お寺や神社で頂ける近年ブームの「御朱印」の始まりとは?【眠れなくなるほど面白い仏教】
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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閻魔王から授かった宝印が始まり
近年は御朱印がブームになっているようで、記念日には限定の御朱印を出すところも現れ、ところによっては、数時間待たないといただけないこともあるとテレビなどで報道されています。しかし、こうしたことは御朱印の本義からは離れてしまっていることに思えます。兵庫県宝塚市にある中山寺に伝わる『中山寺縁起』によると、御朱印の始まりは西国三十三カ所観音霊場だそうです。
8世紀、奈良の長谷寺を創建した徳道は、地獄を訪れた際に閻魔王から宝印を授かり、三十三カ所霊場のことを人々に広めるよう命じられます。しかし、当時はまだ庶民の仏教への関心は低く、観音霊場を広めるには時期尚早と考えた徳道は、宝印を石櫃に納めて中山寺に預けました。その後の10世紀後半、花山法皇がこれを発見し、33の観音信仰の寺院を巡って宝印を1つずつ配ってきたとされます。この閻魔王から授かった宝印を巡礼者の帳面などに捺おしたのが、御朱印の始まりとされます。
閻魔王から授かったということは事実とは思えませんが、御朱印の起源が西国三十三カ所観音霊場であることは確かなようです。というのは、決められた寺院を巡拝する巡礼の形式は、西国霊場がもっとも早くに確立していたと考えられるからす。当初、巡礼者は自ら行なった写経を霊場の寺院に納め〈*〉、その受領証として印を捺してもらっていました。このため古い御朱印帳は「納経帳」と表題が書かれています。札所分の写経を行なうのは大変なので、次第に写経の代わりに納経料を納めて印を捺してもらうようになり、現在の形式になったのです。
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』 監修:渋谷申博
記事提供元:ラブすぽ
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