「借金は2億4000万円」天国から地獄へ 芸歴12年目、少年時代の極貧生活:有吉木曜バラエティ
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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国内外の驚くような情報を、タイトル通りバラエティー豊かにお届けする情報番組「有吉木曜バラエティ」。「テレ東プラス」では、10月17日に放送された番組の中から「九条ジョー 親が熱帯魚事業で2億円以上の借金」の内容を振り返る。
【動画】借金は2億円以上…親の転身で「天国から地獄」へ
この日の番組では、極貧の少年時代を送った芸人の当時の生活を紹介。元お笑いコンビ「コウテイ」の九条ジョーが、自身の壮絶な人生を振り返った。
九条が組んでいたコウテイは「ABCお笑いグランプリ」では優勝、「M―1グランプリ」では準決勝まで進出したが、昨年、惜しまれつつも解散した。その後、九条はお笑いコンビ「レ・ヴァン」として新たな道に。
若くして賞レースで結果を残し、芸人界でもその実力を認められている芸歴12年目の芸人だが「家がめちゃくちゃ貧乏。父親の借金が2億4000万円」と九条は話す。なぜ、これほどの借金を抱えたのか。滋賀県彦根市の九条の実家を訪れ、その理由を探った。
現在も九条の母が暮らしている実家は築55年で、住んでいたころの家賃は6万円。九条によると以前、ひさしは「ナイキのマークくらい」曲がり、玄関の扉は自動で開くほど傾斜していたという。今でも風呂場のドアノブは壊れ、風呂釜も「三角座りでギリ入れる」ほど。雨漏りは数カ所もあったと話す。
九条はこの家で18歳まで暮らしていたが、小学生時代は同県長浜市の別の家に住み、当時、自営業で電気関係の会社を経営していた父の年収は2000〜3000万円だったという。祖父母を含めた8人家族で住むその家は「それでも部屋が余る」ほどだった。
転機は九条が5歳のときだった。父は友人の勧めもあり、当時高値で取引されている熱帯魚事業に転身。好調だった電気会社をたたんでの不退転の挑戦だった。しかし開店当初は順調だったものの、熱帯魚を正しく飼育するノウハウも知らないまま始めたことがあだとなり、魚商品の数も客足も激減し、売り上げが低迷した。
その後、数年間にわたり事業を続けたことで、最終的に借金2億4000万円まで膨れあがったという。そして九条が小学6年生のとき、両親が離婚。九条は今の実家で暮らし始めた。
その転落ぶりは、まさに「天国から地獄」だった。高級食材ばかり食べていた食卓は激変し、一番のごちそうは、炊いた米にセール品で買ったキャベツと卵を入れ、フライパンでのばして焼いた「なんちゃってお好み焼き」。「(貧乏だから)中学高校では友達がいない。いじめられていたに近い」と九条は振り返る。
それからはなんとか一家で極貧生活を耐え抜き、九条は高校を卒業後お笑いの道へ。父とは進路でもめ「殴り合いのけんか」をしてから疎遠になった。反骨精神でお笑いを頑張り続け、徐々にテレビでも活躍するようになったのだが──。
2年前、父ががんで亡くなった。「余命が数週間になっても、僕には言わなかった」。父は離婚後、電気関係の知識を生かして電機メーカーの工場長となり、高い報酬を受け取りながらも寮でつつましい生活を続けたという。亡くなる1年前までがむしゃらに働き、借金2億4000万円も完済したそうだ。
九条は、その最期にたち会うことができなかった。そのかわり、父の墓前には定期的に訪れ、手を合わせている。現在、九条は新たなコンビでM―1に挑戦中。父に感謝の報告をするため、新たな一歩を踏み出している。
【動画】借金は2億円以上…親の転身で「天国から地獄」へ
この日の番組では、極貧の少年時代を送った芸人の当時の生活を紹介。元お笑いコンビ「コウテイ」の九条ジョーが、自身の壮絶な人生を振り返った。
九条が組んでいたコウテイは「ABCお笑いグランプリ」では優勝、「M―1グランプリ」では準決勝まで進出したが、昨年、惜しまれつつも解散した。その後、九条はお笑いコンビ「レ・ヴァン」として新たな道に。
若くして賞レースで結果を残し、芸人界でもその実力を認められている芸歴12年目の芸人だが「家がめちゃくちゃ貧乏。父親の借金が2億4000万円」と九条は話す。なぜ、これほどの借金を抱えたのか。滋賀県彦根市の九条の実家を訪れ、その理由を探った。
現在も九条の母が暮らしている実家は築55年で、住んでいたころの家賃は6万円。九条によると以前、ひさしは「ナイキのマークくらい」曲がり、玄関の扉は自動で開くほど傾斜していたという。今でも風呂場のドアノブは壊れ、風呂釜も「三角座りでギリ入れる」ほど。雨漏りは数カ所もあったと話す。
九条はこの家で18歳まで暮らしていたが、小学生時代は同県長浜市の別の家に住み、当時、自営業で電気関係の会社を経営していた父の年収は2000〜3000万円だったという。祖父母を含めた8人家族で住むその家は「それでも部屋が余る」ほどだった。
父が突然の転身、借金は2億4000万円に
転機は九条が5歳のときだった。父は友人の勧めもあり、当時高値で取引されている熱帯魚事業に転身。好調だった電気会社をたたんでの不退転の挑戦だった。しかし開店当初は順調だったものの、熱帯魚を正しく飼育するノウハウも知らないまま始めたことがあだとなり、魚商品の数も客足も激減し、売り上げが低迷した。
その後、数年間にわたり事業を続けたことで、最終的に借金2億4000万円まで膨れあがったという。そして九条が小学6年生のとき、両親が離婚。九条は今の実家で暮らし始めた。
その転落ぶりは、まさに「天国から地獄」だった。高級食材ばかり食べていた食卓は激変し、一番のごちそうは、炊いた米にセール品で買ったキャベツと卵を入れ、フライパンでのばして焼いた「なんちゃってお好み焼き」。「(貧乏だから)中学高校では友達がいない。いじめられていたに近い」と九条は振り返る。
それからはなんとか一家で極貧生活を耐え抜き、九条は高校を卒業後お笑いの道へ。父とは進路でもめ「殴り合いのけんか」をしてから疎遠になった。反骨精神でお笑いを頑張り続け、徐々にテレビでも活躍するようになったのだが──。
2年前、父ががんで亡くなった。「余命が数週間になっても、僕には言わなかった」。父は離婚後、電気関係の知識を生かして電機メーカーの工場長となり、高い報酬を受け取りながらも寮でつつましい生活を続けたという。亡くなる1年前までがむしゃらに働き、借金2億4000万円も完済したそうだ。
九条は、その最期にたち会うことができなかった。そのかわり、父の墓前には定期的に訪れ、手を合わせている。現在、九条は新たなコンビでM―1に挑戦中。父に感謝の報告をするため、新たな一歩を踏み出している。
記事提供元:テレ東プラス
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