三方五湖&日本海の絶景ポイント、江戸時代の町並みが残る日本遺産「熊川宿」、ヨーロッパへの玄関港だった敦賀など 北陸・福井の観光情報
今回は、北陸新幹線の終点でもある敦賀を含む、福井県の南西部の見どころをご紹介しますので、旅行の参考にご覧ください。
美しい5色の湖「三方五湖」を望む「レインボーライン山頂公園」からの360度パノラマビュー
福井県美浜町と若狭町にまたがる5つの湖、三方湖、水月湖、菅湖、久々子湖、日向湖の総称を「三方五湖(みかたごこ)」といいます。そんな三方五湖の雄大な景色をを一望できる絶景ポイントが、全長11.2kmの県道三方五湖レインボーライン線の途中にある「レインボーライン山頂公園」です。
下地図の現在位置の表示が、レインボーライン山頂公園の場所になります。
三方五湖のそれぞれの湖ですが、一番南にある三方湖(みかたこ)は淡水の湖で、水月湖(すいげつこ)・菅湖(すがこ)・久々子湖(くぐしこ)の3つは海水と淡水が混ざった汽水の湖、日向湖(ひるがこ)は海水の湖となっています。また、一番浅い久々子湖の水深は2.5mで、一番深い日向湖が38.5mと、それぞれの湖の水深にも大きな違いがあるため、それぞれの湖面が全て濃さの違う青色に見えることから「五色の湖」とも呼ばれているそうです。
レインボーライン山頂公園へは、レインボーライン線の途中にある有料駐車場に車を止めて向かうことになります。三方五湖が一望できる山頂の公園には、リフトもしくはケーブルカーでアクセスすることが出来ます。駐車場代の他に、リフト・ケーブル料金含む山頂公園入園料として、大人(中学生以上)が1,000円、小人(小学生)500円が必要になります。
山頂にあるレインボーライン山頂公園はきれいに整備され、園内の様々な場所にある休憩ポイント・天空のテラスからは、周囲360度に広がる日本海と5つの湖の絶景を眺めることが出来ます。
この取材の日は曇っていたため、それぞれの湖の湖面の色の違いまではあまりわかりませんが、とにかく広々とした雄大な景色を体感ができる、非常に気持ちの良い場所です。
公園内には、足湯があるテラスも用意されていて、眼下に広がる湖の眺望を楽しみながら体の疲れをいやすこともできます。
三方五湖は、生息範囲が限られた貴重な固有の魚類が生息している湿地となっており、2005年11月にラムサール条約湿地に登録されました。また、2019年には持続的な漁業文化が日本農業遺産に認定されています。
そんな貴重な5つの湖の全てと視界の奥まで続く日本海、そしてその上に広がる大きな空を、この場所からは一望ができます。
この三方五湖を眺められるレインボーライン山頂公園からの壮大な景色は、他ではなかなか経験できないものですので、福井県の中央~西部へ行く機会があれば、一度は行ってみる事をおすすめします。
レインボーライン山頂公園へのアクセスですが、車の場合には、舞鶴若狭自動車道・若狭三方ICで降り、車で約15分のレインボーライン線途中からアクセスできます。
お近くまで公共交通機関利用の場合、関西・中部・福井・金沢方面からは、敦賀経由でJR小浜線を利用し「美浜駅」からタクシーをご利用ください。また、敦賀駅、美浜駅、三方駅等から観光地への移動に便利な「ゴコイチバス」というバスも運行され、三方五湖エリアや熊川エリアへの観光にご利用できます(2024年シーズンの運行は11月24日までの予定です)
北陸新幹線の終着「敦賀」
敦賀市は、福井県の南西部にある日本海側の都市で、ちょうど琵琶湖の北方向にあたる場所に位置しています。
2024年3月の新幹線延伸により、敦賀駅は新しく北陸新幹線の終着駅になり、関西や中部地方からの特急と新幹線との乗換駅になりました。
敦賀駅から近い敦賀港は、三方を山に囲まれた天然の良港であり、江戸時代からは、大阪と蝦夷地(北海道)を結んで昆布などの海産物を運ぶための北前貿易の寄港地として栄えてきました。
明治に入ると敦賀港の重要性に目をつけた日本政府が、いち早く敦賀と神戸を鉄道で結ぶことを考え、 東京~横浜間の鉄道開通からわずか10年後の明治15(1882)年に鉄道が開通し、鉄道を経由した敦賀港の利用が増加しました。敦賀港には、金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)が設置されましたが、現在は廃止になっています。
明治45年からは、新橋駅‐金ヶ崎駅間で「欧亜国際連絡列車」が運行されており、敦賀港でウラジオストク直行の船に連絡し、ウラジオストクからは「シベリア鉄道」を経由してヨーロッパへと通じていました。当時、日本からヨーロッパへの移動は、船を利用して1ヶ月もかかる長旅だったようですが、欧亜国際連絡列車とシベリア鉄道経由のルートでは、東京-パリ間をわずか17日間で結んでいたそうで、重要な輸送経路でした。
上写真の建物は「欧亜国際連絡列車」の発着駅としてかつて重要な位置を占めていた敦賀港駅舎を再現したもので、現在は敦賀鉄道資料館として、敦賀港の歴史や観光のPRのために使用されています。
このように、かつての敦賀は、日本でも有数の「鉄道」と「港」の町だったといえます。
敦賀港の開港100周年を記念、銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトの銅像
1999年に敦賀港の開港100周年を記念して、敦賀市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて、漫画家 松本零士さんの「銀河鉄道999(スリーナイン)」と「宇宙戦艦ヤマト」の名場面を再現したモニュメント像が、敦賀駅から気比神宮までのシンボルロードに設置されました。(松本零士さんの出身地という訳ではありませんが、作品のイメージと敦賀市が考える将来のイメージが一致したため、許諾をとり設置したようです。)
これらのモニュメント像は、「銀河鉄道999」のブロンズ像が16体、「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像が12体の計28体で、敦賀駅から気比神宮までのシンボルロードに設置されています。駅から気比神社、敦賀港方面へ歩かれる方は、是非これらの松本零士さんが生み出した作品の像を見学しながらの散歩を、お楽しみください。
このモニュメント通り~敦賀港の周辺には、敦賀市内の複数の観光スポットが集まっています。
「氣比神宮」は、由緒ある越前国の一宮で、古事記・日本書記にも記述があり、七祭神が祀られているパワースポットです。佐渡ヶ島から漂着したムロで建立したと伝わる大鳥居は、木造としては「広島・厳島神社」「奈良・春日大社」と並ぶ「日本三大木造鳥居」のひとつで、国の重要文化財に指定されています。
「人道の港 敦賀ムゼウム」は、明治から昭和初期にかけてのヨーロッパとの交通の拠点としての役割を担った敦賀港の史実を後世に伝える資料館となっています。
敦賀湾に面する場所にある「気比の松原」は、海・砂浜・そして松とのコントラストが美しい名所です。日本3大松原として知られており、国の名勝に指定されています。
「日本海さかな街」は、福井の海の幸が集い海鮮丼や寿司、地元の特産品を楽しめる巨大市場です。
「敦賀赤レンガ倉庫」は、アメリカの石油会社・紐育スタンダード石油会社によって建てられた石油倉庫で、昆布貯蔵庫としても利用され、2009年には国の登録有形文化財に登録されました。
そんな敦賀は、日本海に面しており、様々な新鮮な海産物食べられるお店たくさんあります。
まるさん屋 敦賀駅前
そのうちの一つ、敦賀駅前の商店街にある「まるさん屋 敦賀駅前」は、魚問屋が運営するお店で、新鮮な海産物を用いた様々な郷土料理を堪能できます。
「旬の刺身盛り合わせ御膳」は、日替わりで変わる数種類のお刺身数種類を一度に楽しむ事ができます。
浜焼さば御膳では、伝統の姿焼き「浜焼さば」と旬のお刺身が楽しめます。「浜焼きさば」とは 脂が乗った鯖に串を刺し、丸ごとじっくり焼き上げた郷土料理で、福井県では、夏至から数えて11日目の7月上旬に食べるのが習わしだそうです。
まるさん屋 敦賀駅前の1階には、お土産屋の「まるさん商店」があり、浜焼さばや新鮮な海産物など、福井県・敦賀ならではのお土産を購入することもできます。
新幹線の開業により便利になった港町「敦賀」、北陸旅の際に立ち寄る場所の一つとしてご検討ください。
日本遺産認定の古き鯖街道の街並み「熊川宿」
ここからは、福井県の南西部、京都府との県境に位置する「熊川宿(くまがわじゅく)」をご紹介します。
熊川宿は、戦国時代から江戸時代にかけて若狭湾の小浜から京都へ海産物を運ぶための道として使用されていた「若狭鯖街道(さば街道)」と呼ばれる当時の主要道路上での物流拠点として繁栄した宿場町です。
現在の熊川宿には、現在も江戸時代に形成された町並みが残っており、平成8年に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成27年には「御食国(みつけくに)若狭と鯖街道」として日本遺産第1号に認定されました。
若狭は、御食国とよばれる朝廷に食を貢進する役割を担い、若狭湾で取れた魚貝や塩が鯖街道を通じて京や奈良へ運ばれました。
熊川は、もともとは戸数40ほどの小さな寒村であったという事ですが、豊臣秀吉に重用された浅野長吉(長政)が小浜城主だった天象17(1589)年に、交通・軍事の要衝として諸役免除の布告を発し、この地の特別の発展を図ったそうです。
現在残されている「熊川宿」は、全長約1.1kmにおよび、上ノ町(かみんちょ)と呼ばれる番所があって京への峠に向かう区間と、中ノ町(なかんちょ)という問屋や大型商家が並ぶ区間、下ノ町(しもんちょ)という宿の町の区間に分かれています。
上ノ町にある「熊川番所」は、若狭と近江の国境に位置しており、「入り鉄砲に出女」の統制が特に厳しく行われ、出入り物資への課税も行われたそうです。宿場内に残る復元された番所として、全国的にも貴重な歴史的建造物です。
熊川宿の街道沿いには、前川という水路があり、かつては人馬の飲み水や生活用水として、さらに下流域の農業用水として利用されてきました。
地域の方々と若狭町が連携して、長年にわたって町並みの保存に取り組んできたそうです。
近年には、立ち並ぶ古い家を利用して、陶芸工房や給食をテーマにしたカフェ、若狭の物品を扱う古道具店なども開業したそうです。
上ノ町にある「勘治郎(岩本商店)」では、めちゃくちゃおいしい、手作りこんにゃくのから揚げが味わえます。(こんにゃくは9月末〜6月の期間限定の製造販売だそうです)
この建物は、江戸時代の宿場町の裕福な住民の町家の代表的なもので、ここはかつて、熊川の初代の長であった逸見勘兵衛の邸宅でした。敷地内には、造り酒屋を営んでいた母屋と庭園があり、裏手には大規模な本の収集用の蔵があったそうです。
1995年に町の有形文化財に指定され、3年をかけて大規模な修繕工事が行われ復元されたそうです。
現在、この建物には、宿泊施設、カフェ、土産物店が入っています。
1940(昭和15)年に熊川村役場として建てらてた建物が、現在は宿場館、若狭鯖街道熊川宿資料館として活用されています。熊川宿や鯖街道の歴史的な資料館が揃っており、建物自体も熊川の歴史を感じさせてくれます。
※若狭鯖街道熊川宿資料館(宿場館)
大人200円、中学生以下無料、営業時間:9:00~17:00/4月~10月、9:00~16:00/11月~3月(月曜日・年末年始は休み)
街道沿いには、江戸時代のものを復元した建物や神社などが並びます。
荻野屋住宅は、熊川宿で最も古い町屋で、問屋の形式を残しているそうです。国の重要文化時にも指定されています。
下ノ町は、昔は宿屋が数多く立ち並んでいた地域です。現在は民家も多いようですが、住民の方々の協力もあり、きれいな統一された町並みに整備されています。
熊川の歴史や見どころをなどの説明を聞きながら街を散策したい方は、「熊川宿」を説明してくださるガイドの方もいらっしゃるようで、事前にご予約をすることが可能なようです。
今回は、福井県の南西部、敦賀から出かけられる魅力的な場所をいくつか紹介してきました。
関西・中部地域から加えて、関東からもグッと行きやすくなった福井県ですので、是非、今後の旅行計画の際にお役立てください。
鎌田啓吾
(鉄道チャンネル)
記事提供元:鉄道チャンネル
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