き、その3日後に息を引き取ります。
さらに取材から5年半後…再びかなさんの家を訪問すると、一惠さんに関する“意外な事実”が!
2025年1月1日(水・祝)夕方4時55分からは、「家、ついて行ってイイですか?」【松重豊も泣き笑い“繋がる”人生ドラマ新春4時間SP】を放送!
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かなさん夫婦は友達の紹介で出会ったそう。かなさんの仕事は介護職で、「人のお世話が好きだから、向いてるかな?って…」と話します。
ご自宅に到着すると、玄関に幸せそうな家族写真がいっぱい! 「幸せですよ、今は」と、かなさんは意味深発言。ひろゆきさんの仕事は中古車販売業で、3年前に自分のお店を出しました。
寝室で500円玉貯金を発見。毎年これで沖縄旅行に行っていたそうですが、「今年はちょっと厳しいかな」とひろゆきさん。
実はかなさんの父・一惠さんが胃がんのステージ4で、明後日からこの家で一緒に暮らすことに。自宅で看取る予定で、「1~2カ月、生きられればいい方」と話します。
かなさんは、一惠さんと10年以上連絡が取れない状態だったと告白。自身が高校1年の時に両親が離婚し、妹と一緒に母親についていったかなさん。一惠さんの誕生日には、妹と家に遊びに行っていましたが、2009年に連絡が取れなくなり、家を訪ねるとすでに引き払われた状態でした。
それから10年後、かなさんのもとに、宮城・多賀城市から一惠さんの近況を知らせる通知が届きます。「嬉しかった。会えるんだ…みたいな」。かなさんは、すぐ一惠さんに会いに行き、家族を紹介。「お互い泣いてしまった」と話します。
一惠さんは震災を機に、仕事で宮城へ…。しかしかなさんは、音信不通になった理由を今も聞けずにいます。
一惠さんの記録を残しておくために書き始めた日記も見せてくれました。自身の心情も交えた記録を読み返し、涙するかなさん。「優しい人。すごく細かいことなんですけど、魚の骨はいつも取ってくれて…耳かきもお父さんの仕事だったかな。自慢のお父さんだった」。
かなさんは仕事を半日休んで、一惠さんの入院先で自宅での処置を習得。介護施設で働くことになった矢先の出来事でいろいろ学んでいたこともあり、「やれる、やってみようと思えた」。一惠さんの居場所の知らせが届いたのは、奇しくもかなさんが介護職を始めた2日後のことでした。
「病院で1人っきりでいるより、孫や娘といた方がいい。例え長く生きられないとしても、やれることはやりたい」とひろゆきさん。自らが寿司店の会計を済ませたのは、「これからしばらく家族で外食することも厳しくなるため、自分たちで払いたい」という思いからでした。
この取材から20日後、この日は一惠さん、ひろゆきさん、次男くんの誕生日会。10年ぶりにかなさんが会いに来てくれてどう思ったのか…取材Dが一惠さんに聞くと、「今さらって思いもあったけど、嬉しかった。驚いたのは、孫がいたこと」。
ひろゆきさんについても、「見た瞬間、この子なら大丈夫」と、その印象を話します。
一惠さんが10年間連絡を取らなかった理由は「借金」。実は最後にかなさんが一惠さんに会った際、1万円を渡そうとしたところ一惠さんに拒まれ、かなさんはそれが理由で音信不通になったと思い込んでいました。
それから1カ月半後、一惠さんは孫(長男)の誕生日まで生き、その3日後に息を引き取ります。
さらに取材から5年半後…再びかなさんの家を訪問すると、一惠さんに関する“意外な事実”が!
2025年1月1日(水・祝)夕方4時55分からは、「家、ついて行ってイイですか?」【松重豊も泣き笑い“繋がる”人生ドラマ新春4時間SP】を放送!
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記事提供元:テレ東プラス
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