釈迦の善行は常人では無理!?一般人に阿弥陀如来の信仰が広まった理由とは?【眠れなくなるほど面白い仏教】
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イチオシスト:イチオシ編集部 旬ニュース担当
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釈迦が偉くなりすぎたから
釈迦の没後、しばらく経つと釈迦の神格化が始まりました。その教えの素晴らしさを伝えるため、それを説いた釈迦を超人的な存在に祀り上げたのです。神格化は、体から光を放ったとか、未来を予知したといった現世での奇跡を語ることでも行なわれましたが、仏教で特徴的だったのは、さまざまな前世物語〈*〉が作られたことでした。
法隆寺が所蔵する玉虫の厨子の側面に「捨身飼虎図」が描かれているのを教科書などでご覧になった方も多いと思いますが、この「捨身飼虎」も前世物語の1つで、前世の釈迦が飢えた虎に身を投げ出して喰わせたというものです。
ウサギとして生まれた時は、自ら火に飛び込んでその肉を旅人に布施しようとしたといいますし、王であった時はバラモン僧に目をえぐって与えたとされます。そのような常人では不可能な善行を、転生するたびに繰り返してきたので、その功徳が積もりに積もって今生での悟りにつながったと、初期の仏教の僧たちは説いたのです。
こうして神格化が進み釈迦が偉くなりすぎると、悟りは在家信者には手の届かないものとなってしまいました。 釈迦でさえ何百世にもわたる善行の積み重ねが必要だったのだから、凡人の自分が現世で得られるはずはない、というわけです。それならいっそ現世での悟りはあきらめて、この迷える凡夫のまま救ってくれる仏にすがろう、という傾向が生まれました。そして、その名を唱えた者は誰でも極楽浄土に迎え入れるとされる阿弥陀如来に信仰が集まることになったのです。
記事提供元:ラブすぽ
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