コラム【本州湾岸を反時計に一周】003 盛駅から三陸鉄道リアス線① 2024年8月25日
※2024年8月25日撮影
鉄道旅3日目、大船渡線BRT大船渡駅に来ました。トップ画像です。残念ながら快晴ではありません。しかし、この日は前面展望などを撮影する予定なので、この様な天気の方が逆光などに苦労しなくて済みます。筆者的にはラッキーです。
これが気仙沼線・大船渡線BRT路線図。
※2024年8月25日撮影
この日は、専ら三陸鉄道と青い森鉄道に乗るので青春18きっぷは使用しません。
07:32大船渡線BRT盛行に乗りました。JR東日本なのでふだん使っているSuicaで乗車賃を支払います。6分後、07:38盛駅に到着。三陸鉄道盛駅です。右はJR盛駅舎。
※2024年8月25日撮影
道路を横断します。でも元は大船渡線の鉄道軌道が敷かれていた場所です。現在はBRT専用道路。奥に岩手開発鉄道の石灰石を運ぶ貨車がたくさん見えます。
※2024年8月25日撮影
これから宮古駅まで乗車する三陸鉄道36-700形。2019年3月にJR山田線(宮古~釜石)が、三陸鉄道に経営移管される際に、2018年11月と2019年3月に増備された8両(36-711~36-718)の内の1両715です。この車両で宮古にむかいます。
※2024年8月25日撮影
時刻表の08:03発は、久慈行です。しかし、2024年8月に発生した台風5号による大雨で田代川が氾濫、佐羽根駅~田老駅間で線路の路肩約25メートルが削られ(洗掘され)ました。2024年9月末の時点で 宮古駅~新田老駅間はバスによる代行運転になっています。
車体側面に「三陸鉄道開業40周年」のマーク。
※2024年8月25日撮影
筆者が初めて三陸鉄道に乗ったのは、2009年9月でした。サラリーマン生活に終止符を打った翌年。青春18きっぷを使って一人で全国の鉄道を乗り歩いていた時でした。
久慈駅から盛駅まで一気に乗りました。当時久慈駅を09:12発、3時間49分で盛駅13:01着でした。
この時はJR山田線区間(宮古~釜石間)をはさんでいました。当時の乗車賃ですが、北線区間運賃は、1900円でした。でもJRとの乗り継ぎ(青春18きっぷを提示)で950円の割引運賃になりました。同様に1050円の南線区間は、530円でした。三陸鉄道の方に伝えると「懐かしいですね」と言われます。
その時に久慈から盛まで乗った車両です。三陸鉄道36-109。東日本大震災を乗り越え現在も元気に稼働しています。
※2009年9月撮影 元の写真が4:3なのでそのまま使用しています
その時車内に掲出されていたポスター。15年前です。
※2009年月撮影 元の写真が4:3なのでそのまま使用しています
ここで、できるだけ簡単に三陸鉄道リアス線の歴史をふり返っておきます。
社会科の教科書で習った様に三陸沿岸はリアス海岸で海近くまで山が迫るなど文字通り「陸の孤島」と呼ばれる集落が多く点在していました。
明治末に「三陸縦貫鉄道構想」が作られます。
この構想に基づいて、以下の様に、順次開業しました。
1928年(昭和3年)仙台駅~石巻駅(仙石線)
1930年(昭和5年)久慈駅~八戸駅(八戸線)
1935年(昭和10年)気仙沼駅~盛駅(大船渡線)
1939年(昭和14年)釜石駅~宮古駅(山田線)
戦後も工事は続けられました。
1957年(昭和32年)気仙沼駅~本𠮷駅(気仙沼線)開業
1968年(昭和43年)前谷地駅~柳津駅(気仙沼線)
1972年(昭和47年)宮古駅~田老駅(後の三陸鉄道北リアス線)①
1973年(昭和48年)盛駅~吉浜駅(後の三陸鉄道南リアス線)②
1975年(昭和50年)普代駅~久慈駅(後の三陸鉄道北リアス線)③
しかし国鉄の財政悪化で、完成目前の吉浜駅~釜石駅(15.2km)と田老駅~普代駅(32.2km)の2区間の工事が凍結されました。既に路盤は完成しレールの敷設もほぼ終了した状態でした。
さらに1981年(昭和56年)「国鉄再建法」の第1次特定地方交通線に指定され、開業したばかりの上記①②③の区間が廃止となります。
この廃止を受けて岩手県と沿線市町村は1981年(昭和56年)に第三セクター「三陸鉄道株式会社」を設立。
1984年(昭和59年)に未開業工事区間が完成し南リアス線(盛~釜石)と北リアス線(宮古~久慈)が開業。特定地方交通線を転換し開業した最初の第三セクター鉄道でした。そして40年が経ったのです。
これによって悲願だった「三陸縦貫鉄道構想」は全通に至りました。
三陸鉄道は開業から10年間は黒字経営でその後の第三セクター鉄道の誕生を後押ししました。しかし輸送人員が減少し赤字経営に転落、2003年(平成15年)には経営改善計画が策定されます。
2011年3月には東日本大震災で駅、橋梁、路盤など317箇所に甚大な被害を受けました。車両も3両が使用不能になりました。
しかし被災者を応援するために地震発生5日後には久慈駅~陸中野田駅間で運行を再開、2014年(平成26年)4月には全線が復旧しています。
震災直前、2010年(平成22年)12月、筆者は、宮古駅から三陸鉄道に転換される前のJR山田線で釜石駅を経由して盛駅まで乗っています。ただこの時は、残念なコトに夕刻を過ぎていたので暗かったので写真をほとんど撮っていませんでした。
2019年3月23日には旧JR山田線宮古~釜石間が復旧、三陸鉄道に移管され盛駅~久慈駅間163.0kmのリアス線として運行が始まりました。
その直後の4月、筆者は盛駅から久慈駅まで一気に乗っています。この時、偶々乗り合わせた三陸鉄道の方と話が弾みました。前面展望を撮影している筆者の隣で、シャッターチャンスを教えていただきました。
しかし同年10月の台風19号によって三陸鉄道は、再び甚大な被害を受け10月末で盛駅~釜石駅間と宮古駅~田老駅間の運行になってしまいました。
2020年3月にリアス線全線が復旧しました。
既述の様に、2024年8月に発生した台風5号による大雨で被害を受け、2024年9月現在、宮古駅~新田老駅間はバスによる代行運転になっています。
駅名標、愛称は「椿の里」。
※2024年8月25日撮影
盛駅で久慈駅までの乗車券を買いました。3,780円でした。
盛駅ホーム端部から、奥が進行方向です。島式ホーム、大船渡線鉄道軌道があった頃は跨線橋でホームに渡りました。
※2024年8月25日撮影
ホーム端部から車止めの方を見ると、岩手開発鉄道の線路が伸びています。10kmほど山の方に入って行き大船渡鉱山からの石灰石を積み込む岩手石橋駅があります。同社は20年程前まで旅客輸送もしていたので、その名残なのかホームも見えます。左には大船渡線BRTのバス。
※2024年8月25日撮影
ところで、
まだ 出発しないの?
・・・と思っておられると思います。
盛~久慈間リアス線一気乗車も、今回が三度目の正直。
筆者は、2016年11月にも釜石駅から盛駅まで乗っていますが当時のJR山田線区間と旧北リアス線に乗っていません。
三陸鉄道さんに撮影の許可をいただいたので、丁寧にじっくりと御一緒に鉄道旅を楽しんでいただこうと思っています。
古い写真も探して引っ張り出してきますので楽しみにして下さい。
では次回、出発進行です。
(文・写真) 住田至朗
※三陸鉄道の許可をいただいて撮影しています。
※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。
記事提供元:鉄道チャンネル
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